1950~1960年代ガールズグループ・ガールズポップ物語【第1回】

1950年代後半にロックンロールは死んだのか?

1950年代後半にロックンロールは死んだのか?

ロックンロールの歴史の多くの信奉者たちは、真の音楽の精神は1950年代後半に死んでしまい、1960年代初期の数年間は、いわゆる「ティーンアイドル」到来の前触れとなるような、機械化され、漂白された低俗な作品でいっぱいだと信じている。

こういったセオリーの論理的根拠は、「ロックの死」の視点を中心に展開される。

エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)は、1958年3月から1960年3月まで軍に従事し、チャック・ベリー(Chuck Berry)は1959年のマン法(Mann Act)での暴力の責任を負い、1962年は刑務所の中で過ごした。

リトル・リチャード(Little Richard)は、より伝統的なマナーで神様に仕えるためにロック界を去った。

1959年2月のノースダコタ州(North Dakota)の飛行機事故は、バディ・ホリー(Buddy Holly)、リッチー・ヴァレンス(Ritchie Valens)、ビッグ・ボッパー(The Big Bopper)の命を奪った。

ジェリー・リー・ルイス(Jerry Lee Lewis)は、1958年に14歳のいとこと結婚したことについての世間の憤りに対し、激しい怒りを感じていた。

こういった一連の出来事は、大きく勢いを衰えさせた本質的なポイントではあるが、この理由だけでロックンロールの発展と業績を絶ってしまうのは、狭い視野と見解だ。

軍での2年の間に、エルヴィスは14枚のアメリカトップ30ヒットを出した。およそ7週半に1枚のペースだ。

“Wear My Ring Around Your Neck”、“Hard Headed Woman”、“A Big Hunk Of Love”、“Stuck On You”といった曲で、リリースのうち10枚はトップ10入りした。

だから、プレスリーが軍につながれていた間は、彼のアーティストとしての成長を阻んだ可能性はあるが、彼のロックンロールサウンドをラジオやテレビの電波から遠ざけたり、レコード店から追いやったりすることはほとんどなかった。

チャック・ベリーの不在はより明確なものだったが、これはある意味とても反復的なものだったし、彼の作品のいくらか非標準的な性質だった。

例えば逮捕の前年、チャック・ベリーはチャート入りシングルを10枚出したが、どれもトップ30には入らなかった。

バディ・ホリーとリッチー・ヴァレンスの死は、一般の人々にとってより意味を持った。ソロアーティストとしては、バディが生前出したトップ30ヒットはたった1枚だけだったし(グループ「ザ・クリケッツ(The Crickets)」のリーダーとしては4枚のトップ30ヒットを持っていたが、どちらにせよ彼はあまり有名ではなかった)、リッチー・ヴァレンスは生前、トップ40ヒットを1度記録しただけだった(そしてその“Donna”は、ロックンロールというよりは明らかに「ティーンアイドル」タイプの曲だ)。

彼らがロックンロール発展の歴史に与えた影響を過小評価したい訳ではないが、過大評価するべきでもない。

1950年代終わりにロックンロールが死んでしまったと考えることは、次のようなアーティストたちが現れ成功を続けたことを、忘れてしまうようなものだ。

「ドリフターズ(The Drifters)」、レイ・チャールズ(Ray Charles)、「ザ・コースターズ(The Coasters)」、サム・クック(Sam Cooke)、「ミラクルズ(The Miracles)」、「ビーチ・ボーイズ(Beach Boys)」、ベン・E・キング(Ben E King)、ジェリー・バトラー(Jerry Butler)、ゲイリー・U.S.ボンズ(Gary U.S. Bonds)、ソロモン・バーク(Solomon Burke)、ディオン(Dion)、スティーヴィーワンダー(Stevie Wonder)、ロイド・プライス(Lloyd Price)、ジーン・ピットニー(Gene Pitney)、ガーネット・ミムズ(Garnett Mimms)、「アイズレー・ブラザーズ(Isley Brothers)」、チャック・ジャクソン(Chuck Jackson)、ロイ・オービソン(Roy Orbison)、マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)、ジャッキー・ウィルソン(Jackie Wilson)、デル・シャノン(Del Shannon)、「エヴァリー・ブラザーズ(Everly Brothers)」、「コントゥアーズ(Contours)」、「フォー・シーズンズ(Four Seasons)」、リトル・アンソニー(Little Anthony)、マーヴ・ジョンソン(Marv Johnson)、ジャン&ディーン(Jan & Dean)

