ビリー・デイヴィス(Billie Davis)について【イギリス】

ビリー・デイヴィス(Billie Davis)
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ビリー・デイヴィス(Billie Davis)はイギリスの女性ビートサウンドの先駆者のひとりである。

独特のボーカルで、即座に彼女と認識することができるし、ボブの髪型とロングブーツ、レザーのスカートといったスタイルは、その時代の雰囲気を要約している。

しかし、彼女のキャリアは、彼女にふさわしい成功を妨げるような不運によって破滅してしまう。

ビリー・デイヴィス(Billie Davis)の生い立ち

ビリー・デイヴィスは、1945年12月22日、本名キャロル・ヘッジス(Carol Hedges)としてサレー(Surrey)のウォーキング(Woking)に生まれる。

学校卒業後、彼女の音楽活動を切り開くことになるタレントコンテストで優勝するまでの少しの間、エンジニア会社の秘書として働いた。

クリフ・ベネット(Cliff Bennett)とレコード会社「Rebel Rousers」がそのコンテストのバックに付いており、ベネットはビリーに、プロデューサーのジョー・ミーク(Joe Meek)に連絡を取るよう勧めた。

ミークは彼女の独特のボーカルを気に入り、“Merry go round”“ Mister Right”といった数曲を彼女にレコーディング。

彼のスタジオに出入りする間にビリー・デイヴィスは、ロバート・スティグウッド(Robert Stigwood)とも出会った。彼はミークが手掛けているもうひとり、チャートトップを出しているジョン・レイトン(John Leyton)をマネジメントしていた。

スティグウッドがビリーに手を掛けた時、ミークは彼らがレコーディングしたものから、彼女のボーカルを消し去った。

ちなみに後にグニラ・ソーン(Gunilla Thorn)とキム・ロバーツ(Kim Roberts)に置き換えられている。

スティグウッドはビリー・デイヴィスというステージネームを彼女に与え、スターダムへ押し上げる身支度を整えた。ちなみにこの名前は、歌手ビリー・ホリデイ(Billie Holiday)とエンターテイナー、サミー・デイヴィス・ジュニア(Sammy Davis Jnr)に対するある種の敬意を表している。

1962年

彼は初め、彼女にマイク・サーン(Mike Sarne)とチームを組ませ、発売したコミカルなデュエットの“Will I what?”は1962年9月にイギリスチャートトップ20に入るヒットとなった。

この曲でビリー・デイヴィスは、サーンの引き立て役を務めている。ちょうど、未来のテレビ女優ウェンディ・リチャード(Wendy Richard)がその年前半のナンバーワンヒットとなった“Come outside”で務めたように。

しかし、彼女は目新しい作品を作ることに熱心ではなく、レコード会社「Decca」と新しく契約を結び、ソロデビューのために何かいい作品を探した。

当初リトル・エヴァ(Little Eva)の“The locomotion”をカバーすることを考えていたが、アメリカへの旅の途中でグループ「エキサイターズ(The Exciters)」の“Tell him”を耳にした。

旅から戻る途中、彼はビリーをすぐにスタジオへと送り、この曲のレコーディングを急いだ。同じくこれをレコーディングしたアルマ・コーガン(Alma Cogan)より優位に立ちたかったからだ。

1963年

この策略はうまくいき、1963年2月にビリーのバージョンはイギリスチャートトップ10入りを果たした。

グループ「ビートルズ(The Beatles)」の国内ツアーのサポートをしていたヘレン・シャピロ(Helen Shapiro)のギグで2度代役を務めた後、ビリーはライブでパフォーマンスする経験を得た。

こうした露出が更なるヒットを生むために役立つはずだったのだが、“He’s the one”という二流の選択をしたことで、無駄になってしまった。

この曲は、サマンサ・ジョーンズ(Samantha Jones)やフランソワーズ・アルディ(Françoise Hardy)の素晴らしい曲を作曲したチャールズ・ブラックウェル(Charles Blackwell)による作曲だったのだが、彼の仕事の中でも素晴らしい出来であるとは言えず、数か月後、40位から動かなくなった。

