エルキー・ブルックス(Elkie Brooks)について【イギリス】

エルキー・ブルックス(Elkie Brooks)について【イギリス】
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イギリスの歌手エルキー・ブルックス(Elkie Brooks)は、1977年の“Pearl’s a singer”で有名となり、ハスキーボイスでよく知られた。ほとんど知られていないことだが、彼女はこの時すでに17年のキャリアを持っており、1960年代にレコード会社「Decca」、「HMV」、ブライアン・エプスタイン(Brian Epstein)の「NEMS」から、たくさんの素晴らしい作品を発売していた。

エルキー・ブルックス(Elkie Brooks)の生い立ち

エルキー・ブルックスは、1945年2月25日、本名エレイン・バインダー(Elaine Bookbinder)としてイギリス北西部のサルフォード(Salford)に生まれ、プレストウィッチ(Prestwich)近郊で育つ。

彼女の家族は音楽一家で、父親は地元のバンドリーダーであり、兄弟のひとりであるトニー(Tony)はトニー・マンスフィールド(Tony Mansfield)という名で、グループ「ビリー・ジェイ・クレイマー・アンド・ザ・ダコタス(Billy J Kramer and the Dakotas)」のドラマーとなった。

1960年 15歳のころ

1960年に学校を卒業後、彼女はロンドンへと向かい、そこで「エリック・デラニー・バンド(Eric Delaney Band)」や、ジャズミュージシャン、ハンフリー・リッテルトン(Humphrey Lyttelton)らと共にパフォーマンスを行った。

しばらくの間、彼女はステージネームとしてエレイン・マンスフィールド(Elaine Mansfield)という名を使っていたが、最終的にエルキー・ブルックスに決めた。

オーディションに合格し、シャロン・オズボーン(Sharon Osbourne)の父親であるドン・アーデン(Don Arden)が彼女のマネージャーとなる。ドン・アーデンは、彼女に「マンチェスターのブレンダ・リー(Brenda Lee)」のような役割を見出した。

後に有名となる彼女のハスキーボイスは、その時はまだ未完成ではあったが…

1964年 19歳のころ

エルキー・ブルックスは、1964年、いよいよレコード会社「Decca」と契約を結ぶ。

「Decca」が最初にしたことのひとつは、彼女をベルギーへ行かせることだった。そこでコンテスト『Knokke Cup』に参加し、ドイツのリア・バルトーク(Ria Bartok)や、オランダのリタ・ホヴィンク(Rita Hovink)、トレア・ドブス(Trea Dobbs)らと競った。

その年の6月、デビューシングル“Something’s got a hold on me”が発売。後にグループ「ヤードバーズ(Yardbirds)」と「レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)」のギタリストとなるジミー・ペイジ(Jimmy Page)が、この曲を演奏したと言われている。

これはアメリカのソウルシンガー、エタ・ジェイムス(Etta James)の2年前の曲のカバーで、非常にリスクの高い選択だった。この曲のゴスペル調のイントロはイギリス市場に馴染みがなく、このレコードは失敗となった。

この曲がオランダで発売された時、オランダのリスナーたちも同様に戸惑いを見せた。バーバラ・ルイス(Barbara Lewis)の優しいバラード“Hello stranger”が、両レコードのB面に収録された。

続いてその年の9月に、素晴らしい“Nothing left to do but cry”が発売され、エルキーはこのシングルを、初めてのテレビ出演も含め熱心にプロモーションした。この曲はイギリスのノーザンソウルダンスシーンで人気となり、ルル(Lulu)もカバーバージョンを発売している。ちなみにB面はブルースの“Strange tho’ it seems”である。

エルキー・ブルックスは、グループ「アニマルズ(The Animals)」らと共にツアーに出演し、ライブでの経験を得た。そして1964年後半、彼女は「ビートルズ(The Beatles)」のツアーを、「ヤードバーズ」、「フレディ・アンド・ザ・ドリーマーズ(Freddie and the Dreamers)」らと共にサポートした。

1965年 20歳のころ

1965年、「Decca」はエルキー・ブルックスとエイドリアン・ポスター(Adrienne Poster)の両方に、グループ「テンプテーションズ(Adrienne Poster)」“The way you do the things you do”のカバー曲をレコーディングさせた。

エルキーのバージョンのみがA面曲として発売され、その年の彼女のファーストシングルとなった。しかし、期待されたようなヒットとはならず、彼女はレコード会社を「HMV」へと移る。

新しいレコード会社での活動は、1965年春に“He’s gotta love me”を発売することから始まった。

これはダンサブルな曲で、コンテスト『Eurovision song contest』を念頭に作曲されたと言われている。キャシー・カービー(Kathy Kirby)が1965年のイギリス代表に選ばれていたが、彼女はこの曲をパフォーマンスしなかった。

