アリシア・グラナドス(Alicia Granados)について【スペイン】

アリシア・グラナドス(Alicia Granados)について【スペイン】
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スペインの歌手「アリシア・グラナドス(Alicia Granados)」は、わずか12歳という若さでベニドルム(Benidorm)のソング・フェスティバルを勝ち取った後、1966年に大きな成功を収めた。

しかし、続く作品たちは、そのクオリティの高さにも関わらず失敗し、彼女のキャリアは勢いを失っていく。

1970年代にヌーベス・グリーセス(Nubes Grises)というボーカルグループを組んだ後は、より長く成功を続けた。

アリシア・グラナドス(Alicia Granados)の生い立ち

アリシア・グラナドスは、1954年5月29日、本名アンパロ・グラナドス・ナバレテとして、スペインはカタルーニャ(Catalonia)のマレンザ(Manresa)に生まれた。

音楽一家に生まれ、両親は彼女が6歳の時に音楽学校へ入学させる。

ちなみにスペイン国民楽派の作曲家エンリケ・グラナドス(Enrique Granados)は遠縁にあたる。

様々なラジオ番組のコンテストに出場し、1964年、10歳の時に初めてのレコード契約を、EMIの子会社リーガル(Regal)と結んだ。

デビューにあたり彼女はアリシアと名前を改め、EP『El jilguero del Monte』を発売した。当時、彼女の若さは受け入れられなかったが、現在はそのジャンルのファンに支持されている。特に“Batiendo palmas”と“Alicia es así”の人気が続いている。

レコードが失敗に終わり、彼女はリーガルとの契約を失うが、1966年、今度はベルター(Belter)との新しいレコード契約にサインした。

ジョージ・ドミンゴ(Jorge Domingo)作曲の“Nocturno”が彼女に提供されることになった時、ベルターはどうアリシア・グラナドスをどの曲で売り出すかで議論を交わす。

曲が「ベニドルムのソング・フェスティバル」にエントリーされていて「イタリアのサン・ロメ(San Remo)コンテスト」のように、2人の歌手がパフォーマンスする予定となっていたが、アリシア・グラナドスに白羽の矢があたる。楽曲スタイルはイタリアの若きスター、ジリオラ・チンクェッティ(Gigliola Cinquetti)がユーロビジョンで勝利を得た“Non ho l’età”風だった。

一方コロムビア(Columbia)レーベルは男性シンガー、サンティ(Santy)を選んだ。

アリシアのパフォーマンスはコンテストの審査員たちを魅了し、楽々と勝利を掴んだ。シングルとして発売されるとすぐにチャートのトップに上り、彼女のバージョンはサンティのバージョンをはるかに上回った。

売り上げが伸びたのは、非常に強烈なB面曲“Profesor”のおかげでもあった。「先生、あなたは知らないでしょうけど、あなたは私の心臓をドキドキさせて苦しくさせるの。」と彼女は歌っている。この歌はA面曲と同じくらい人気となり、ベルターはすぐにこの曲をリードトラックとして、EPを発売した。

このEPには、アップビートの“Juguete extraordinario”と美しいイエイエの“Rubia, rubia”を含む。

この動きは彼女に合っていた。アリシア・グラナドスは“Nocturno”を特に引きずっていなかったし、ましてやジリオラ・チンクェッティと比べられることも気にしなかった。

しかしこれは彼女の転落の要因だったかもしれない。

イタリアスタイルのバラードが当時のスペインでは絶大な人気で、おそらく彼女はこの需要に応え、成功することができたのではないか。

その代わり彼女は、続いてEP『Mi perrito pequinés』を発売した。

3曲のアップビート曲とスローウィな1曲“Buenas noches Mamá”が収録され、このリリースはレベルが高かった。ある事情にも関わらず、というかむしろそのおかげでというか、何というかまぁ、彼女のペキニーズの子犬の声が入っているのだ。

先の“Profesor”の人気のおかげで、クラスルームをテーマとしたすばらしいもう1曲、 “ABC ye yé”も収録された。

この曲では、このアルファべットが曲を構成している。この曲はこのリリースのハイライトとなったが、驚くことに売り上げは不振だった。

落胆したベルターは、彼女を別の、今回はムルシア(Murcia)の町フォルトゥナ(Fortuna)で行われたソング・フェスティバルへ参加させた。“No soy un guarismo”は賢い詞のキャッチーな曲で、「私は足し算できる数字でもないし、引き算できる数字でもないの」「私は夢を見始めた人間なの」と歌っている。

この曲はコンテストで失敗し、そして売り上げにも失敗した。この失敗が、アリシア・グラナドスのソロ活動の終わりのサインだった。

彼女は映画業界へ転向し、1968年にアンパリート・グラナドス(Amparito Granados)の名前でジーザス・パスカル(Jésus Pasqual)の陽気なアドベンチャー映画『La banda del pecas』に出演。

2年の休養後、彼女は再び音楽業界へ戻ることを決め、1970年にボーカルグループ「ヌーベス・グリーセス」に参加する。

何年かの間に彼女の声は成熟し、グループの大人っぽいレパートリーによく合った。リーガルレーベルへ戻り、アリシアとヌーベス・グリーセス(Alicia y Nubes Grises)という名で“Hombre y mujer”や“Aurora”といった大きなヒットを生み出した。

1973年、アリシア・グラナドスは突然、マイクを置いた。残ったグループのメンバー、アントニオ・ベルナル(Antonio Bernal)とハイメ・マリン(Jaime Marín)は、代わりに他の女性をメンバーに入れ、数年間レコーディングを続けたのだった。

出典:Ready Steady Girls

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アリシア・グラナドス(Alicia Granados)について【スペイン】のディスコグラフィ

1966年
①Mi Perrito Pequines ‎(7", EP)

①Mi Perrito Pequines ‎(7″, EP)

②Nocturno / Profesor ‎(7", Single) 
②Nocturno / Profesor ‎(7″, Single)

1967年

③No Soy Un Guarismo / Mi Perrito Pequines ‎(7")
③No Soy Un Guarismo / Mi Perrito Pequines ‎(7″)

発売日不明

④Profesor - Juguete Extraordinario - Rubia, Rubia - Nocturno ‎(7", EP)
④Profesor – Juguete Extraordinario – Rubia, Rubia – Nocturno ‎(7″, EP) 

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