ゲル(Gelu)について【スペイン】

ゲル(Gelu)について【スペイン】
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ゲル(Gel)は、スペイン初のイエイエガールのひとりである。1960年にヒットを連発し、60年代初期のスペインで、最も売り上げを記録した女性歌手となった。

彼女はビート時代も受け入れ、ペトゥラ・クラーク(Petula Clark)の“Downtown”のカバー曲は、彼女の中で最も成功した作品のひとつとなった。しかしあいにく、このイギリスのスターのスペイン版に自身がなろうという試みは、失敗に終わった。

ゲル(Gelu)のバイオグラフィ

1945年2月12日、本名マリア・デ・ロス・アンヘルス・ロドリゲス・フェルナンデス(María de los Ángeles Rodríguez Fernández)として、スペインの町グラナダ(Granada)に生まれる。

後にステージネームとして使うゲルは、家族のあだ名であった。

彼女は、地元の音楽学校でピアノと歌を学ぶが、時代遅れな教え方に気付き、うんざりして辞めてしまう。

1958年 13歳のころ

ゲルは、ラジオ局「Radio Granada」のコンテスト『Música al azar contest』で勝利をつかんだことで、グラナダとマドリッド(Madrid)では、13歳の彼女の前には、たくさんの未来の扉がひらかれた。

しかし、ラジオ局「Radio Madrid」のオーディションを受けた時には、断られてしまう。

恐れ知らずの彼女は、父親のコネを使い、スペインのテレビ局「TVE」のジーサス・アルバレジ(Jesus Alvarez)に紹介してもらうことに。

ジーサス・アルバレジはゲルを気に入り、彼女はすぐにチリのスター、モナ・ベル(Monna Bell)と共にテレビ番組に出演する。

彼女の出演する番組を見て、バルセロナ(Barcelona)拠点のレコード会社「La Voz de su Amo」がすぐに彼女と契約を結びたいと飛んできた。

1960年 15歳のころ

1960年、ゲルは、グループ「チャンプス(The Champs)」“Too many tequilas”のカバー“Después de seis tequilas”で大きなヒットを記録する。

このEPには、ダリダ(Dalida)“ Les gitans”のカバー“Los gitanos”も収録されており、この曲もまた人気となった。

この時から、ゲルの芸能活動は、何をしてもほとんどうまくいった。

続く1~2年、ヒットが続く。

“¿Porqué no soy un ángel?”、“Flamenco rock”、“Enamorada”、そして“La novia”である。

ちなみに“La novia”は、後にジュリー・ロジャース(Julie Rogers)により英語圏で人気となるブラジルの曲のカバーである。

ゲルの初期の作品の多くは、フランス語やブラジル語の曲のカバーのである。

1962年 17歳のころ

1962年を通しさらにヒット曲が続き、ゲルは世間の注目を集め続け、国民のハートを掴み続けた。

エディット・ピアフ(Edith Piaf)“ Non, je ne regrette rien”のカバー“No me puedo quejar”、元々はジルベール・ベコー(Gilbert Bécaud)オリジナルの“Et maintenant”、そしてビッグヒット“Siempre es domingo”などである。

1963年 18歳のころ

1963年から、彼女はイタリア語オリジナル曲に目を向けた。

リタ・パヴォーネ(Rita Pavone)“ La partita di pallone”がオリジナルの、キャッチーな“El partido de fútbol”でその年の幕を開け、これは彼女の作品の中で最も大きなヒットのひとつとなった。

ふたりは声が似ていたので、ゲルはイタリアの赤髪、リタ・パヴォーネオリジナルの曲をさらにレコーディングし続けた。

この頃までには、イエイエ(フランスの新しい音楽の波)のサウンドが人気となり始めており、

ゲルはたくさんのヒット曲を出し、すぐにスペインで最も売れている女性歌手となった。

ディッキー・バレンタイン(Dickie Valentine)“ Free me”のカバー“Dame felicidad”、“Cuatro guitarras”、コニー・フランシス(Connie Francis)“ Tonight’s my night”のカバー“Esta es mi noche”、そして“Renato”などで、これらはすべて1963年に発売された。

1964年 19歳のころ

1964年、ティト・モラ(Tito Mora)と、“Gracias”、“No te creo”の2曲をリリースするためチームを組み、このふたりは恋愛関係にも発展する。

しかし、ゲルの父親はふたりの関係に反対し、何の手立てもなくふたりは終わりを迎える。

彼女はその年、ビートグループ「Los Mustang」にも参加し、1枚のEPを発売。通常のオーケストラサウンドから離れ、より流行のギター主導のサウンドを取り入れた。