エルキー・ブルックスのこの作品は、一般的にこの時期の最高の作品と考えられている。

後にクローダ・ロジャース(Clodagh Rodgers)のヒットの立役者となるケニー・リンチ(Kenny Lynch)がこれの作曲を手伝い、B面の“When you appear”は彼と、シーラ・ブラック(Cilla Black)やダスティ・スプリングフイールド(Dusty Springfield)らのヒット曲を手掛けたクライブ・ウェストレイク(Clive Westlake)とのコラボレーション作品である。

続いてその年の10月、レスリー・ゴーア(Lesley Gore)の優しい曲“All of my life”のカバーが発売された。B面の“Can’t stop thinking of you”は再びブルースのナンバーで、再びリンチによる作曲。

この頃、エルキー・ブルックスはグループ「スモール・フェイセズ(The Small Faces)」に注目しており、彼らに非常に感銘を受けたので、彼らがより仕事をたくさん得られるように助力したり、ステージで彼らを紹介したりもした。

1966年 21歳のころ

1966年2月、“Baby let me love you”が「HMV」からの最後のシングルとして発売

。この曲は再びリンチとウェストレイクによる作曲で、デンマークとドイツでも発売された。

エルキー・ブルックスは「HMV」でレコーディングした作品に対し思い入れがないことを隠そうともせず、「意味のないもの」「深みのないもの」と言い捨てている。

1969年 24歳のころ

1969年、グループ「ジェリー・アンド・ザ・ペース、エイカーズ(Gerry and the Pacemakers)」らのホームである、ブライアン・エプスタインのレコード会社「NEMS」へ参加した時、彼女の落胆は明白になったに違いない。

ルルがコンテスト『A song for Europe』でパフォーマンスし3位となった“Come September”が、この会社からのエルキーのファーストシングルのA面として選ばれた。

これはそれでも、彼女がそれまでの3年間行っていたような、ノーザンクラブのキャバレーでパフォーマンスするよりはマシだった。

「NEMS」からはもう1枚だけ、「エルキー・アンド・オーウェン・アンド・ザ・リム・ラム・バンド(Elki and Owen and the Rim Ram Band)」として“Groovie kinda love”が発売された。

1970年 25歳のころ

1970年、彼女はギタリストのピート・ゲージ(Pete Gage)と出会い結婚し、ロックフュージョンバンド「ダダ(Dada)」を結成する。

ロバート・パーマー(Robert Palmer)がバンドに参加した時、名前を「ヴィネガー・ジョー(Vinegar Joe)」と改め、彼らがライブパフォーマンスで示した性的な相性で、確かな評判を手に入れた。彼らはレコード会社「Island records」との契約に至るが、売り上げは鈍く、バンドは1974年に解散した。

1970年代 その後…

翌年、エルキー・ブルックスはレコード会社「A&M」と契約を結ぶが、彼女が本当のビッグヒットを記録するのは、 “Pearl’s a singer”が1977年に国際的ヒットとなった時だった。

その年の後半に発売された“Sunshine after the rain”、1978年に発売された“Lilac wine”と“Don’t cry out loud”も続いてヒットとなった。1978年に彼女は、エンジニアのトレバー・ジョーダン(Trevor Jordan)と結婚もしている。

3年後、彼女のアルバム『Pearls』が、イギリスの女性歌手のLPの中で最大の売り上げを記録するLPとなる。

79週もの間イギリスチャートに留まり、100万枚以上を売り上げた。1982年、シングル“Fool if you think it’s over”で再びトップ20入りするヒットを収め、1986年に発売された“No more the fool”は彼女の最後のトップ5入りする作品となった。

残りの1980年代、そして90年代も彼女は活動を続けた。

しかし2003年までには彼女の輝きは衰えを見せており、アメリカのテレビのタレントコンテストに、ジーナ・ジー(Gina G)、ソニア(Sonia)、ミッシェル・ゲイル(Michelle Gayle)らと共に出演した。

勝利は掴めなかったものの、彼女に対する関心を復活させる役に立った。

現在も彼女はレコーディングとパフォーマンスを続けている。

出典:Ready Steady Girls

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エルキー・ブルックス(Elkie Brooks)のディスコグラフィ

エルキー・ブルックス(Elkie Brooks)の1960年代のシングル(EP)

  1. Nothin’ Left To Do But Cry / Strange Tho It Seems  1964
  2. Something’s Got A Hold On Me / Hello Stranger   1964
  3. Nothing Left To Do But Cry / Strange Tho’ It Seems ‎(7″, Single)   1964
  4. He’s Gotta Love Me    1965
  5. All Of My Life ‎(7″)  1965
  6. The Way You Do The Things You Do / Blue Tonight ‎(7″, Single)  1965
  7. Come September ‎(7″, Single)  1969

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