1967 万里れい子について

1967 万里れい子について
評価投稿数: 0
0

万里れい子(まりれいこ)は、1948年2月生まれ。

23歳のとき、渡部玲子として、1964年~1966年にかけて日劇のダンシングチーム(NDT)に入団し、ユニット名「エイト・ポピーズ」として売り出される。

NDTは、スターを育てる機関で他に「トッピング・ドールズ」「デコレーション」といったユニットも存在していて、抜擢されるのは名誉なことだった。

渡部玲子は、日劇レビュー「春の踊り」の後、退団。

コロムビアレコードのオーデションを受け、合格したあとは芸名を「万里れい子(まりれいこ)」とし、

1967年5月に作詞:渡舟人、作曲:大和田覚のシングル”青春の渚”でデビューした。

その後、同年8月に”太陽が欲しい”、1968年1月に”恋の花びら”、同年4月”涙にくちづけ”、”蒼い星くず”、そして10月には”サイケの街”をリリースするがヒットせず、

1969年4月”涙のゆくえ”をリリース後は、

森田公一とトップギャランに加入し、紅一点の女性ボーカルとして活躍した。

万里れい子の歌声は、どんなの?

万里れい子は、1960年代中期特有のピンキーとキラーズの”恋の季節”や、美空ひばりの”真っ赤な太陽”、中村晃子”虹色の湖”路線のパンチのある唸りながら、大声を張り上げる青春ムード歌謡だ。

1960年代後半ともなると、GS(グループサウンズ)ブームにあやかって、バックのGSサウンドに合わせて、エコーの効いた迫力のある歌声を聞かせる。

特に⑪”サイケな街”は、近年再評価されたグルーヴィーな歌謡曲で、ビートルズのリボルバーさながらのベースリフに、エレキギターがするどくカッティングされていて、外国人にも人気が高そうだ。

当時はまったく売れなかったそうだが、再評価されるべき名曲といえる。

⑬”涙のゆくえ”も、どう考えてもリボルバーのポール・マッカートニーのベースを意識していて、ベーシストの人がビートルズファンだったのが推測できる。

1970年代の筒美京平の洗練されたポップスには昇華できなかった、1960年代末期特有の残り香ムード歌謡曲の怨念のようなものを感じる。

万里れい子についての口コミ

感想を追加する


Submit your review
*必須項目です

万里れい子のディスコグラフィ

万里れい子のシングル(EP)

青春の渚 1967

①青春の渚 1967

太陽がほしい 1967

②太陽がほしい 1967

恋の花びら 1968

③恋の花びら 1968

涙にくちづけ 1968

④涙にくちづけ 1968

蒼い星くず 1968

⑤蒼い星くず 1968

サイケの街 1968

⑥サイケの街 1968

涙のゆくえ 1969

⑦涙のゆくえ 1969

関連記事とアーティスト

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

感想を追加する


Submit your review
*必須項目です

関連記事

1972 チューインガムについて

1972~1984 チューインガムについて

1975~1976 Z(ゼット)について

1975~1976 Z(ゼット)について

1975 池田ひろ子とは、どのような女性歌手でしょう?口コミ評価を集計しました!

「池田ひろ子」について

森田つぐみ「愛のスケッチブック」

「森田つぐみ」について

1975 黒木真由美とは、どのような女性歌手でしょう?黒木真由美のその後は...口コミ評価を集計しました!

「黒木真由美」について

1967~1972 沢知美について

1967~1972 沢知美(さわともみ)について