カルメラ・コーレン(Carmela Corren)について【イスラエル】

カルメラ・コーレン(Carmela Corren)について【イスラエル】
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チューリッヒ(Zurich)に拠点を置いたマネージャーのウィリー・シュミット(Willy Schmid)のもと、イスラエル人の「カルメラ・コーレン(Carmela Corren)」はドイツ語圏の国々でスターとなった。

彼女は主に感傷的なシュラガー、特に“Eine Rose aus Santa Monica”や1963年のコンテスト『Eurovision song contest』へのオーストリアのエントリー曲“Vielleicht geschieht ein Wunder”で有名だが、何枚か素晴らしいポップスもレコーディングしている。

カルメラ・コーレン(Carmela Corren)の生い立ち

1938年2月14日、本名カルメラ・ビズマン(Carmela Bizman)として、イスラエルの都市テルアビブ(Tel Aviv)に生まれる。

彼女はダンスへの情熱と共に育ち、15歳でプロとして踊り始めるが、事故によりダンサーとしてのキャリアは閉ざされてしまう。

落胆した彼女は、他にパフォーマンスを続けられる道を探し、17歳の時に合唱団の一員として地元の劇場で歌手として活動を始めた。

国民兵役の呼び出しで活動を停止したが、実際、軍での仕事は彼女のキャリアを大きく押し上げることになった。エド・サリヴァン(Ed Sullivan)が主催するアメリカのバラエティーショーの撮影クルーたちが彼女に目を付け、ニューヨークでショーに出るよう招待したのだ。

続いてすぐロンドン、マドリッド、パリ、ローマでのライブ出演を果たし、彼女はまたクリフ・リチャード(Cliff Richard)のアフリカツアーでのサポートアクトも務めた。

カルメラ・コーレンはチューリッヒを拠点に置く、歌手兼プロデューサーのウィリー・シュミットに見初められ、彼にプロデュースされることになり、彼を通してレコード会社「Ariola」と契約を結んだ。

1961年

彼女初のシングルとなる“Sei nicht traurig, geliebte Mama”が1961年の秋に発売された。

この曲はユダヤのフォークソングの翻訳版で、すぐにドイツチャートの24位を記録した。

1962年

この成功により1962年のコンテスト『Deutsche Schlager-Festspiele contest』へ招待された。

彼女のエントリー曲である感傷的な“Eine Rose aus Santa Monica”は残念ながら8位に終わってしまうが、ドイツの買い手たちは彼女の激しい訛りのある歌い方に魅力を感じ、この曲は大きなヒットとなった。3か月の間トップ10に留まり、ピークは3位を記録した。

1963年

同様にセンチメンタルな“Die Nacht ist so schön”や“Surabaya”が翌年に発売。ちなみにこれらはオランダで人気となった。

この成功により映画出演依頼も受け、18か月の間に少なくとも5本の映画に出演した。

『Drei Liebesbriefe aus Tirol』や『Sein bester Freund』、『Sing, aber spiel nicht mit mir』などである。

彼女はこの多忙な時期も、レコーディングを続けた。しかし、コンテスト『Schlager-Festspiele』で以前のパフォーマンスを上回ろうとする試みは、悲惨な結果となった。彼女の“Wer in deine Augen sieht”は1963年の決勝ラウンド前に脱落してしまい、またシングルの売り上げも伸びなかった。

しかし、彼女の評判はオーストリアのテレビ局「ORF」の耳に届いた。コンテスト『Eurovision song contest』で2度低い順位に終わってしまったので、彼らは1963年にはこの国に幸運をもたらしてくれるような歌手を探していたのだ。

彼女は彼らからの招待を受け入れ、すぐに開催地ロンドンへと飛び、“Vielleicht geschieht ein Wunder”を披露。

この曲はセンチメンタルなバラードで、彼女の声とよく合っており、またここ数年間いい成績を残してきた曲とも同じような種類の曲であった。歌のタイトルのように奇跡は起こらなかったが、名誉ある7位という結果であった。

ドイツに戻り“Drei weiße Segel”でチャート入りを逃した後、もう一度バラをテーマにした“Rosen haben Dornen”で再び成功を収めた。この曲は8位を記録し、その年の終わりに4か月間チャートに留まった。これが彼女の最後のトップ10ヒットとなる。

1964年

“Einmal reicht uns das Glück die Hände”とキャッチーな“Es kommt alles einmal wieder”は1964年になんとかドイツチャートトップ30に食い込んだ。

1965年

“Abschiednehmen tut so weh”で1965年に再びトップ20に返り咲くが、短い期間に過ぎなかった。続く“Einmal da kommst du wieder”は34位に留まった。

ちなみにB面の“Komm schau mich an”はヘレン・シャピロ(Helen Shapiro)“ Look who it is”のカバーで、これはファンの間で人気を保っている。

今度はスイス代表として、コンテスト『Eurovision』に優勝しようという2度目の試みもまた失敗に終わる。“Eines Tages”も“Ay ay lachende Sonne”もスイス代表には選ばれなかったのだ。

