グレンダ・コリンズ(Glenda Collins)について【イギリス】

グレンダ・コリンズ(Glenda Collins)について【イギリス】
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グレンダ・コリンズ(Glenda Collins)は、無所属のプロデューサー、ジョー・ジョー・ミーク(Joe Meek)が手掛けた最初の女性歌手であった。

1963年から66年の間に、カルトミュージックの珠玉“I lost my heart at the fairground”や“Something I’ve got to tell you”など、彼と共にレコーディングしたたくさんのシングルを発表。

その後、彼の早すぎる死により、彼女のキャリアも短くなってしまった。

グレンダ・コリンズ(Glenda Collins)のバイオグラフィ

グレンダ・コリンズは、1943年12月16日、ロンドンで、彼女へ音楽を奨励する家族の下に生まれる。

12歳の時、キャロル・リーバイス(Carroll Levis)のディスカバリー番組であり、テレビ局「BBC」の子供向けタレント番組出演のオーディションに合格し、そこからさらにラジオやテレビ、劇場の出演につながった。

1960年 15歳のとき

4年後の1960年、グレンダ・コリンズの父親は2曲のデモテープのレコーディングを手伝い、レコード会社「Decca」とのオーディションをセッティングした。

彼女はすぐに契約となり、2枚のシングルが発売。驚くほど大人びた“Take a chance”と、“Oh how I miss you tonight”である。

1961年 16歳のとき

1961年に発売された3枚目のシングルの両面、“Head over heels in love”と“Find another fool”はどちらも、ティーン仲間のヘレン・シャピロ(Helen Shapiro)のファンたちに正面から狙いを定めていた。

しかし3枚とも成功せず、「Decca」との契約は終了した。

父親が彼女のマネージメントを引き継ぎ、異端の無所属プロデューサー、ジョー・ミークとのオーディションをセッティングした。

彼はロンドンのホロウェイ・ロード(Holloway Road)にある、レザーグッズを扱う店の上階のアパートでレコーディングを行い、グループ「トルネイドース(The Tornados)」のインストゥルメンタル“Telstar”で、大きなヒットを出したところであった。

ジョー・ミークと契約を結んだ時、グレンダは非常に喜んだ。

彼女は、彼の情熱と一風変わった手法は、「Decca」時代には感じたことのないような感動を与えたと語っている。

1963年 18歳のとき

ジョー・ミークは、グレンダがレコード会社「HMV Pop」を通して発売したファーストレコードのため、「トルネイドース」をバックに参加させた。その曲“I lost my heart at the fairground”は、メリーゴーランドのサウンドエフェクトを使用しており、カルトミュージック界で大人気となった。

残念ながらジョー・ミーク作曲のこの曲は、新しいマーシー・ビートのサウンドの大騒ぎに敗れ、1963年5月の発売時にはチャートに惜しくも届かなかった。

最新の流行を彼のサウンドに取り入れるため、ジョー・ミークはグレンダとグループ「アウトローズ(The Outlaws)」にチームを組ませ、その年の11月に“If you’ve got to pick a baby”を発売。

グレンダ・コリンズはテレビ番組『Ready steady go!』へ出演したり、『Juke box jury』でヒットに投票されたりしてチャートへ向けて突き進んだが、クリスマス休業のせいで生産数が足りなくなり、期待は潰されてしまった。

1964年 19歳のとき

1964年にダウンビートの“Baby it hurts”を発売し、その後その年の後半に、ポップスと目新しさの間の、どこか黄昏の地に手を出したような次のシングル“Lollipop”を発売した。

この曲は、グループ「ザ・コーデッツ(The Chordettes)」の1958年のアメリカのヒットで、またグループ「マッドラークス(The Mudlarks)」のイギリスヒットでもある。

この選曲にはグレンダ自身も関わっていたが、市場の関心を引くことは全くできなかった。

1965年 20歳のとき

1965年に発売された、バリー・マン(Barry Mann)とシンシア・ワイル(Cynthia Weil)作曲の“Johnny loves me”では、元のスタイルへ戻った。

