1972 イースト – EAST

1971 イースト - EAST
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イースト(EAST)は、元ニュー・フロンティアーズの瀬戸龍介(ボーカル、ギター)、吉川忠英(ボーカル、ギター、笛、ハーモニカ、大正琴、びわ、バラライカ、パーカッション)、森田玄(ボーカル、ギター、コンガ)、足立文男(ドラムス、オルガン、ピアノ、パーカッション)、朝日昇(ベース)からなるロックバンドで、米キャピトル社と専属契約を結んで、発売したセルフタイトル『EAST』は、ビルボードチャート10位を記録した。

イースト(EAST)の結成まで

大学時代に結成した瀬戸龍介と、吉川忠英たちのバンド「ニュー・フロンティアーズ」は、

彼らが大学卒業とともに、岐路に立たされていた。

今の音楽をしている大学生と同じ悩みである「卒業したらプロとして音楽をやっていけるのだろうか」といった不安である。そのためメンバーの吉川と瀬戸は就職、森田は大学院にと安全牌として確実な人生を進めていたが、世界デビューをしたい!という夢を捨てきれず、昼は会社と大学院へ行きながら、夜は深夜0時までバンドの猛練習が続いた。

夢をかなえるために

「世界デビューするんだ」という野望は、1970年代初頭の日本人なら、

到底かなえられない夢といってあきらめるかもしれない。しかし、瀬戸たちメンバーは、なんと自作のデモテープをアメリカのレコード社など70社へ送りつけたのだ。

返事はきたものの「オリジナリティがない」「自分の音楽をやりなさい」という辛辣なものばかり。

本人たちは、そこでアメリカという国は「どんなに演奏がうまくても、自分を持っていない人(オリジナリティ)はダメだ」という結論にいたり、本国へ乗り込むことになる。

アメリカでの生活

瀬戸と吉川たちのバンド「ニュー・フロンティアーズ」は、

当時所属していた事務所である『MS(ミュージカル・ステーション)』の金子氏の友人KEN NAGANOさんの家があるサンフランシスコ近郊のサンホゼという街へ移住。

渡米のときに新メンバーとして加わったのが、瀬戸と同じ大学のキャンパスでドラムを叩いていた足立文男。彼はドラムのみならず、低音の声に魅力があり黒人霊歌のコーラスも素晴らしく、引き抜いた。ベースの朝日昇はイケメンで最高にもてたのでバンドへ加入してもらい以後バンドの花となった。

半年間、ほとんど飲まず食わずの貧乏生活ではあったが、練習は毎日「アイツら気でも狂ったのか?」と住人の家族が心配するほど、がむしゃらに鳴らし続けた。

一筋のチャンス

「ニュー・フロンティアーズ」は、半年いろいろなオーデションへ応募して

ようやくサンフランシスコの「ボーディングハウス」というライブのオーデションに合格。転機が訪れる。

1週間ライブ演奏を続け、それを見に来ていたサンフランシスコの「エクザミナー」という新聞社の記者が、最高の批評を紙に書いてくれたのだ(お医者さんの推薦状のようなもの)。

それを持って彼らは、サンフランシスコから南へ400マイル(643.73km)飛び、ロサンゼルスの「夢のハリウッド」へと乗り込む。

大手のレコード会社が乱立するハリウッドで、その紙をもって活動にあたり、サンタモニカの有名な「トルバドール」というライブハウスへの出演にこぎつけた。

この「トルバドール」では、1970年初頭、時代を飾ったキャロル・キング、ジェームス・テイラー、カーリー・サイモン、トム・ウェイツ、クリス・クリストファーソンなどが出演していた西海岸で最高に熱いライブハウスで、

毎夜、新人発掘に躍起になって、各レコード会社のプロデューサーが集まってきていた。

「君たちの演奏は最高の出来だ!」

マンデーナイトという新人発掘オーデションのようなイベントの日、

「ニュー・フロンティアーズ」が、演奏をするやいなや、

あるレコード会社の人が歩み寄ってくる。

「君たちの音源はすでに聴いているよ、しかし、実際の演奏のほうがテープより100倍素晴らしい、すぐにでも契約しよう!」

と言ってくれた。

他にも数社のオファーが同時におこったが、彼らが常に憧れていたキングストン・トリオとビートルズの所属していたキャピトル・レコードを彼らは選んだ。

EAST(イースト)へ改名の由来、その後

「ニュー・フロンティアーズ」は、キャピトルレコードからレコードデビューが決まった。

デビューに際し、バンド名を改名することを薦められる、周りのいろいろなアドバイスから、日本人として東アジアからやってきたオリジナリティを大切にするということで

「光は東方から」「日出づる国」の意味でEAST(東)と名づけられた。

アルバムは、1972年『EAST』というセルフタイトルで発売。ビルボードチャートにおいて、あのエルトン・ジョンと横並びの10位を記録し、アジア人きっての快挙となった(シングルは坂本九が1位)。

メンバーの瀬戸龍介は、帰国後、小澤征爾、武満徹などとコラボしていた琵琶演奏家の鶴田錦史氏を師事し、アルバム『五六七』『KEGON』を発表している。

参考資料:瀬戸龍介公式サイト

海外の音楽専門家から見た「1972 イースト – EAST」のイメージと批評

1970年代初頭のサイケデリック・シーンで犯罪的に見落とされていたイースト(East)は、サンフランシスコのハイト・アシュベリー(Haight-Ashbury)地区を拠点に音楽を作った日本のバンド。

琴、琵琶、大正琴、尺八といった日本の楽器を多用したにも関わらず5人組の出身地である日出る国の音楽というよりは、より本格的なアメリカの東海岸の音楽に近い。

完璧な英語で歌詞を歌い、当時の「フライング・ブリトー・ブラザーズ (The Flying Burrito Brothers)」、また後の「ラヴ(Love)」やジェファーソン・エアプレイン(Jefferson Airplane)に通じるようなアメリカに影響を受けた音楽だ。

ベルボトムにペイズリーシャツをまとった5人組が発表したのは1972年に発表されたセルフタイトルのアルバムだけで、その後解散する。

Written by Marios

 

【曲目】

1. ビューティフル・モーニング
2. ミー
3. ジーズ・オン・ザ・ロード
4. シー
5. ランブラー・モーゼズ
6. デフ・アイド・ジュリー
7. ブラック・ハーテッド・ウーマン
8. コール・バック・ザ・ウインド
9. ジャー
10. エブリホエア
11. 新ソーラン

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1972 イースト – EASTのメンバー

瀬戸龍介(ボーカル、ギター)
吉川忠英(ボーカル、ギター、笛、ハーモニカ、大正琴、びわ、バラライカ、パーカッション)
森田玄(ボーカル、ギター、コンガ)
足立文男(ドラムス、オルガン、ピアノ、パーカッション)
朝日昇(ベース)

Ryusuke Seto (vocals, Guitar)
Chuei Yoshikawa (Guitar)
Gen Morita (Percussion)
Fumio Adachi (Drum)
Noboru Asahi (Bass)

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