このタイミングで、彼女はレコード会社を「Decca」から「Columbia」へ移る。

しかし、ビリー・デイヴィスのキャリアは1963年の9月で停止する。

ウエスト・ミッドランズ(West Midlands)のイブシャム(Evesham)でのコンサートから戻る途中、グループ「シャドウズ(Shadows)」の前ギタリスト、ジェット・ハリス(Jet Harris)と共に交通事故に巻き込まれてしまったのだ。

ビリーは顎を骨折し、ハリスは頭に重傷を負った。

彼女の状態では、新しいレコード会社からのファーストリリース“Bedtime stories”をプロモーションすることはできず、この曲は跡形もなく消えてしまう。

一番の問題だったのは、ハリスと彼女との関係について、タブロイド紙が彼女を悪者として扱ったことだ。

彼は妻と別れてはいたものの、法律上はまだ婚姻関係にあったのだ。

その後、グループ「レインドロップス(The Raindrop)」“That boy John”のカバー曲と、イエイエガール、シェイラ(Sheila)のフランスでのミリオンセラー“L’école est finie”のカバー“School is over”を発売したが、どちらも状況を変えることはできなかった。

1964年

1964年9月に発売された“Whatcha gonna do”では、より適したプロモーション方法を採った。

ビリー・デイヴィスとリロイズ(Leroys)のおかげでこの曲は“Tell him”の頃の活気を取り戻し、彼女は映画『Pop gear』でこれをパフォーマンスした。しかしどういう訳か、この曲もまた失敗に終わる。

マネジメント変更のため、レコード会社を「Pye’s Piccadilly」の子会社へ移ることになった。

1965年

新しいレコード会社からのファーストリリースは、バート・バカラック(Burt Bacharach)とハル・デヴィッド(Hal David)作曲の素晴らしい曲“The last one to be loved”で、1965年3月に発売された。

しかし、悲しいことにこの曲でも、そして続く、すてきなスタッカートの曲“No other baby”でも、チャートへと舞い戻ることはできなかった。

この頃、ビリー・デイヴィスは、キース・パウエル(Keith Powell)とも仕事をしており、“When you move, you lose”や“You don’t know like I know”といったデュエット曲も何枚か発売した。

1966年

ソロ活動としては、1966年4月に“Heart and soul”を発売したが、これもまたがっかりする結果となる。

レコード会社「Motown」のグループ「グラディス・ナイト・アンド・ザ・ピップス(Gladys Knight and the Pips)」のカバー“Just walk in my shoes”は一流であったのだが、しかしこれも売り上げは伸びなかった。

ちなみにこの曲は発売以来、イギリスのノーザンソウルクラブのダンスフロアを盛り上げ続けている。

1967年

1967年に再び「Decca」へと戻り、マイケル・オルドレッド(Michael Aldred)の指示を仰ぐようになると、ようやく彼女は息を吹き返し始める。

彼女は、テレビの音楽番組『Ready, steady, go!』の司会者にプロデュースしてもらうことを復活の条件にした。

新しいレコード会社からのファーストシングルは、キャロル・キング(Carole King)作曲“Wasn’t it you”の胸を刺すようなカバー曲で、これは珠玉の作品となったが、チャートには上らなかった。ちなみにこの曲は元々ペトゥラ・クラーク(Petula Clark)のアルバムのための曲である。

その年の後半、オルドレッドはビリー・デイヴィスに、キキ・ディー(Kiki Dee)、マデリン・ベル(Madeline Bell)、そしてP.P.アーノルド(PP Arnold)のバックボーカルで“Angel of the morning”をレコーディングさせた。

アーノルドは自身のバージョンでもこの曲をレコーディングし、それがイギリスでヒットとなった。ビリーはこの曲がヨーロッパの他の国で、より大きな成功を得たことに満足していた。

1968年

彼女は続けて、1952年のルイ・ジョーダン(Louis Jordan)の曲のカバーで、エリー・グレニッチ(Ellie Greenwich)が以前アメリカで発売した、ノリのよい“I want you to be my baby”を発売した。彼女は自身の曲の中でこれが一番のお気に入りだと語り、これは大きな成功へとつながるサインだった。