しかし、時代と共に変化するチャンスは潰されてしまった。

なぜなら、ベルギーのシンギング・ナン(Signing Nun)のカバー“Dominique”、そしてコンテスト『Eurovision』から2曲のバラード、ジリオラ・チンクエッティ(Gigliola Cinquetti)の甘ったるい優勝曲“Non ho l’età”のカバー“No tengo edad”、アラン・バリエール(Alain Barrière)“ Elle était si jolie”のカバー“Ella es muy bonita”という、貧相な曲を選択してしまったためだ。

“If I had a hammer”のカバー“Si yo tuviera un martillo”のおかげで、なんとかこのプロジェクトが完全にひどい失敗に終わることを避けられたが、たったこの1曲だけであった。

1965年 20歳のころ

作品の売れ行きが悪いことから、このスタイルでのパフォーマンスを続けることはできず、彼女は続くリリースで、元のオーケストラバックのスタイルに戻った。

1964年の“Oh, mi señor”と“Piedad, señor”、1965年の“No soy digna de ti”である。

これらのEPの中で注目すべきは、イタリアのスター、ミーナ(Mina)“ Io sono quel che sono”のカバー“Yo soy la que soy”、バート・バカラック(Burt Bacharach)とハル・デヴィッド(Hal David)“ Anyone who had a heart”のカバー“Tú no tienes corazón”である。

ちなみにこれは、ペトゥラ・クラークもスペイン語でリリースしていた。

ペトゥラ・クラークが、これ以上スペイン語でレコードを発売しないと決めたことが、知らず知らずのうちに、ゲルへ真に(遅すぎた、とも言う)ビート時代へと移動する機会を与えることとなった。

“Downtown”がきちんと翻訳されゲルに提供され、彼女にとってのビッグヒットに。

ちなみにこのEPには、コンチャ・ベラスコ/ロザリア(Conchita Velasco/Rosalía)のクラシックな“Chica ye-yé”のカバー、キャシー・カービー(Kathy Kirby)“ I belong”のカバー“Yo te amé”が収録されていることにも注目すべきである。

新しいサウンドを確立するため、続くリリースではグループ「Dúo Dinámico」とチームを組むが、これは再び「Los Mustang」とのコラボレーションでの失敗を繰り返すことになってしまう。

このEPのリードトラックは“Me gusta el verano”で、“Cuanto más lejos estoy”もまた注目すべきである。

1966年 21歳のころ

1966年、コンテスト『Mallorca 』と『Mediterranean』に参加し、“Reir, reir, reir”と“Yo quiero vivir”で共に5位以内に入ったことで、ゲルは世間の注目を集め続けることができた。

彼女はまたイタリアのコンテスト『San Remo』のエントリー曲のカバー曲のEPを2枚発売。

その中で注目すべきは、カテリーナ・カゼッリ(Caterina Caselli)“ Nessuno mi può giudicare”のカバー“Ninguno me puede juzgar”と、ルチオ・ダッラ(Lucio Dalla)“ Bisogna saper perdere”のカバー“Saber perder”である。

この頃までには、イギリスのポップスが世界中を席巻しており、ゲルはこの後2年間、ほぼイギリスのヒット曲のみをレコーディングすることになる。

その中で素晴らしいのは、“Viva el amor”、サンディ・ショウ(Sandie Shaw)“ Long live love and I don’t need that kind of lovin’”のカバー“No necessito tu amor”、ダスティ・スプリングフイールド(Dusty Springfield)“ All I see is you”のカバー“Te veo a ti”、そしてハーマンズ・ハーミッツ(Herman’s Hermits)“ No milk today”のカバー“Todo cambió”。

しかし、ペトゥラ・クラークの“Downtown”で成功したことがゲルに、この先すべきことは、このイギリスのスターのスペイン版になることだという思いにさせた。

そして、彼女はたくさんのカバーを発売。

“My love”のカバー“Mi amor”、“Call me”のカバー“¡Llama!”、“Don’t sleep in the subway”のカバー“No duermas en el metro”、“This is my song”のカバー“Amor, es mi canción”、そして“Colour my world”のカバー“Pinta mi mundo”である。

これらの曲が素晴らしいポップスであることは否定できないが、そこには問題があった。

ゲルは60年代前半には、誰もが認めるイエイエの女王として君臨していたが、1965年までには、たくさんのライバルたちが現れていたのだ。

カリーナ(Karina)とロザリアが、特にティーンたちに人気となっていた。1960年から音楽シーンにいるゲルは、時代遅れに映った。結果として、彼女のレコードの売り上げは徐々に衰え始めた。

