エイドリアンジェラ(Adriángela)について【スペイン】

エイドリアンジェラ(Adriángela)について【スペイン】
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スペインの歌手エイドリアンジェラは、サファイア(Zafiro)レーベル所属歌手のひとりだった。

彼女は自分が、イエイエガールとしての自分、旧派の歌姫としての自分というふたつの間で揺れていることに気付く。彼女は同時代に活躍する女性たちに比べると、女性としての魅力や成功に欠けてはいたが、1965年から1968年にかけて、印象的な12枚のシングルと4枚のEPを発売した。

1942年、ヴァレンシア(Valencia)のマリア・ホセ・ギーエン・トレス( María José Guillén Torres)生まれ。音楽好きの少女で、10代の頃は市の音楽学校へピアノを習いに通っていた。

1961年、彼女はエイドリアンジェラという名前でマドリッド(Madrid)で歌のコンテストに参加した。彼女の歌はイベロフォン(Iberofón)レーベルのボスの目に止まり、契約のオファーをされた。

①“Concierto de amor”はこのレーベルから出されたたった一枚の彼女のEPのリードトラックである。

一年後、彼女は同時にEMIへも短い期間所属していた。これは②“Llevan”リリースのためで、この曲は1962年のベニドルム(Benidorm)のソングフェスティバルで彼女がパフォーマンスしたものだ。

1965年にサファイアへ所属した時、失敗からのスタートとはなってしまったが、彼女は真に自信を持てるようになった。

1965年のユーロビジョン・ソング・コンテストで“Cantares”でスペイン代表になろうという試みは、失敗に終わる。

彼女はコンチータ・バティスタ(Conchita Bautista)にスペイン代表戦の決勝で敗れ、4位に終わった。

しかし、イエイエガールズはスペインの若者たちにとって、UKやUSのヒットソングを凌ぐほどの大人気だったし、サファイアは金儲けに目がなかった。

エイドリアンジェラは⑦“Siempre hay algo que me recuerda a ti”収録のためスタジオに送られ、このレーベルでの彼女のデビューシングルとして発売。

この曲は、バート・バカラック(Burt Bacharach)とハル・デヴィッド(Hal David)による“ (There’s) always something there to remind me”の訳版であり、それはイギリス人歌手サンディ・ショウ(Sandie Shaw)をUKチャートのトップへと導いた曲である。

2枚目の45レコードである印象的な曲⑧“ Ve con él ”(B面にはファンのお気に入りの“Me gusta la gente”収録)と、合計4枚サファイアからリリースされたEPのうちの1枚も、このころ発売された。

③“Recordar”でその年、彼女はパルマ(Palma)のソングフェスティバルを勝ち取り、大きな成功を手に入れた。この曲はシングルとしてリリースされ、B面にはフランスのスター、シルヴィ・ヴァルタン(Silvie Vartan) の“Dans tes bras (je veux l’oublier)”のカバー“ En tus brazos quiero olvidar”を収録。

次の曲として選ばれたのは、イタリア曲のカバー⑪“El mundo”であるが、またしてもB面の“Nunca hay bastante”がより人気となった。

エイドリアンジェラは人気があったが、イエイエガールとしては彼女のボーカルスタイルは少しクラシカルすぎたかもしれない。

1965年にさらに2枚の45レコード⑩“Siempre hay un mañana”と“La mitad de la mitad”を発売した。この2曲は彼女の声に合っていたが、これらを発売したことで、彼女は真にイエイエガールではないと決定づけてしまったかもしれない。

1966年始めに⑫“He visto un hombre pasar”を発売した後、彼女はスペインのグループ、ロスブリンコス(Los Brincos)とチームを組む。彼らが彼女のために書いた曲⑬“Porque nunca se contó”レコーディングのためだ。多くのファンにとってこの曲は、彼女のキャリアの中でのハイライトではあるが、期待していたほど売り上げは伸びなかった。

12歳のアリシア・グラナドス(Alicia Granados)が優勝した、その年のベニドルムのソングフェスティバルでも、彼女に運はなかった。

レーベルは、彼女には新しい方向性が必要だと判断した。このことは、フランシス・レイ(Francis Lai)作曲、映画ドクトル・ジバゴ(Doctor Zhivago) テーマ曲“Un homme et une femme”のカバーである⑭“hombre y una muyer”が1967にシングルとしてリリースされたことからも分かる。

