ザ・ブレイカウェイズ(The Breakaways)について【イギリス】

ザ・ブレイカウェイズ(The Breakaways)について【イギリス】
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イギリスのガールズグループ「ザ・ブレイカウェイズ(The Breakaways)」は、別のグループ「ヴァーノン・ガールズ(Vernons Girls)」をその名の通り「ブレイクアウェイ(break away):脱退」した3人で結成された。

彼女たちは、1960年代にイギリスで最も需要のあるセッションシンガーとなった。

この時期のチャートトップのレコードで、ザ・ブレイカウェイズのバックボーカルを聞くことができるし、また彼女たち自身も、高く評価されるシングルを何枚か発売している。

ザ・ブレイカウェイズ(The Breakaways)のバイオグラフィ

1962年

ザ・ブレイカウェイズは、1962年にベティ・プレスコット(Betty Prescott)、マーゴ・クアントレル(Margo Quantrell)、ヴィッキー・ハスマン(Vicki Haseman)で結成された。

3人ともイギリス北西のリバプール(Liverpool)出身である。

1963年にジャン・ライダー(Jean Ryder)がベティの後任となった。後に、アン・オブライエン(Ann O’Brien)やリン・コーネル(Lynne Cornell)がこのグループと共に頻繁にパフォーマンスを行うようになる。

このトリオは元々、大きなガールズグループ「ヴァーノン・ガールズ」のメンバーであり、このグループは、ギャンブルの広告を禁止する法律を掻い潜り、サッカー賭博の宣伝をするために結成された。

ちなみにサマンサ・ジョーンズ(Samantha Jones)もこの16人組ガールズグループの一員であった。

3人はこのグループを抜け、生意気で安易な名前のグループ「ザ・ブレイカウェイズ」を結成し、ロンドンへと向かった。

そこで自分たちでマネージャーを見つけ、レコード会社「Pye」と契約を結ぶ。

彼女たちはグループ「ジョー・ブラウン・アンド・ザ・ブラヴァーズ(Joe Brown and the Bruvvers)」の“A picture of you”にバックボーカルとして参加し、この曲は1962年の春にトップ3を記録するヒットとなる。

ザ・ブレイカウェイズのボーカルは質が高く順応性があったので、レコード会社を問わず、その時代のたくさんのトップアーティストたちのバックボーカルを務めることとなった。

彼女たちはおそらく、セッションシンガーとしての仕事が一番有名であろう。

1960年代から70年代にかけて、数々のトップアーティストのバックを務めた。

例をあげると、シラ・ブラック(Cilla Black)、ダスティ・スプリングフイールド(Dusty Springfiel)、ジャッキー・トレント(Jackie Trent)、ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)、ルル(Lulu)、マリアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithfull)、オリビア・ニュートン=ジョン(Olivia Newton-John)、ペトゥラ・クラーク(Petula Clark)、トム・ジョーンズ(Tom Jones)やグループ「ウォーカー・ブラザーズ(the Walker Brothers)」

とほとんど、当時のブリットポップのバックサウンドを彩っているのがわかるだろう。

ザ・ブレイカウェイズはまた、自分たちでもたくさんのレコードを発売した。

アメリカのガールズグループ「クリスタルズ(Crystals)」の“He’s a rebel”を、幾分上品にカバーした彼女たちのバージョンが1962年10月に発売され、このグループのファーストリリースとなった。B面には“Wishing star”が収録されている。

1963年

1963年2月に公開された映画『Just for fun』で再びジョー・ブラウンと共に仕事をした。

ちなみにヴィッキーは後にブラウンと結婚。1980年代の歌手サム・ブラウン(Sam Brown) は彼女たちの子供である。

ベティがその年グループを去ると、別の元「ヴァーノン・ガールズ」のジャン・ライダーがその後任となった。

彼女はそれまでマギー・ストレダー(Maggie Stredder)と共にグループ「ツー・トーンズ(the Two Tones)」や「デライン・シスターズ(the DeLaine Sisters)」で仕事をしていた。

ここからこの、ジャン、マーゴ、ヴィッキーというメンバーで、一番長く活動。

その年の11月、セクシーな黒一色の衣装で、新しいレコードをプロモーションするために再スタートをした。“That boy of mine”がA面曲に選ばれ、これは「Pye」のA&R担当であった、トニー・ハッチ(Tony Hatch)作曲であった。

彼は後に、ペトゥラ・クラークの多くのヒット曲を作曲することになる。

多くの人にとってはB面のキャッチーな“Here she comes”のほうが人気がある。この曲はジェフ・バリー(Jeff Barry)とエリー・グレニッチ(Ellie Greenwich)による曲のカバーで、元はアメリカのガールズグループ「ダーレット(the Darlettes)」がレコーディングしたものだ。