1968年 23歳のころ

市場と同様、彼女自身も自分のレコーディング活動に興味を失い始めており、1968年に歌手のサンティ(Santy)と結婚すると、彼女はスタジオから去った。

1969年 24歳のころ

レコード会社「La Voz de su Amo」を去った後、彼女は小さなレコード会社「Marfer」へ参加し、1969年に1枚限りの45レコードを発売した。

イタリアの歌手イヴァ・ザニッキ(Iva Zanicchi)のコンテスト『Eurovision』のエントリー曲“Due grosse lacrime bianche”のカバー“Solo dos lágrimas”と、B面にはもちろん他の誰でもない、ペトゥラ・クラーク“I wanna sing with your band”のカバー“En tu conjunto quiero cantar”が収録されている。

このシングルは完全に失敗に終わり、長年に渡りイエイエサウンドの代表であった素晴らしい歌手にとっては、似つかわしくない最後となった。

出典:Ready Steady Girls

ゲル(Gelu)について【スペイン】の口コミ

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ゲル(Gelu)について【スペイン】のディスコグラフィ

ゲルー(Gélou)のシングル(EP)

ゲル(Gelu)について【スペイン】のディスコグラフィ
  1. Despues de Seis Tequilas ‎(7″, EP)   1960
  2. Porque No Soy Un Angel / Valentino / Carnavalito Gitano / La Luna, El Cielo Y Tú ‎(7″, EP)  1961
  3. Flamenco Rock ‎(7″, EP, Blu)   1961
  4. No Me Puedo Quejar 1962
  5. Gelu Con Jorge Machado Y Su Conjunto – Siempre Es Domingo / Moliendo Cafe / Gin, Gin, Gin / Canto O Fado   1962
  6. De Novo Com Gelu ‎(7″, EP)  1962
  7. Canta Conmigo / Cuando Llegue Septiembre / El Poeta Lloró / Vuela, Vuela Hacia Mí ‎(7″, EP)  1962
  8. Cuando Calienta El Sol / Los Dos Italianitos / La Respuesta De La Novia / Ching Ching ‎(7″, EP)  1962
  9. Et Maintenat ‎(7″, EP)  1962
  10. ¿Dime Por Qué? ‎(7″) 1962
  11. Dame Felicidad   2 versions La Voz De Su Amo 1963
  12. La Novia  4 versions La Voz De Su Amo 1963
  13. Renato / El Ritmo De La Lluvia / Cúlpale A La Bossa Nova / Il Tangaccio ‎(7″, EP)   1963
  14. Esta Es Mi Noche ‎(7″, EP)   1963
  15. Gelu Y Tito Mora – No Te Creo / El Pintor / Contigo Si / Mi Mundo ‎(7″, EP)  1963
  16. El Partido De Fútbol ‎(7″, EP) 1963
  17. Oh Mi Señor ‎(7″, EP)  1964
  18. Gelu Y Tito Mora – Gracias / La Gente / Dile / La Señal De La Cruz ‎(7″, EP) 1964
  19. Piedad Señor ‎(7″, EP) La Voz De Su Amo 7EPL 14.112 1964
  20. Gelu Y Los Mustang – Dominique ‎(7″, EP) La Voz De Su Amo 7EPL 14.046 1964
  21. Capri Se Acabo ‎(7″, EP)  1965
  22. No Soy Digna De Ti / Que Haras / El Amor / Ammore Mio ‎(7″, EP)   1965
  23. Canta 4 Canciones Del Dúo Dinámico ‎(7″, EP)  1965
  24. Down Town ‎(7″, EP)  1965
  25. Mi Amor / Y…Y… / El Carnaval Se Ha Ido / ¡Llama! ‎(7″, EP)  1966
  26. Yo Quiero Vivir / Libre Estoy ‎(7″) 1966
  27. XVI Festival De Sanremo ‎(7″, EP) 1966
  28. Reir Reir Reir / Muy Cerca De Ti ‎(7″)  1966
  29. Te Veo A Ti / Todo Cambió / No Necesito Tu Amor / Soy Como Tu Quieres ‎(7″, EP)  1966
  30. XVII Festival De Sanremo ‎(7″, EP) 1967
  31. No Duermas En El Metro ‎(7″, EP) 1967
  32. Amor Es Mi Canción (De La Película “La Condesa De Hong Kong”) ‎(7″, Single) 1967
  33. Tu No Conoces La Primavera / Mundo ‎(7″)  1968
  34. Solo Dos Lagrimas ‎(7″)  1969

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