⑮“Tan lejos”⑯“ Marea baja”⑰“ Gigante”の3曲が次の2年のうちに発売された後、サファイヤは彼女との契約を打ち切った。

彼女はシントニア(Sintonía)レーベルにたどり着く。そのレーベルは、新しい曲へのプロモーションから手を引きたがっていた。

1969年のユーロビジョン・ソング・フェスティバルには多くの関心が集まっていた。その前年にマッシール(Massiel)が優勝したことに続き、マドリッドで開催することになっていたからだ。シントニアは、パルマのコンテスト優勝者が、ユーロビジョン出場者を選ぶスペイン決勝に参加する権利があると知っていたのだ。

そのためレーベルは彼女に⑱“Buenos días”を歌うことを勧め、そして彼女はパルマに優勝し、もちろんその曲をスペイン決勝でも歌った。しかし彼女はサロメ(Salomé)に敗れ、サロメはユーロビジョンで3人の歌手たち、イギリスのルル(Lulu)、フランスのフリーダ・ボカーラ(Frida Boccara )、オランダのレニー・クー(Lennie Kuhr)と優勝を分け合った。

その後1枚のシングル⑲“Mira que llega la mañana”を最後に、エイドリアンジェラはシントニアを去った。

彼女は1971年に⑳フィディアス(Fidias)レーベルに参加するが、成功したとは言えず、すぐに辞めることになる。

レコード契約を結ぶことなく、彼女はトレモリノス(Torremolinos)へ移り、ピアノバーを始めた。バーでのパフォーマンスを続けたものの、あえてメディアからは遠ざかった。彼女の昔のレコードに、再注目が集まってはいたのだが。

出典:Ready Steady Girls

エイドリアンジェラ(Adriángela)について【スペイン】の口コミ

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エイドリアンジェラ(Adriángela)のディスコグラフィ

1961年

①1961: I Certamen de la canción de Madrid

1962年
1962年

②1962: 4º Festival Español de la Canción. Benidorm

1965年

1965: Recordar / En tus brazos
③1965: Recordar / En tus brazos

1965: VII Festival de la canción Mediterránea
④1965: VII Festival de la canción Mediterránea

La Mitad de la mitad
⑤1965: La Mitad de la mitad / Tu para siempre

1965: Ve con el / Me gusta la gente
⑥1965: Ve con el / Me gusta la gente

1965: Siempre hay algo que me recuerda a ti / Las lágrimas de un día
⑦1965: Siempre hay algo que me recuerda a ti / Las lágrimas de un día

1965: Ve con el / Siempre hay algo que me recuerda a ti / Las lágrimas de un día /
⑧1965: Ve con el / Siempre hay algo que me recuerda a ti / Las lágrimas de un día / Me gusta la gente

1965: Recordar / En tus brazos quiero olvidar / El mundo / Nunca hay bastante
⑨1965: Recordar / En tus brazos quiero olvidar / El mundo / Nunca hay bastante

1965: Recordar / En tus brazos quiero olvidar / El mundo / Nunca hay bastante
⑩1965: La mitad de la mitad / Tu no has comprendido nunca / Tu para siempre /Siempre hay un mañana

1965: El Mundo / Nunca hay Bastante
⑪1965: El Mundo / Nunca hay Bastante

1966年
1966: Porque nunca se contó / Mi vida esta hecha de amor

⑫1966: 8º Festival Español de la Canción

1967: Un hombre y una mujer
⑬1966: Porque nunca se contó / Mi vida esta hecha de amor

1967年

1967: Un hombre y una mujer
⑭1967: Un hombre y una mujer

1967: Tan lejos

⑮1967: Tan lejos

1968年

Marea baja / San Francisco
⑯1968: Marea baja / San Francisco

1968: IV Festival del Miño Orense 1968 En Sintonía
⑰1968: IV Festival del Miño Orense 1968
En Sintonía

1969年
1969: Buenos Días

⑱1969: Buenos Días

1970年
1970: Mira que llega la mañana En Fidias

⑲1970: Mira que llega la mañana
En Fidias

1971年
1971: Camino del amor / Te mentirán también

⑳1971: Camino del amor / Te mentirán también 

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