しかしながら、レコード工場のストライキにより入手可能数が減り、この曲は1968年11月にイギリスチャートの33位に入るに留まった。これはノーザンソウルダンスシーンでのもうひとつのお気に入りとなっている。

これはスペインでより成功し、スペイン市場でのシングルリリースの前触れとなった。

1969年

続くイギリスでのレコードは、一流の“Make the feeling go away”が1969年1月に発売され、続いて5月には物悲し気な“I can remember”が発売された。

ちなみにB面には、同様にすばらしい“Nobody’s home to go home to”が収録されている。

“Nights in white satin”のカバー曲の発売で、この10年の締めくくりとなった。この曲もまたスペインでより人気となり、ソウルシンガー、ドリス・トロイ(Doris Troy)のバックボーカルと共にスペイン語での曲“Venid conmigo”がレコーディングされた。

1970年代 その後…

イギリスでさらに1枚のシングル、ジョー・コッカー作曲の“There must be a reason”を1970年に「Decca」から発売した。音楽業界での8年の活動を経て、彼女はデビューアルバムを発売するに至った。

このアルバムのハイライトとしては、元々はテリー・リンジー(Terry Lindsay)がアメリカでレコーディングした“It’s over”、スペインでビリーがシングルとして発売した“Billy sunshine”などである。

海外で人気となり、彼女は「Decca」と、そしてイギリスを去り、スペインへ向かった。

バルセロナ(Barcelona)に拠点を置き、1970年代と80年代初期にかけてレコーディングを続けた。

1972年の“I tried”、1976年の“I’ve been loving someone else”、1977年の“I’ll dance the ants back into your pants”、そして1980年のスペイン語の“Chico, dame más amor”などである。

1990年代後半、彼女は昔の恋人、ジェット・ハリスのコンサートに再び参加した。

出典:Ready Steady Girls

ビリー・デイヴィス(Billie Davis)について【イギリス】の口コミ

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ビリー・デイヴィス(Billie Davis)について【イギリス】のディスコグラフィ

ビリー・デイヴィス(Billie Davis)のシングル(EP)

1963年
Tell Him 

Tell Him 

He’s The One  

Bedtime Stories ‎(7″, Single) 

1964年

Billie Davis And The Leroys* – Whatcha’ Gonna Do

School Is Over  

That Boy John ‎(7″) 

1965年

No Other Baby 

The Last One To Be Loved / You Don’t Know

1966年

Heart And Soul

Keith (Powell)* & Billie (Davis)* – Swingin’ Tight / That’s Really Some Good ‎(7″, Single) 

Billie Davis And Keith Powell (2) – You Don’t Know Like I Know / Two Little People ‎(7″, Single) 

Keith Powell (2) And Billie Davis – When You Move You Lose ‎(7″, Single)

1967年
Angel Of The Morning

Angel Of The Morning

Wasn’t It You

I Want You To Be My Baby 

1969年

Nights In White Satin 

Make The Feeling Go Away / I’ll Come Home

I Can Remember / Nobody's Home To Go Home To 

I Can Remember / Nobody’s Home To Go Home To 

Billy Sunshine / I'm In Love With You ‎(7") 

Billy Sunshine / I’m In Love With You ‎(7″) 

1970年

There Must Be A Reason / Love 

Venid Conmigo / Love ‎(7", Single)

Venid Conmigo / Love ‎(7″, Single)

1971年
Pigeon / This Time Is Mine ‎(7") 

Pigeon / This Time Is Mine ‎(7″) 

1972年
I Want You To Be My Baby 

I Want You To Be My Baby 

Hold tight / I Tried ‎(7", Single) 

Hold tight / I Tried ‎(7″, Single) 

I Tried ‎(7″, Single, Promo) 

1976年

I’ve Been Loving Someone Else 

Any Way That You Want Me

1977年

I’ll Dance The Ants Back In Your Pants

1978年

Run Joey Run

Run Joey Run ‎(7″, Single, Promo) 

1980年
Chico, Dame Mas Amor / It's Not That I Don't Love You

Chico, Dame Mas Amor / It’s Not That I Don’t Love You

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