マーゴはウェンディ・リチャード(Wendy Richard)とビリー・デイヴィス(Billie Davis)が、マイク・サーン(Mike Sarne)による目新しいレコード“Hello lover boy”に顔を出す際に共に従った。

1964年

その後、ザ・ブレイカウェイズは3枚目のシングルとなる、ハッチ作曲の“That’s how it goes”を1964年3月に発売。

B面には、アイヴォー・レイモンド(Ivor Raymonde)と、ジャンの未来の夫となるマイク・ホーカー(Mike Hawker)作曲の“He doesn’t love me”が収録され、これもまたファンのお気に入りとなった。

3枚目と4枚目のシングルの4曲すべてが入ったEPが、フランスでレコード会社「Vogue」から発売された。

1965年

1965年、バート・バカラック(Burt Bacharach)にバックボーカルを提供し、巨大なヒットとなった“Trains and boats and planes”のクレジットに「コーラス(and chorus)」として名を残すことに成功した。

その年に公開された、ジュリー・クリスティ(Julie Christie)の映画『Darling』のサウンドトラックでも、彼女たちの歌を聴くことができる。

幾らか好奇心の湧く選択をし、1965年11月に“Danny boy”のカバー曲を発売したが、より高く評価されたのはまたしてもB面の“Your kind of love”であった。

これは、かつてのロッカー、マーティ・ワイルド(Marty Wilde)による作曲で、ザ・ブレイカウェイズの洗練されたボーカル能力をうまく示している。

彼は元「ヴァーノン・ガールズ」のジョイス・ベイカー(Joyce Baker)の夫で、後にサンディ・ショウ(Sandie Shaw)やルルらのために(そしてもっとずっと後には彼の未来の娘であるキム(Kim)のためにももちろん)作曲を行うのに先駆け、作曲能力を磨いていたところであった。

1966年

ザ・ブレイカウェイズはITVの番組『Ready steady go!』のレギュラーとなり、1966年に、別の元「ヴァーノン・ガールズ」のアン・オブライエンが、産休中のジャンの代役として初めてこのグループと共に出演した。

彼女はその後も数年に渡り、必要があれば何度か参加していた。

1967年

1967年には、豪華な曲“Sacred love”をレコード会社「CBS」から発売した。

ちなみにB面には“Don’t be a baby”が収録。一方、セッションの仕事としては、“Tony Hatch Sound”のカバーである、フランシス・レイ(Francis Lai)の“Live for life”にボーカルを提供するなどしていた。

翌年、ザ・ブレイカウェイズはピンクのベビードールのドレスを身にまとい、クリフ・リチャード(Cliff Richard)の「Royal Albert Hall」での舞台のバックを務めた。

これは彼がコンテスト『Eurovision』で“Congratulations”により栄光を掴んだことを披露するものだった。

ちなみに彼はスペインの歌手マッシェル(Massiel)に敗れている。

1968年

ザ・ブレイカウェイズは、レコード会社「MCA」へ移り、1968年5月に“Santo Domingo”を発売するが、がっかりする結果であった。

B面に“So in love are we”が収録されたこのシングルが、彼女たちの最後のリリースとなった。
この年彼女たちは、「マーク・ワーツ・オーケストラ・アンド・コーラス(Mark Wirtz Orchestra and Chorus)」のLP『Come back and shake me』にボーカル提供もしている。

1970年代 その後…

その後も数年間に渡り、ザ・ブレイカウェイズは、セッションシンガーとして、グループでも個人でも活動を続けた。

ヴィッキーは夫のグループ「ブラウンズ・ホーム・ブリュー(Brown’s Home Brew)」に1970年代初期に加わり、またグループ「ツリー・ピープル(Tree People)」や「ニュー・ロンドン・コーラル(New London Chorale)」の一員としてレコーディングも行った。

グループは1970年代中期に形式上解散し、ヴィッキーは1991年にがんでこの世を去った。

出典:Ready Steady Girls

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ザ・ブレイカウェイズ(The Breakaways)について【イギリス】のディスコグラフィ

ザ・ブレイカウェイズ(The Breakaways)のシングル(EP)

  1. He’s A Rebel ‎(7″)   1962
  2.  Ken Cope* & The Breakaways – Hands Off, Stop Mucking About  1963
  3. That Boy Of Mine  1963
  4. That’s How It Goes / He Doesn’t Love Me  1964
  5. Danny Boy / Your Kind Of Love ‎(7″, Single)   1965
  6. Sacred Love  1967
  7. Santa Domingo  1968
  8. Shell ; The Breakaways / Zulu-Ladies – Hits & Tips ‎(7″, Promo) 発売日不明

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