レディ・リー(Lady Lee)について【イギリス】

レディ・リー(Lady Lee)について【イギリス】
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イギリスの女性歌手「レディ・リー(Lady Lee)」=現在はリー・エベレット・アルキン(Lee Everett Alkin)で知られている は、1960年代に、恋人ビリー・フューリー(Billy Fury)や、そして後には夫のケニー・エベレット(Kenny Everett)といったトップスターたちの中で、刺激的な生活を送った。

しかし彼女のレコーディング活動は、とても短かった。アール・ジャン(Earl-Jean)のカバー“ I’m into something good”でのデビューは、ハーマンズ・ハーミッツ(Herman’s Hermits)のライバルバージョン発売により、軌道から外れてしまったのだ。

1960~1970年代イギリスの女性歌手

レディ・リー(Lady Lee)のバイオグラフィ

レディ・リーは、1937年2月14日、本名オードリー・ミドルトン(Audrey Middleton)として、ヨークシャー(Yorkshire)のシェフィールド(Sheffield)に生まれる。

1958年 20歳~21歳のころ

学校を辞めた後、地元の映画館で案内嬢として働き始める。若くして結婚したが、夫が兵役に出ている間にツアーミュージシャンと恋愛関係になり、離婚した。

流産を経験した後、ロンドンへと移り、1958年にソーホー(Soho)のOld Compton Streetにあるクラブ「The 2i’s Coffee Bar」で歌う仕事を見つけた。

その1年以内にエミール・フォード(Emile Ford)と共にツアーを行い、その後これもまた有名なソーホーの通りにあるキャバレー「The Bag o’ Nails」でパフォーマンスを行った。

支配人のラリー・パーンズ(Larry Parnes)が彼女のマネージャーとなり、この若い歌手をレディー・リーという名前にした。彼は他にも、ダフィー・パワー(Duffy Power)、ビリー・フューリー(Billy Fury)、トミー・スティール(Tommy Steele)、マーティ・ワイルド(Marty Wilde)といったスターを手掛けていた。リーとパワーはお互い惹かれあい、短い期間ではあったが交際した。

しかし状況が変わったのは、ビリー・フューリーに紹介された時だった。ふたりは恋に落ち、その後8年間一緒に暮らすこととなる。

1964年 26歳~27歳のころ

レディー・リーは、「Rockin’ with The 2i’s」という名前で、他のパーンズの歌手たちと共にツアーも行った。

しかし、リーがレコード契約にこぎ着けたのは、1964年になってからだった。

レコード会社「Decca」と契約し、パーンズがアメリカへの旅行中に見つけていた歌で、ジェリー・ゴフィン(Gerry Goffin)とキャロル・キング(Carole-King)作曲、アール・ジャンのアメリカでのヒット“I’m into something good”のカバーを発売した。

新しいレコードに興奮して、リーは致命的な過ちを犯してしまう。

昔の恋人、アレックス・ウォートン(Alex Wharton)にこの曲を聴かせたのだ。ウォートンは1950年代のロックデュオ「The Most Brothers」のひとりで、デュオのもうひとりは、未来のレコードプロデューサー、ミッキー・モスト(Mickie Most)だった。

ウォートンはこのレコードのコピーをモストに渡し、モストは自身が手掛けるハーマンズ・ハーミッツをスタジオへ呼び、急いで彼らのバージョンを発売した。これがイギリスチャートでトップとなり、アメリカではトップ20入りするヒットとなった。

一方で、リーの作品はすぐに忘れ去られてしまった。

1965年 27歳~28歳のころ

立ち直ったレディー・リーは、マネージャーを変えレコード会社「Phil Solomon Agency」へ移った。

スタジオへ戻り、“Ninety nine times out of a hundred”をレコーディングし、1965年5月に発売した。

この曲は、ダスティ・スプリングフイールド(Dusty Springfield)らのヒットの立役者であるアイヴォー・レイモンド(Ivor Raymonde)作曲という、申し分のない血統書付きだったが、リーはこれが「大っ嫌い」だったと言っている。

キャッチーな曲で、またテレビ番組『Juke box jury』や『Thank your lucky stars』でプロモーションを行ったにも関わらず、このシングルは失敗に終わった。ちなみにB面の“I can feel it”も一聴の価値がある。

リーは、レコード会社「Columbia」へ移り、最後のシングルとなる“My whole world (seems to be tumbling down)”を発売した。

この曲は、トニー・マクレー(Tony Macaulay)初めての作曲と考えられており、彼はこれをグループ「The Viscounts」のドン・ポール(Don Paul)と共に書いた。

マクレーはグループ「The Foundations」や「Marmalade」、「The Paper Dolls」らとの仕事でより有名となる。リーは、この曲が自分の作品の中で一番のお気に入りだと言っているが、1965年10月に発売された際には、市場の心を揺さぶることはできなかった。ちなみにまたしても、B面の“Girl”はぜひチェックするべき曲だ。

1967年 29歳~30歳のころ

ヒットを出すことができないまま、リーは引退しサリー(Surrey)にあるフューリーの家へと落ち着いた。ふたりの関係には起伏があり、フューリーが女優のアマンダ・バリー(Amanda Barrie)との関係を始めた時にしばらく別れたが、1967年に完全に破局した。

1969年 31歳~32歳のころ

この頃、DJであり未来のテレビスターとなるケニー・エベレットと知り合い、ふたりは1969年に結婚する。

1970年代、その後…

ケニー・エベレットとは、1970年代後半に別れ、1984年に離婚が成立した。

この頃には、エベレットはゲイであることが世に出ており、リーはスピリチュアリスト、信仰治療師として活動していた。

彼女は2冊の本、1983年に『A happy medium』を、1987年に『Kinds of loving』を出版した。

後に俳優のジョン・アルキン(John Alkin)と再婚し、現在リー・エベレット・アルキンという名前で活動している。

出典:Ready Steady Girls

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レディ・リー(Lady Lee)のディスコグラフィ

レディ・リー(Lady Lee)のシングル(EP)

  1. I’m Into Something Good 1964
  2. Ninety Nine Times Out Of A Hundred  1965

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