カロル・キーズ(Karol Keyes)について【イギリス】

カロル・キーズ(Karol Keyes)について【イギリス】
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イギリスの女性歌手「カロル・キーズ(Karol Keyes)」は、1960年代にアメリカのソウルをカバーしたが成功することはできなかった。しかし、ルアン・ピーターズ(Luan Peters)と名前を変えた後、テレビやスクリーン上に活躍の場を見つけ、1970年代にはバンド「5,000 Volts」と活動した。

1960~1970年代イギリスの女性歌手

カロル・キーズ(Karol Keyes)のバイオグラフィ

カロル・キーズは、1946年6月18日、本名キャロル・ハーシュ(Carol Hirsch)として、ロンドン(London)東部のベスナル・グリーン(Bethnal Green)に生まれる。

最初にステージでパフォーマンスをしたのは4歳の時のパントマイムで、その後シェイクスピア(Shakespeare)の『Twelfth night』に出演した後、16歳の時、演劇の奨学金のオファーを受ける。

養成課程を終えた後、マネージメント会社「Keystone Promotions」と契約を結んだ。

この会社名にちなんで彼女のステージネーム、カロル・キーズ(Karol Keyes)が付けられた。

1964年 17歳~18歳のころ

すぐにレコード会社「Fontana」と契約を結び、1964年12月にファーストシングルとして、レコード会社「Motown」所属のメアリー・ウェルズ(Mary Wells)の曲のカバー“You beat me to the punch”が発売された。高く評価された“No-one can take your place”がB面に収録されている。

その月に、テレビ番組『Thank your lucky stars』でプロモーションを行ったにも関わらず、この作品は失敗に終わり、カロルは静かにレコード会社を去った。

1965年 18歳~19歳のころ

カロル・キーズは、1、2年後に、グループ「Karol Keyes and the Big Sound」を率いて再び姿を見せた。

このバンドは元々「The Fat Sound」として知られていたが、カロルが名前を変えるよう要求した。

理由はまったく明らかだろう。このバンドで、マンチェスター(Manchester)を拠点に数多くのギグに出演した。

1966年 19歳~20歳のころ

1966年にレコード会社「Columbia」とのオーディションのオファーを受け、バンドで参加した。

しかし会社はバンドとしての活動は断り、カロル・キーズをソロとして選んだ。その結果、カロルはグループを抜けた。

ソウルをベースにした彼女のスタイルを貫き、「Columbia」から2枚発売するうちの最初のシングルを発売した。

グループ「アイク・アンド・ティナ・ターナー(Ike and Tina Turner)」のカバー“A fool in love”で、グループ「ザ・キンクス(The Kinks)」のレイ・デイヴィス(Ray Davies)による編曲。

同じ年の後半に発売された2枚目のシングルは、A面にマキシン・ブラウン(Maxine Brown)のカバー“One in a million ”、B面にフォンテラ・ベース(Fontella Bass)のカバー“Don’t jump”が収録されている。

前作と同じように売り上げはゆっくりだったが、この作品はイギリスのノーザンソウルシーンで人気となっている。

1967年 20歳~21歳のころ

おそらく驚くことに、1967年に短い期間レコード会社「Fontana」へと戻り、ポップな“Can’t you hear the music”を発売した。

これも成功しなかったので、故郷へと戻り、「Theatre Royal Stratford East」傘下の演劇学校「Joan Littlewood drama school」に入学することに。

これにより、テレビシリーズ『Dixon of Dock Green』や『Z cars』、『Doctor Who』などでの小さな役を手に入れた。

続いて名前を変えることで、いくらか成功に結び付くこととなる。

トム・ジョーンズ(Tom Jones)らのマネージャーのゴードン・ミルズ(Gordon Mills)は、ウェールズ出身のトム・ジョーンズがヒットしていたことから、彼女にデリラ・ジャクソン(Delilah Jackson)という名前を提案したが彼女はこれを拒み、代わりにルアン・ピーターズという名前を選んだ。

1969年 22歳~23歳のころ

カロル・キーズは、この新しい装いで、1969年の『Pyjama tops』や『A man most likely to』といった芝居に出演した。

1970年 23歳~24歳のころ

1970年にシングル“Crazy Annie”を発売したが関心を集めることはできず、テレビの活動へと戻り、『On the buses』や『Coronation Street』に出演した。

1971年 24歳~25歳のころ

彼女はまた、生意気な男たらしとして、スクリーン上で適所を見出した。1971年に『Not tonight darling』、ハマー・ホラー(Hammer Horror)の『Lust for a vampire』、『Twins of evil』などに出演した。

その年にレコーディングスタジオへと戻り、イギリスで“This love of mine”を、ドイツで“Wenn du mich liebst”を、両方ともレコード会社「Polydor」から発売。

1975年 28歳~29歳のころ

女優業を続け、そしてついに1975年にバンド「5,000 Volts」と共に、イギリストップ5となるディスコヒット“I’m on fire”でチャート上での成功を収める。

ちなみにこの曲はドイツチャートでトップ、イタリアでもトップ10となった。

しかし、思ったような成功をもたらした訳ではなかった。実際には、未来のソロスターとなるティナ・チャールズ(Tina Charles)が、ヨーロッパ中のほとんどのプロモーション活動で、バンドを率いてボーカルを提供したのだ。

ルアンはイギリスのテレビ番組『Top of the pops』に出演しただけだった。

1977年 30歳~31歳のころ

1977年には、ディスコスタイルの“Love countdown ”をレコード会社「CBS」から発売したが、女優業のほうがうまくいっていた。

1976年の舞台『Dirty linen』や、その2年後には『Shut your eyes and think of England』に出演した。テレビでも『Target』、『Robin’s nest』、『The professionals』、『Fawlty Towers』などに出演した。

1990年 43歳~44歳のころ

1990年の『The bill』が、最後のテレビ出演となっている。

出典:Ready Steady Girls

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カロル・キーズ(Karol Keyes)のディスコグラフィ

カロル・キーズ(Karol Keyes)のシングル(EP)

  1.  You Beat Me To The Punch ‎(7″, Mono)  1964
  2. One In A Million / Don’t Jump  1966
  3. A Fool In Love   1966
  4. Can’t You Hear The Music? / The Sweetest Touch ‎(7″, Single, 3-P) 1967

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