バリー・セント・ジョン(Barry St John)について【イギリス】

バリー・セント・ジョン(Barry St John)について【イギリス】
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スコットランドの歌手「バリー・セント・ジョン(Barry St John)」は、1960年代中盤に何枚かの素晴らしい曲をリリースしたが、買い手たちからは相手にされなかった。

しかし10年後、ノーザンソウルファンたちから引っ張りだこの人気となる。

バリー・セント・ジョン(Barry St John)の生い立ち

バリー・セント・ジョンは、本名エリザベス・トンプソン(Elizabeth Thompson)として生まれ、スコットランドのグラスゴー(Glasgow)で育つ。

リズ(Liz)として知られ、幼い頃から歌うことが好きだった。だから彼女が音楽活動を始めることを選んだとき、彼女を知る人々は驚いたりはしなかった。

彼女は最初にドイツ、ハンブルク(Hamburg)のクラブ「Star Club」でパフォーマンスを始めた。

イギリスへ戻るにあたり、レコード会社「Decca Records」と、バリー・セント・ジョンという名前でレコード契約を結んだ。

1964年

バリー・セント・ジョンのファーストシングルは1964年7月に発売され、両面ともアメリカのグループ「シュレルズ(The Shirelles)」のカバーで、A面には“A thing of the past”、そしてB面には“A little bit of soap”が収録されている。

どちらもアメリカ人バート・ラッセル(Bert Russell)作曲で、元はアメリカのグループ「ザ・ジャーメルズ(The Jarmels)」によりレコーディングされたものだ。

このシングルは若い彼女のソウルフルなボーカルスタイルをうまく示している。

続いて“Bread and butter”が同じ年に発売された。この曲は1964年12月にドイツチャートトップ40に入り、初めて彼女はチャート上での成功を味わった。

1965年

1965年は“Mind how you go”の発売で幕を開けた。

これはクリス・アンドリュース(Chris Andrews)による作曲で、彼はサンディ・ショウ(Sandie Shaw)のほとんどのヒット曲を手掛けていたのだが、バリーはイギリスチャートでの成功をまたしても逃した。

その年の後半に発売された“Hey boy”には高い期待が込められた。

これはジェリー・ゴフィン(Gerry Goffin)とキャロル・キング(Carole King)作曲の、アメリカの歌手フレディ・スコット(Freddie Scott)“ Hey girl”のカバーで、さらにアンドリュー・ルーグ・オールダム(Andrew Loog Oldham)によるプロデュースであった。

彼は「ローリング・ストーンズ(the Rolling Stones)」や、マリアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithfull)、エイドリアン・ポスター(Adrienne Poster)、ヴァシュティ・バニヤン(Vashti (Bunyan))といったブリットガールたちをプロデュースしていた。

しかし、申し分のない役者の揃ったこの曲も失敗し、「Decca」との契約は終わりを迎えた。

彼女はレコード会社「Columbia」へ移り、“Come away Melinda”をここでのファーストシングルとして発売。

1965年後半に発売されたこの曲は、何かしら彼女にとっての新展開を見せた。ダウンビートで反核を歌ったこの曲は、プロデューサー、ミッキー・モスト(Mickie Most)により選ばれたもので、彼は後にグラスゴー(Glasgow)の歌手ルル(Lulu)らと共に仕事をしている。

これには幼い少女のボーカルも含まれているが、バリー自身がレコーディングしたものだ。

実際はマイク・ハースト(Mike Hurst)によりプロデュースされたものだが、プロデュース権はモストに帰する。ハーストはモストに、この曲が成功しないと知っていたのだろうと文句を言っている。でなければ自分でプロデュースしていたはずだと。

彼女にとっては異質な作品であったが、最もイギリスでのヒットに近づいた作品となった。1965年12月に、イギリスチャートの47位に1週間留まったのだ。

B面の“Gotta brand new man”は、彼女がハーストとガイ・フレッチャー(Guy Fletcher)とともに作った曲で、より彼女の真のスタイルに近い。

