1962 The Crystals – Twist Uptown

1962 The Crystals - Twist Uptown
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女性グループのファンの中で、クリスタルズ(the Crystals)以上に愛されているグループは5つも存在しないだろう。

グループはもともと、バーバラ・オールストン(Barbara Alston) (1945年生まれ), ディーディー・ケニーブルー ( 1945年生まれ),メアリー・トーマス (1946年生まれ), パトリシア・ライト(Patricia Wright)、マーナ・ジラード(Myrna Gerrard) からなる5人組。

彼女たちが高校生の時にベニー・ウェルズ(Benny Wells)で結成された。

彼女たちは、まず教会で歌いはじめた。オールストンはウェルの姪で、はじめはバックアップ歌手として採用されたが、後にメイン歌手として知られるようになる。

ウェルの指導のもと、彼女たちは多くはポップスで活動しはじめ、出版社のヒルアンドレンジ(Hill & Range)のデモ製作もそのうちのひとつだった。

それらは、彼女たちをマンハッタンの町の中央のブリル ビルディング(Brill Building)に導いた。そこで、彼女たちはリハーサル中にフィル・スペクター (Phil Spector) の耳に留まる。

フィル・スペクター は当時、フィルレコードという彼のレーベルを立ち上げたところで、ちょうど新しいタレントを探している最中であり、クリスタルズはまさに彼が探していたものだった。

クリスタルズは、初期のジェラルドが脱退し、新しくブルックス(La La Brooks)をメインボーカルとして迎え入れていたが、彼はブルックスの歌声だけが気に食わず、オールストンを主体として歌わせて、しぶしぶながらブルックスにもパートを与えた。

1961年9月、少し改編されたクリスタルズは⑥”There’s No Other Like My Baby,”で全米20位に入る初ヒットを生んだ。これは、先が期待された始まりで、クリスタルズだけでなくスペクターや彼の新しいレーベルをも有名にした。

同時に発表された、④”Oh, Yeah, Maybe, Baby” (パトリカがメインボーカルを務めた)はひかえめだけれども大胆な弦楽器によって演奏され、それは今後のグループの方向性を指し示している,

1962年初めには、バリー・マンとシンシア(Barry Mann/Cynthia Wei)の①”Uptown”にパーカッションをやや軽くし、ギターや弦楽器を④”Oh Yeah, Maybe, Baby”よりもさらに際立たせたアレンジをして製作した。オールストンの力強く、そして甘い歌声は、恋物語のような歌詞だけでなく、ゲットーでの鬱屈といった時事的な話題についての歌詞にもよく合っていた。

これらは、”Uptown” に2つの違った魅力をもたらした。

つまり、”Uptown”はきらびやかなだけでなく、聞き心地が良くてさらに歌詞も厳粛であるという、全く新しいポップの作品となった。”Blowin’ in the Wind,” ではなくこれまで社会現実主義者がポップスの人気チャートを理解できなかったことを呼び起こしているようだった。

“Uptown” は全米13位にランクインした。

1962年6月、彼女たちは新しい曲に取りかかったが、それは”Uptown”が避けていたあらゆる問題を呼び起こしてしまった。

“Uptown”がその重い歌詞を、優美で静かながら情熱的な音楽で伝えていたとするならば、同じゴフィン&キング作品で用意された”He Hit Me (It Felt Like a Kiss)” は、まるで逆で、浮気や、男性の女性への暴力といった不穏な歌詞を、暗く不吉な方法で伝えてしまった。

オールストン達は、持てる全てを曲に捧げ、スペクターも驚くほどに巧妙なボレロのようなアレンジを思いついたが、良い結果を生まなかった。

ラジオ局は、この曲を流そうとせず、人々にも好まれなかった。オールストンによると、グループのメンバーもこの曲が好きでなく、今日でもなお、スペクターがなぜこの曲を製作するようおだてたのか、正確には分かっていない。

翌月、スペクターは再び、別のクリスタルズのセッションの経営にスタジオに戻ったが、この時、彼が実際に製作したのは、クリスタルズではなくダーリン・ラヴ(Darlene Love)だった。

クリスタルのオーナー、そしてプロデューサーとして、彼は彼が望むあらゆる人や物を保有し、クリスタルから生まれたもの、と称する権利を持っていた。彼は、それまでのメインボーカルを決めるためのいかなる争いを辞め、グループ全体を”He’s a Rebel.”のために使った。

これはゴージャスに音符をつなげたアップビートな曲調で、以前の失敗の重荷を感じさせないような、唯一無二の路上の男らしさの賛美であり、一番のヒットとなり、クリスタルズを典型的なクラシックの女性グループとしてでなく、ポップ界の歴史にも根付かせた。

次のヒット作品”He’s Sure the Boy I Love,”においてもダーリン・ラヴは同様に、クリスタルズとしてメインボーカルを務めた。

1963年の初めまでは、クリスタルズは再び自身の楽曲のうちのひとつ”Da Doo Ron Ron,”を歌い続けたが、そのころにはスペクターはブルックスがオールストンに代わってメインボーカルになることを認めた。この楽曲は、全米3位、全英5位、そして彼女たちの英国での2番目のヒットになった。

英国では、後に自国のマージービート(英国バンド)に支配される前の、アメリカの音楽がはやっていた頃なので、この曲と”Then He Kissed Me”(全米6位)の2つの地位は、とても重要だった。

“Da Doo Ron Ron” と”Then He Kissed Me” は、この時代の英国で最も人気なアメリカンロックンロールとなり、レコードやステージなど様々な方法で歌われた。

スペクターのクリスタルズの扱いに関して、彼らの関係がどんどん悪化しているということを除いては、クリスタルズは傍目にはうらやましいほどの地位を獲得したように見えた。

スペクターがダーリン・ラヴの楽曲を彼女たちの恩恵にあやかり始めてから、彼女たちはずっと不幸せであり、彼女たちは常にダーリンの曲をステージ上で披露せねばならず、実際彼女たちは1963年中ずっとツアーをし、疲労してきたのだが、そのことは彼女たちをいらだたせた。

1964年には、クリスタルズにさらなるスペクターの無関心が襲った。

彼は、Rosettes という女性三人組を見つけ、とりわけベロニカ・ベネット(Veronica Bennet)に彼は労力と時間を注ぐ。

その間にも、クリスタルズは素晴らしい興味深い曲を生み出しつつけた。

美しい”Another Country, Another World,” や、スペクターがめったに挑戦しようとしなかったブルースバラード調の”Please Hurt Me,” and “Look in My Eyes,”である。

クリスタルズは、1962年と63年にそれぞれ、彼女たちのヒットを収めた2枚のLP、『Twist Uptown』『He’s a Rebel』を発表したが、スペクターの関心と熱意はどんどん他に向いていく。

グループに対する避けるような態度は、”(Let’s Dance) The Screw.”に最もよく表れていたかもしれない。これは、彼や彼のレーベル、クリスタルズ、音楽産業に関わった他の多くの人が想像するもっとも奇妙な曲であろう。

出典:Old Melodies

【曲目】

1 Uptown
2 Another Country – Another World
3 Frankenstein Twist
4 Oh Yeah, Maybe Baby
5 Please Hurt Me
6 There’s No Other (Like My Baby)
7 On Broadway
8 What A Nice Way To Turn Seventeen
9 No One Ever Tells You
10 Gee Whiz Look At His Eyes (Twist)
11 I Love You Eddie

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1962 The Crystals – Twist Uptownのメンバー

La la Brooks
Barbara Alston
Dee Dee Kenniebrew
Frances Collins
MaryThomas
Patricia Wright
Darlene Love
Merna Girard

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