クローダ・ロジャース(Clodagh Rodgers)について【イギリス】

クローダ・ロジャース(Clodagh Rodgers)について【イギリス】
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「クローダ・ロジャース(Clodagh Rodgers)」は、一夜にしてスターになった(overnight sensation)、1960年代最後の女性である。

1960年代を通してリリースしたシングルは成功しなかったが、ソングライターのケニー・ヤング(Kenny Young)の才能のおかげで、1969年の“Come back and shake me”が大きなヒットとなった。

彼女はおそらく、1971年のコンテスト『Eurovision』のエントリー曲である“Jack in the box”と、ポップス界一きれいな脚を持っていたことで最も有名だろう。噂によれば、この脚に100万ポンドの保険を掛けていたと言われている。

クローダ・ロジャース(Clodagh Rodgers)の生い立ち

クローダ・ロジャース(本名)は、1947年3月5日、北アイルランドのダウン州(County Down)、ワーレンポイント(Warrenpoint)に生まれる。

彼女は、アントリム州バリーミーナの音楽一家で育つ。父親はダンスホールのツアープロモーターであった。

そういう環境なので、クローダが初めて音楽の世界に足を踏み入れたのは、わずか12歳の頃と早く、ジム・リーブス(Jim Reeves)やマイケル・ホリデー(Michael Holliday)たちの前座として登場していた。

14歳の頃、父親のつてのおかげで、ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)と共にヨーロッパツアーを行った。

このツアーが終わる頃までには、彼女はロンドンのレコード会社「Decca」から契約のオファーを受けていた。

彼女がこのチャンスを掴めるようにと、家族はロンドン北部のウィルスデン(Willesden)へ引っ越した。「Decca」は彼女を18か月間も待たせることになったのだが…

1962年

ロンドン北部のスター、ヘレン・シャピロ(Helen Shapiro)が、1962年にはチャートの上位常連だったのだが、クローダは最終的に彼女の最後のティーンエイジのライバルとなる。

1962年にファーストレコード “Believe me I’m no fool”が発売。

クローダ・ロジャース(Cloda Rodgers)の名前で発売されたこのシングルは、元気のいいアップビートの曲で、シェル・タルミー(Shel Talmy)によるプロデュースであったが、残念ながらイギリスのレコード市場からは完全に無視されてしまった。

続くリリース“Sometime kind of love”では、クローダ・ロジャース(Cloda Rogers)という、苗字からdを取った名前を使った。

1963年

しかしクライブ・ウェストレイク(Clive Westlake)作曲のこの曲は、1963年3月にリリースされた時には少し時代遅れのようなサウンドだった。

3か月後に発売された3枚目のシングル“To give my love to you”もまた、当時は停滞してしまったが、B面のキャッチーでカントリー&ウエスタンスタイルの“I only live to love you”は現在ファンたちのお気に入りである。

その年のベルギーでのコンテスト『Knokke Cup』で、クローダはイギリスチームの一員として観客を魅了した。そしてイギリスではコメディ映画『Just for fun』にダスティ・スプリングフイールド(Dusty Springfield)、グループ「ブレイカウェイズ(The Breakaways)」、ルイーズ・コーデット(Louise Cordet)らと共に出演した。

1964年

「Decca」からの最後のレコードとなる“Mister Heartache”が1964年1月に発売された。

この曲でパット・ハーベイ(Pat Hervey)はカナダでトップ10入りするヒットを収めるが、クローダはイギリスで失敗した。

新しいマネージャーとレコード会社を探しはじめ、クローダはキース・プロウエス(Keith Prowse)によるマネージメントの下、レコード会社「Columbia」と契約。

1965年

トム・スプリングフィールド(Tom Springfield)とクライブ・ウェストレイク作曲の“Wanting you”は、より成熟したサウンドとなった。

モッズスタイルの髪型で、彼女はこの曲を、新しいレコード会社からのファーストリリースとして1965年1月に発売した。

しかし、今回も関心を引くことはできなかった。

1966年

続いて、ほぼ18か月後の1966年6月に発売された、アラン・ホークショウ(Alan Hawkshaw)作曲の洗練された“Every day is just the same”でさえ、売り上げを伸ばすことはできなかった。