など、他にも大勢いる。

ビートルズ出現をささえた1950~1960年代ガールズグループの影響

ビートルズ出現をささえた1950~1960年代ガールズグループの影響

ビートルズを筆頭に、イギリス勢がアメリカのヒットチャートを席捲した1963年以降の社会現象「ブリティッシュ・インヴェイジョン(British Invasion)」前のこの時期のロックンロールに不可欠なものは、いわゆる「ガールズグループ」(ほとんどの場合、女性たちでありグループだったため)のサウンドと影響だ。

彼女たちは、ロックンロール界の女性たちの中のひとり、ではなく(ガールズグループサウンドと全く関係のない女性スターたちもたくさんいるからだ)、独特なジャンルを作り出した。

音楽的な背景、歌詞の方向性、ビジネス組織であり、ロックンロールの多くの置き換え品のほとんどどれとも同じくらい重要で、永続的で、流行を作り出したスタイルだ。

男性ティーンアイドル」のファビアン(Fabian)、フランキー・アヴァロン(Frankie Avalon)、ボビー・ライデル(Bobby Rydell)、ポール・アンカ(Paul Anka)など)と共に、ガールズグループは1960年代初期に花開いた、唯一の真の特有ジャンルだ。

他の、例えば「Motown」やサーフ、フォークロックといったものはまだ形成段階にあって、その後数年かけて進化していった。

これに比べてガールズグループサウンドはすでに発達しており、素早くピークを迎えていた。

1950年代半ばは、ロカビリーやリズム&ブルース、ドゥーワップ、分かりやすいロックンロールというように、はっきりとカテゴリーに分けることができたが、60年代初期のヒットメーカーである、サム・クックやゲイリー・U.S.ボンズ、ロイ・オービソン、「エヴァリー・ブラザーズ」らは、カテゴリー分けするのは難しい。

荒々しく素材のままのロックンロールがチャートから姿を消した要因として、もし何かひとつの出来事を責めることができるなら、それはたくさんのパフォーマーたちが、時期の早すぎる活動停止をしたり業界から姿を消したりしたことではなく、1959年に突発したわいろの調査だ。

こういった調査と、ロックンロールがティーンの若者たちに悪影響だという噂を気にして非難する大人たちが増えていったことが合わさり、レコード会社やDJたちがイメージと音楽的な変更をすることに繋がった。

おそらく年長者たちからの厳しい批判が、ジェリー・リー・ルイスやリトル・リチャード、ボ・ディドリー(Bo Diddley)、エルヴィス・プレスリーらの、「淫らな」行動や歌詞に対して向けられたかもしれないが、誰がボビー・ライデルやコニー・フランシス(Connie Francis)、「ビーチ・ボーイズ」(またはこの問題に関しては、サム・クックやリトル・アンソニー、「ドリフターズ」、ジャッキー・ウィルソン)に不満を言うことができただろうか?

ロックンロールのイメージを一掃しようという試みは、プログラミングやプレイリスト、結果としてトップ40のフォーマットの到来と同時に起こった。

以前は、小さなレコード会社が特定のエリアや市場に狙いを絞って、地域的なヒットを出していたが、新しいプレイリストではたいてい、レコードは全国的ヒットか失敗作かのどちらかになった。

「ヒットか失敗か!(Go national or Go broke!)」と国中で叫ばれた。決まり文句の真似や水増しを頻繁に行うことが、この新しい大衆に届ける試みの中で、業界を一掃した。

第2回 ガールズ・グループ「ザ・チャンタルズ」誕生

出典:Girl Groups The Story of a Sound

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