1960年代の煙に満ちた地下のクラブを思い起こさせるもので、後にノーザンソウルのダンスシーンでの需要が高まる。

1966年

続く“Everything I touch turns to tears”も、1966年の発売から何年も経った後にノーザンソウルファンの間で人気となるが、不思議なことに、発売当時は大失敗となった。

ちなみに、素晴らしいクオリティの作品を生んでいたシラ・ブラック(Cilla Black)もこの曲への可能性を感じており、同じ年に発売された彼女のアルバム『Cilla sings a rainbow』の中でカバーしている。

この曲が失敗に終わると、バリーは契約を解除されてしまう。

1968年

バリー・セント・ジョンは、2年後にレコード会社「Major Minor」から2枚のシングルを発売した。

1枚目は1968年に発売された“Cry like a baby”で、アメリカの5人組グループ「ボックス・トップス(The Box Tops)」のバージョンに対抗するものだったのだが、この曲でヒットを出したのは彼らのほうだった。

2枚目は“By the time I get to Phoenix”で、これは以前、カントリー&ウエスタン歌手のグレン・キャンベル(Glenn Campbell)がアメリカでヒットを出したものだ。

ちなみにB面の“Turn on your light”は1960年代のイギリスソウルファンの間では人気となっている。

B面曲を含むこの2枚のシングルは、同年発売の1stアルバム『According to St John』に収録された。

このアルバムでバリーのジャケットの記載によると

「砂の町からやってきたかわいい子猫ちゃん」―は、たくさんの完成されたアメリカソウルナンバーをカバーした。

エタ・ジェイムス(Etta James)の“Tell Mama”、オーティス・レディング(Otis Redding)の“Fa fa fa (Sad song)”やウィリアム・ベル(William Bell)の“Love-eye-‘tis”などである。

また、UK女性歌手のレスリー・ダンカン(Lesley Duncan)と、ボーカルデュオ「スー・アンド・サニー(Sue and Sunny)」がこのアルバムのバックボーカルを務めており、結果として、まるでアメリカのディープサウスでレコーディングされたかのような作品となっている。

1970年代

1970年代、彼女はエルトン・ジョン(Elton John)、グループ「ピンク・フロイド(Pink Floyd)」や「ロキシー・ミュージック(Roxy Music)」らとセッションの仕事をするようになった。

彼女はまた、1970年代中期に数枚のシングルも発売した。

「Decca」へ戻って1974年に発売した“My man”や、独立したレコード会社「Bradleys Records」から1975年に発売した“I won’t be a party”などである。

出典:Ready Steady Girls

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バリー・セント・ジョン(Barry St John)について【イギリス】のディスコグラフィ

バリー・セント・ジョン(Barry St John)のアルバム(LP)

1968年
『According To St. John』LP

『According To St. John』LP

【曲目】

A1 Love-Eye-‘Tis4
A2 Long And Lonely Night
A3 Restless
A4 Cheater Man
A5 Don’t Knock It
A6 Tell Mama
A7 Turn On Your Light
B1 Cry Like A Baby
B2 Country Girl, City Man
B3 Fa Fa Fa (Sad Song)9
B4 98.6
B5 By The Time I Get To Phoenix
B6 What’s A Matter, Baby?

バリー・セント・ジョン(Barry St John)のシングル(EP)

1964年

①Bread And Butter / Cry To Me
②A Thing Of The Past / A Little Bit Of Soap ‎(7″, Single) 

1965年

③Mind How You Go 
④Gotta Brand New Man ‎(7″, Single) 
⑤Hey Boy / I’ve Been Crying 

1966年

⑥Everything I Touch Turns To Tears 

1968年

⑦Cry Like A Baby 

1969年

⑧By The Time I Get To Phoenix ‎(7″)

1974年

⑨My Man / Bright Shines The Light 

1975年

⑩I Won’t Be A Party / Do Me Good 

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