ヨーロッパの他の場所では、この曲のカバーが人気となった。

フランスのイエイエガール、シェイラ(Sheila)によるカバー“La vie est un tourbillon”と、ドイツのスター、アレクサンドラ(Alexandra)によるカバー“Warum?”である。

「Columbia」からの3枚目のリリースは1930年代のエセル・ウォーターズ(Ethel Waters)の曲のカバー“Stormy weather”であったが、これも売れなかった。ちなみにB面の“Lonely room”はファンに評価されている。

前向きなこととしては、クローダは1966年の秋にグループ「ウォーカー・ブラザーズ(The Walker Brothers)」と共に2か月のイギリスツアーを行い、そこでジョン・モリス(John Morris)と出会う。

このふたりは後に結婚し、彼は彼女のマネージャーとなる。

彼のプロフェッショナルな指導の下、クローダはレコード会社「RCA」と契約を結び、バラード“Play the drama to the end”と“Rhythm of love”の2曲を、初めてフルネーム(Clodagh Rodgers)で発売した。

テレビでのプロモーション活動にも関わらず、このシングルは市場からの関心をほとんど集めることはできなかった。

ただ、たったひとり、すっかりクローダに魅了された人物がいた。それがアメリカのソングライター、ケニー・ヤングだった。

彼は「ブリル・ビルディング(Brill Building)」(たくさんの音楽事務所やスタジオが入っているビル)の前作曲家で、グループ「ドリフターズ(The Drifters)」のために作曲した“Under the boardwalk”で最も有名である。

彼は別の作品、グループ「レパラータ・アンド・ザ・デルロンズ(Reparata and the Delrons)」“Captain of you ship”のプロモーションのためにイギリスにいたのだ。

1968年

1968年の10月にテレビ局「BBC」の番組『Colour me pop』でパフォーマンスするクローダを観た後、ヤングは「RCA」に連絡をした。

彼は、クローダ・ロジャースにブレイクヒットとなる曲“Come back and shake me”を提供。

これは元々スコットランドのスター、ルル(Lulu)のための曲だったが、彼女はコンテスト『Eurovision』出場のための予定で忙しかった。

1969年

重い金管楽器とファジーなベース音に満ちているこの曲は、1960年代後半のポップスのクラシックな部分を残しており、すぐにイギリスチャートに上り、1969年春に3位を記録した。

この曲はヨーロッパ各地でも人気となり、クローダ・ロジャースはイタリア市場向けに“Il cuore nella rete”として再レコーディングを行った。

この成功により、彼女はファーストLP発売のため、スタジオへと急いだ。

これはシンプルに『Clodagh Rodgers』とタイトルされた。ヤングはこのアルバムのためにたくさんの新曲を提供した。その中でもベストは、“The colors are changing”と、“Arizona”である。ちなみに“The colors are changing”は、後にスペインのスター、カリーナ(Karina)が“Colores”として発売しヒットとなる。

驚くことに、アルバム曲ではない“Goodnight midnight”が、続くシングルとして1969年6月に発売された。これは4位となった。

その秋に発売された“Biljo”は惜しくもトップ20には入らなかったが、この2曲はどちらも、その年に発売された2枚目のLP『Midnight Clodagh』に収録された。

このアルバムは1枚目よりも野心的であり、注目すべき曲は“Spider”と“Lock me in”である。ちなみに“Lock me in”は、元グループ「キャロルズ(Carrolls)」のリードシンガーで、後にテレビコメディアンとなるフェイス・ブラウン(Faith Brown)も発売した。

1970年

クローダ・ロジャースとヤングはデュエットを組み、1970年初期に「ムーンシャイン(Moonshine)」という名で“Just a little more line”を発売するが、これはヒットとはならなかった。

クローダに再びトップ10入りさせるため、「RCA」は彼女をニューヨークへと送り、そこで彼女は素晴らしい“Everybody go home the party’s over”をレコーディングした。

これは1970年3月に発売されたが、驚くことにトップ40入りすら逃してしまった。

続く“Wolf”も同じような結果となった。非常に人気のテレビ番組『Morecambe and Wise show』で歌った“Tangerines, tangerines”のB面であったにも関わらず、だ。

