1965 ミッチー・サハラについて

1965 ミッチー・サハラについて
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1965年”聞いてよ、お願い”でキングレコードからデビューしたミッチー・サハラは、当時としては珍しい18歳前後で作詞作曲をした日本人女性初のシンガーソングライターとして知られている。

ミッチー・サハラは、本名は酒井道枝といい、1947年4月5日に東京で生まれている。

13歳のころからイタリア人神父に歌とギターを習い、1961年には山崎唯楽団に加入して、ホテル・ニュージャパンのラウンジ歌手として活動していた。

1963年には、原信夫とシャープス&フラッツの専属シンガーとなって、数々の舞台をこなす。

1964年にはNHKのオーデションに合格し、朝日ソノラマ「ジューク・ボックス」シリーズで、”ドレミの歌”、”エーデルワイス”を日本語でソノシートとして吹き込んでいる。

同年5月にビクターより”フレッシュマン”でデビューし、芸能活動は文化放送「ミュージックハント」、NET系「エキサイティングショウ」でレギュラーとして活躍していたが、

1965年、ミッチー・サハラは、すぐにレコード会社をキングレコードに移籍。

9月には新人には異例の待遇である自作曲”聞いてよ、お願い”で再デビューした。

1966年に入ると、アルバム(LP)『聞いてよ、お願い』5月にはミニアルバム『ミッチー・サハラのフォークロック』を発売。

祖父が英国人ということもあり、クォーターさながらの日本人離れした洋楽に近い歌謡曲が聴けるのが彼女の歌の強みだ。

しかし、2ndシングル”紅い、紅い花”3rdシングル”泣くための肩がほしい”、と朝日ソノラマのジュークボックスシリーズ”可愛いマリア””私を愛して”の2枚、EP『ミッチー・サハラのフォークロック』アルバム『聞いてよお願い』(1966年)を発売したあと、

レコード会社との契約が切れたことと、日本のレコード会社の風習とそりが合わず、ピアニストである母親とともに、米国ロサンゼルスに移住。

そこを拠点にしながら、クラブやレストランで活動しし、遠いときはカナダやハワイまで遠征もしたことがある。

晩年は、折り紙作家としても展示会を開催したり、現地新聞でとりあげられるくらい有名になったが、2000年に、心臓発作で死去。

享年53歳であった。

ミッチー・サハラはどんな歌手?

英語も堪能なミッチー・サハラで、そのDNAにも英国人の血が流れている現代でいうところの木村カエラに相当する。

ただ、その才能が「高度成長とともに成熟しながら欧米化していった日本の流れ」と歩調が合わなかった感が強い。

1965年といえば、ビートルズ来日前夜であって、洋楽に対するイメージ、ましてやロックは不良という時代で、当時の日本人の頭の中で中心を占めていたのは、やはり「ムード歌謡曲」である。その少し前に、カバーポップスといわれる欧米の1950年代後半に流行ったオールディーズを日本語の歌詞に置き換えて歌うブームがあったが、1965年のころには終息している。

ビートルズ来日によるグループ・サウンズ時代もまだ訪れていないため、この時代に洋楽っぽい音楽は当時の日本において、時期尚早だったのは確実だ。

ミッチー・サハラが奏でた「フォーク・ロック」というタイトルのEPも、今でこそ1965年はビートルズもアルバム『ヘルプ!』において、ボブ・ディランの影響を色濃く受け、世界はフォークロックのブームど真ん中であったと断言できるのだが、当時の日本においては、

やはり、先読みしすぎた残念感がある。

1970年代前後として、筒美京平ら優れた作曲家の功績により、日本の歌謡曲も一気に欧米の洗練されたアレンジやメロディが使われるようになり、認知されていった。

そのことを思っても、1965年に自作曲をやってのけたミッチー・サハラは、スゴイの一言。

ただ、当時のムード歌謡全盛を思い、ミッチー・サハラはどういうポジションだったのだろうか?と想像をめぐらしてみると、

やはりクォーターだが、ハーフタレントのような扱いだったに違いない(差別的な意味ではなく)。

だから、

朝日ソノラマのソノシートシリーズで外国の曲を歌ったりして、若い人たちの健全な音楽文化に貢献しているのだ。

ミッチー・サハラの歌声はどんな感じ?

ミッチー・サハラの歌声は、外国人が日本語バージョンのシングルを出したくらい

音の響きが独特だ。発音がどこかしら外国っぽいのだ。

ボサノヴァの名曲である”イパネマの娘”の女性Voバージョン”イパネマの少年”が、特に顕著で、

彼女の歌い方・拍の取り方・リズム感が、

当時の日本歌謡にはない、時代錯誤を感じさせないワールドワイドなオリジナル歌唱だ。

編集盤CDには全21曲収録されていて、そのうち自作曲は4曲。

高音に伸びがある、ミュージカル女優のようなミッチー・サハラの音楽にアナタも包まれてみてはいかがだろうか?

なお、正式には名前の間は、点ではなく星印★になり、ミッチー★サハラとなる。

1990年代に発表されたスピッツの”涙がキラリ☆”や奥田民生の”イージュー★ライダー”

の30年も前にすでに、彼女はそのセンスを持っていたことになる。

宇多田ヒカルの大大大先輩に、敬服!!

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ミッチー・サハラのディスコグラフィ

シングル
聞いてよ、お願い(1965年)

聞いてよ、お願い(1965年)

紅い、紅い花(1965年)

紅い、紅い花(1965年)

泣くための肩がほしい(1965年)

泣くための肩がほしい(1965年)

EP
『ミッチー・サハラのフォーク・ロック』(1966年)

『ミッチー・サハラのフォーク・ロック』(1966年)

ソノシート
可愛いマリア(1965年)

可愛いマリア(1965年)

私を愛して(1965年)

私を愛して(1965年)

アルバム(LP)
『聞いてよ、お願い』(1966年)

『聞いてよ、お願い』(1966年)

【曲目】

SIDE A:

  1. 聞いてよ、お願い
  2. ラブ・イン・トーキョー
  3. モア
  4. 明日を忘れて
  5. イバネマの少年
  6. 愛の願い

SIDE B:

  1. 紅い、紅い花
  2. 恋の一夜
  3. 淋しくて
  4. 夢みるシャンソン人形
  5. ハロー、ドーリー
  6. クライング・イン・ザ・チャペル
編集盤CDに追加された音源

13. 春のときめき(シングル音源)
14. はだしで踊ろうよ(シングル音源)
15. 雨に消えた想い(コンパクト盤音源)
16. 風に吹かれて(コンパクト盤音源)
17. グリーン、グリーン(コンパクト盤音源)
18. 天使のハンマー(コンパクト盤音源)
19. 泣くための肩が欲しい(シングル音源)
20. そして今は(シングル音源)
21. そえから、そえからとせがむ僕(コンピ盤音源)

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