続く“Thou shalt not steal”は、リッチー・ブラックモア(Richie Blackmore)の素晴らしいギターをフィーチャーしている。

ちなみにブラックモアは、社内バンド「アウトローズ」のメンバーとして、また後には「Deep Purple」や「Rainbow」として、たくさんのグレンダの作品を演奏した。

しかしこれもまたチャートに上ることはできず、グレンダは「HMV Pop」を去った。

彼女はキャバレーや、夏季の「end-of-pier (リゾート地でのショー)」でパフォーマンスを続ける。

1966年 21歳のとき

重要なことは、グレンダ・コリンズはジョー・ミークのそばを離れなかったので、彼は彼女の信頼に応えるべく、1966年にレコード会社「Pye」との契約にこぎ着けた。

こういったことは、このふたりが結婚を考えていることも示唆していた。

だが彼女たちはうまくいってはいたものの、愛し合ってはいなかった。

恐らくジョー・ミークはゲイであったので尚更である。そして彼女たちは賢明にもこの考えを捨て去った。

グレンダ・コリンズの新しいレコード会社からのファーストリリースとして、ジョー・ミークはグループ「ハニーカムズ(The Honeycombs)」の非常に商業的な“Something I’ve got to tell you”を、彼らのアルバムから選んだ。

ケン・ハワード(Ken Howard)とアラン・ブレイクリー(Alan Blaikley)作詞の、見事な浮気の物語である。

「ベイビー、あなたに言わなきゃいけないことがあるの。あなたと一緒にいるときは私は強くなれるけど、あなたがいないと、さみしいの。長くひとりではいられないの。」

と彼女は恋人に打ち明けている。

「ごめんなさい、ごめんなさい。私はあなたに見合わないわ。」と泣いている。

この曲で、彼女はビッグヒットを記録してもおかしくはなかった。しかし問題は、ジョー・ミークは当時のラジオで全く人気がなかったということだ。

どんなに作品が素晴らしくても、ラジオは彼の作品に全く興味を示さなかった。

このことがいくらか、ジョー・ミーク作曲の核ミサイル、いや核爆弾に対する警告の歌“It’s hard to believe it”を説明可能にする。

1966年夏、適切なサウンド効果で完璧な作品となり、発売。

これはカルトミュージック界での地位を確立し、オリジナルレコードのコピーは現在100ポンド以上で売られている。

ジョー・ミークは、グレンダ・コリンズとモッズに大人気のグループ「The Riot Squad」とチームを組ませ、“You’re gonna get your way”と“Yeah, yeah, yeah”をレコーディングした。

この頃には、ジョー・ミークは借金の悪循環、訴訟問題、自身の同性愛(当時のイギリスでは違法であった)におけるや個人的な問題に苦しんでいた。

1967年2月、彼は自身と大家の女性を撃ち、

グレンダ・コリンズのキャリアも実質的に終わりとなった。

その後、彼女は会社勤めをし、キャバレーや結婚式でのみで、歌っている。

出典:Ready Steady Girls

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グレンダ・コリンズ(Glenda Collins)のディスコグラフィ

グレンダ・コリンズ(Glenda Collins)のシングル(EP)

グレンダ・コリンズ(Glenda Collins)のシングル(EP)
  1. Take A Chance ‎(7″)  1960
  2. Head Over Heels In Love ‎(7″)  1961
  3. If You’ve Got To Pick A Baby  1963
  4. If You’ve Got To Pick A Baby ‎(7″, EP)  1963
  5. I Lost My Heart In The Fairground ‎(7″)  1963
  6. Baby It Hurts  1964
  7. Thou Shalt Not Steal ‎(7″, Single)  1965
  8. Something I’ve Got To Tell You    1966
  9. It’s Hard To Believe It ‎(7″, Single) 1966
  10. Lollipop  発売日不明

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