クローダ・ロジャースは、キャリアを押し上げたくて必死だった。そして、ちょうどサンディ・ショウ(Sandie Shaw)の場合と同じように、コンテスト『Eurovision』という形でそのチャンスが訪れた。

1971年

1971年は、前年にダナ(Dana)が“All kinds of everything”で優勝したことを受けて、ダブリン(Dublin)で開催された。

このことが一番の「問題」だった。

「BBC」は、クローダ・ロジャースがアイルランドの観客に受けがいいという理由で、彼女に近づいたと言われているのだ。

クローダはイギリス決勝で6曲を披露した。おそらくベストは“Another time, another place”で、これは彼女のお気に入りで、後にエンゲルベルト・フンパーディンク(Engelbert Humperdinck)が発売し、トップ20入りするヒットとなる。

しかし、審査員は“Jack in the box”に投票した。

この曲はやや不器用だが非常に口ずさみやすい曲で、4年前のサンディ・ショウの優勝曲“Puppet on a string”を彷彿させる。

彼女はダブリンのステージですべてを出し尽くしたが、モナコ代表のセヴェリーヌ(Séverine)の、明らかに優れた“Un banc, un arbre, une rue”に敗れてしまう。

ちなみにクローダは、モナコの曲が優勝することは分かっていたと語っている。

クローダのパフォーマンスは、歌と同様に見た目も印象深かった。彼女はピンクのシルクのビーズのホットパンツを履いており、踊っている最中に落ちてこないようにそれをブラウスに縫い付けていた。

ちなみに興味深いことに、クローダとは姉妹であるラヴィニア(Lavinia)が、この『Eurovision』のステージでバックボーカルを務めるために「ブレイカウェイズ」に参加していた。

この曲はイギリスチャートで4位となり、これが彼女にとって最後のトップ10入りするヒットとなった。ちなみに彼女はこの曲を、スペイン語で“Caja de sorpresa”として再レコーディング、発売している。

コンテスト出場の裏で、アルバム『Rodgers and heart』が発売された。非常に、当時のメラニー(Melanie)もしくは、グループ「ミドル・オブ・ザ・ロード(Middle of the Road)」のスタイルの“Lady love bug”がピークで28位となり、クローダにとってイギリスで最後のトップ40入りする曲となった。

この頃から彼女はエンターテイメント界へと誘われていき、土曜の夜の番組やバラエティー番組のレギュラーとなった。

この10年を通して、彼女はデ・オコナー(Des O’Connor)やマイク・ヤーウッド(Mike Yarwood)、「ふたりのロニー(the Two Ronnies)」―ロニー・バーカー(Ronnie Barker)とロニー・コルベット(Ronnie Corbett)―といった、ほとんどすべてのセレブたちと共演した。

1976年

彼女はまた時々レコーディング活動も続けた。その中でおそらくベストは1976年の“Save me”であろう。

後に、彼女はロンドンのウエスト・エンド(West End)で2つのミュージカルにも出演した。最初は『Pump Boys and Dinettes』で、2つ目は、ロングランヒットの『Blood Brothers』でミセス・ジョンストン(Mrs Johnstone)として主演を務めた。彼女は1990年代中期、2番目の夫である、バスギタリストのイアン・ソルビー(Ian Sorbie)の死後、この舞台のイギリスツアーを行った。

クローダ・ロジャースはこのツアーの後音楽業界から引退するが、時々メディアのインタビューを受けている。

出典:Ready Steady Girls

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クローダ・ロジャース(Clodagh Rodgers)について【イギリス】のディスコグラフィ

クローダ・ロジャース(Clodagh Rodgers)のアルバム(LP)

クローダ・ロジャース(Clodagh Rodgers)のアルバム(LP)
  1. Clodagh Rodgers 1969
  2. Midnight Clodagh ‎(LP, Album)  1969
  3. Rodgers & Heart ‎(LP)  1971
  4. It’s Different Now ‎(LP, Album)  1972
  5. You Are My Music ‎(LP, Album)  1973
  6. Save Me ‎(LP, Album)  1977

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