1982~1984 ナンシー・ルー(ルゥ)について

1982 ナンシー・ルー(ルゥ)について
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ナンシー・ルー=本名:劉藍溪 は、1960年3月29日生まれの台湾出身で日本に歌手デビューした。

日本デビューは、1981年9月1日”愛はかげろう”で、すでに22歳になっていた彼女は、大人の魅力で売り出すことに。(この際はナンシー・ルゥと表記した)

台湾では、どのように人気があったのか?

1976年、16歳のときに台湾のテレビ番組の観覧にいったナンシーは、その美貌から、すぐにテレビ局のスタッフの目にとまり、ディレクターのもとへ連れて行かれ、いきなりテレビの連続ドラマに臨時出演するようになる。

ナンシー・ルー

やがて、主演女優にまで昇りつめ、映画にも出演するようになる。

それに合わせて、当時流行していた学園フォークと彼女の声質が合っていたので、1977年には『夕日戀曲』でレコードデビューに至る。

これも、かなりヒットしたので歌手アルバムは『夕陽戀曲』『風兒別敲我窗』『野薑花的回憶』『小時候的願望』『又是輕輕的風』と5枚発売している。

日本デビュー

当時、台湾でも小鄧麗君(第2のテレサ・テン)と評されていたこともあり、日本デビューの機会を得た。

すでに、デビューから6年の月日が経っており、1981年の時点で22歳。

ピチピチしたアイドルとして、売り出すことは不可能とみて、大人の女性として”愛はかげろう”作詞:山上路夫 作曲:黒住憲五で、9月1日にCBSソニーより歌手デビューした。

これは、少しテレサ・テンっぽい、ゆったりしたフォーク調の青春ナンバーだ。

前述したが、当時はナンシー・ルゥと表記した。

1年後、日本語もかなり訓練したのか、1983年9月1日

続く2ndシングル”旅の続き”を発売。作詞作曲:渡辺真知子で、最先端のJポップ(当時はこんなジャンル名称はないが)をおしゃれで洗練された歌声を聞かせた。

当時、ドライブ中にFMラジオから、この歌が流れて聴き入った人もいるはず。海沿いの海岸線を窓を開けてドライブすると入ってくる、頬をさする潮風のような心地良さだ。

最後は、1984年10月21日、3rdシングル”ムーンライト・シャドゥ”で、この楽曲は1983年に、イギリスのマイク・オールドフィールドがマギー・ライリーという女性ボーカルを起用して、ヨーロッパ中大ヒットとなったナンバーのカバー。

最後の賭けは失敗に終わり、ナンシー・ルーは日本を去った。

失敗の原因は、1980年代に入り日本では新たなアイドル・ブームが起きていたこと、そして外国人歌手の需要がなかったこと、最後はナンシー・ルーのもっとも可愛かった少女期から成熟期のタイミングで日本の活動がなかったこと、が挙げられる。

1984年に医者と結婚し、アメリカに渡ったところまでは良かったが、なんと現地で仏教に帰依し、5年間勉強したのち、旦那のために1991年に正式に出家してしまい、「道融法師」と改名。

両親は、それを見て脇で泣き崩れ「泣かないでください、泣かないでください」と、ナンシー・ルーが諌めたという。

本当に、色んな人生があるものだ。

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ナンシー・ルー(ルゥ)のディスコグラフィ

ナンシー・ルー(ルゥ)のシングル(EP)

ナンシー・ルー(ルゥ)のシングル(EP)
  1. 愛はかげろう / 別離の窓  (1982年9月1日)
  2. 旅の続き / 涙の音  (1983年9月1日)
  3. ムーンライト・シャドゥ / Long Distance ~真夜中にサヨナラ (1984年10月21日)

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