彼女の歌が悪いということが問題なのではなく、ただ少しだけ時代遅れで単調だっただけだ。実際多くの曲は、クリスチャン・ブルーン(Christian Bruhn)、ゲオルグ・ブッシュコン(Georg Buschor)、クルト・ヘルサ(Kurt Hertha)といったトップソングライターが作曲した申し分のない作品であった。

1966年

皮肉なことに、彼女が時代と共に変わり始めたちょうどその頃、「Ariola」は彼女への興味を失ってしまった。

ペトゥラ・クラーク(Petula Clark)“ Round every corner”のカバーである1966年の“Heut’ oder morgen”は、おそらく長い間の彼女のリリースの中でベストだろう。

しかし、彼女の昔からのファンには受けず、また儲けの見込めるティーンたちの関心を引くこともできなかった。

1967年

これが失敗に終わった時、彼女のレコード契約は更新されなかった。

しかし翌年に、プロデューサーのホルスト・ガイガー(Horst Geiger)との結婚という形で幸運が訪れた。

流行の先端を行くレコード会社「Vogue」は、彼女が最後のレコードでやろうとしていたことに目をつけ、そして彼女にはまだ可能性があると見込んだ。

イタリアの歌手カテリーナ・カゼッリ(Caterina Caselli)の大きなヒット曲“Perdono”のカバーである素晴らしい“Verzeih mir”が、このレコード会社からのデビュー曲として1966年に発売された。

クロード・フランソワ(Claude François)のフランスでのヒット曲“Même si tu revenais”のカバーである、同様に素晴らしい“Alles war ein Traum”が続いて1967年に発売された。

どちらの曲も期待されたほど売り上げは伸びず、“Greensleeves (of all things)”のカバー“Eine glutrote Rose”で彼女は再びバラをテーマにした。

1968年

1968年にレコード会社を「Decca」へと移り、イタリア人歌手リカルド・デル・トゥルコ(Riccardo del Turco)“ Luglio”のカバー“Heiß wie die Sonne”を発売するが、イギリスのグループ「ハーマンズ・ハーミッツ(Herman’s Hermits)」によるバージョンである“Something’s happening”に完全に負けてしまう。

彼女たちのバージョンは、ドイツでもイギリスでもトップ10に入るヒットとなった。

さらに「Decca」からシングル“Ich breche alle Brücken”と“Im Land der Rosen”(そう、再びバラである)を発売するが、売り上げは伸びなかった。

1970年代、その後

1970年にガイガーと離婚すると、70年代の残りの多くの時間をアメリカで過ごし、その後1979年に戻ってこようとするのだが、このプロジェクトは幾らか熱の欠けたもので、たった1、2枚レコーディングをしただけに留まった。

彼女は現在フロリダ(Florida)に住んでいる。

出典:Ready Steady Girls

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カルメラ・コーレン(Carmela Corren)のディスコグラフィ

カルメラ・コーレン(Carmela Corren)のシングル(EP)

  1. The History Of Love/Te-Amo-A-Ti ‎(7″)  1958
  2. Rendezvous Mit Carmela Corren ‎(7″, EP) 1960
  3. Sei Nicht Traurig, Geliebte Mama ‎(7″, Single)  1961
  4. Eine Rose Aus Santa Monica / Irgendwie Geht Es Immer Weiter 1962
  5. Die Nacht Ist So Schön ‎(7″)  1962
  6. Surabaya ‎(7″, Single, Mono)   1962
  7. Rosen Haben Dornen   1963
  8. Always You ‎(7″, EP)  1963
  9. Wer In Deine Augen Sieht ‎(7″, Single, Mono) 1963
  10. Vielleicht Geschieht Ein Wunder ‎(7″, Single)  1963
  11. Einmal Reicht Uns Das Glück Seine Hände ‎(7″, Single, Mono)  1964
  12. Es Kommt Alles Einmal Wieder ‎(7″, Single, Mono) 1964
  13. Mama Jamaica ‎(7″, Single) 1965
  14. Abschiednehmen Tut So Weh ‎(7″, Single, Mono) 1965
  15. Verzeih Mir (Perdono) ‎(7″, Single) 1966
  16. Heut Oder Morgen (Round Every Corner) / Solang’ Man Träumen Kann ‎(7″, Single, Mono) 1966
  17. Eine Glutrote Rose / Donna Donna ‎(7″) 1967
  18. Alles War Ein Traum ‎(7″, Single) 1967
  19. Heiß Wie Die Sonne ‎(7″, Single)  1968
  20. Im Land Der Rosen / Abends In Nathanya ‎(7″, Single)  1969
  21. Hava Nagila ‎(12″, Maxi)  1979
  22. Der Feine Gentleman ‎(7″, Single) 発売日不明
  23. Eine Rose Aus Santa Monica ‎(7″, Single)発売日不明

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