フィアメッタ(Fiammetta)について【イタリア】

フィアメッタ(Fiammetta)について【イタリア】
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イタリア人女性歌手のフィアメッタ(Fiammetta)のキャリアは、現在60年目を迎えている。「ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)」や、アドリアーノ・チェレンターノ(Adriano Celentano)、マッシモ・ラニエリ(Massimo Ranieri)らと共にツアーを行ったにも関わらず、1960年代、若い彼女の成功は控えめなものだった。

しかし、彼女はあらゆる分野で通用する魅力を手に入れ、60年代後半にはテレビやラジオ番組の人気司会者となった。

フィアメッタ(Fiammetta)の生い立ち

フィアメッタは、1950年4月1日、本名フィアメッタ・トムボラート(Fiammetta Tombolato)として、ローマ(Rome)に生まれる。

父親は作詞家で、家族は若い彼女が音楽を学ぶことを奨励した。

1963年 13歳のころ

1963年、コンテスト『Ribalta per San Remo contest』で勝ち残り、そこでレコード会社「Durium」のスカウトの目に止まる。彼女は子会社の「Sprint」と契約を結び、すぐさまファーストレコード発売のためにスタジオへと急いだ。

その結果生まれたキャッチーな“È facile”は、より素晴らしいプロモーション活動があれば、フィアメッタを一夜にしてスターにさせることも可能であったはずだ。しかし、そうはならず、続いてその年の後半に発売された“Luna in bikini”も、コンテスト『Venice song festival』で優勝したにも関わらず、同様に売れ行きは悪かった。

この頃までには、フィアメッタはライブパフォーマンスを身に着けていたので、ステージ上で自信を持っており、スター、アドリアーノ・チェレンターノのツアーに参加する依頼を受けた。このことから、彼女がチェレンターノ一家のミリーナ・カントゥ(Milena Cantù)に取って代わろうとしているという噂に火が付いた。

これは真実ではないと分かるが、彼女の悪評は、レコード会社「Fantasy」から1枚限りのシングルを発売することにつながる。驚くことに、1964年に発売されたこの、魅力的な“Tornerà”をB面に収録した、素晴らしい“Gira al largo”は、売り上げに失敗してしまう。
しかし、若者向けレコード会社「Mini-Bluebell」はこれを気に入り、ティーンのフィアメッタを拾い上げた。ここから、彼女のキャリアの中で最も商業的に成功する時期が始まる。

1966年 16歳のころ

1966年に発売された、ロックバンド「キンクス(The Kinks)」“Big black smoke”のカバー曲が、新しいレコード会社からのファーストリリースとなった。

このA面曲も、B面曲の、グループ「ソニー・アンド・シェール(Sonny and Cher)」“Little man”のカバー曲もどちらも人気となり、フィアメッタはテレビ番組『Settevoci pop』でお馴染みの顔となった。

そして「ローリング・ストーンズ」がイタリアツアーを発表した時、彼らのサポートをするチャンスを得たのは、他でもないフィアメッタであった。その年の後半、彼女は地元のスター、マッシモ・ラニエリのオーストラリアツアーにも参加した。

1967年 17歳のころ

ツアーから戻ると、フィアメッタは1967年のコンテスト『Disco per l’estate contest』に出場した。トップソングライターのモゴール(Mogol)による作曲の“Ricordare o dimenticare”でエントリーし、決勝へ進むことができた。

しかし結果は10位圏外となってしまった。

それにも関わらず、この曲はシングルとして発売され、B面には素晴らしい“Grida alla vita”が収録され、イタリアのポップスチャートの下のほうに届いた。これはフィアメッタの一番有名な作品となっている。

1968年 18歳のころ

1968年、バラード“Prega per me”で再びコンテストへ参加し、再び決勝へ進出した。ちなみに、この当時発売されないで終わってしまった曲、“Decisione”と“Il sole e il vento”が最近、コンピレーションCDに収録された。

その年の秋、実際のコンテストでは披露できなかった曲をプロモーションするために、代わりのコンテスト『San Remo contest』に、そこそこの出来の“Sette grandi alberi”で出場した。この曲により、彼女はレコード会社「Belldisc」へと移った。

1969年 19歳のころ

1969年、フィアメッタは『Un disco per l’estate contest』へ3度目、そして最後となる出場を果たす。

エントリー曲の、幾らか安っぽい“Ma che domenica”は、おそらく最も見過ごされている曲で、実際これがシングルとして発売された時には、ほとんどのファンはB面曲の“Serenità”のほうを好んだ。

1970年年代 その後…

レコードが成功しないことから、彼女はレコード会社を転々とすることになる。最初は「Ricordi」で、ここから彼女は“Tranquilità”を発売した。この曲は1970年のコンテスト『Cantagiro contest』でパフォーマンスしたものだ。

そして「Joker」へと移り、1971年に“Ho bruciato i miei vent’anni”を発売した。

「Picci」での期間はより長く、より成功を収めた。1972年にラジオ局「RAI」の番組『Giovanissimi』でパフォーマンスした“Il tango delle capinere”の発売から始まり、初めての、そして唯一のアルバムとなるLP『Io l’altra faccia della luna』、そしてすぐ続いて数枚のシングルを発売した。

1970年代中盤までには、フィアメッタは活動範囲を、テレビ番組の司会者や、オールラウンドのパフォーマーへと広げていた。

彼女はスイスのテレビ番組『Musical magazine』シリーズで主演を務め、テーマ曲の“Watch my feet”を歌った。

子供向けの曲をいくつかレコーディングした後、彼女はラジオプレゼンターとして、自分の適所を見つけた。彼女の番組『Primo nip』のために、テーマ曲“Quella canzone irresistibile”を発売。1980年、テレビ局「Telemontecarlo」の番組『Un’ora per voi』の司会者となる。

同じ頃、ピアノとギターのレッスンを始め、自身で作曲も行うようになった。

彼女の“Sulla strada”がテレビ番組『Sereno variabile』のテーマ曲として使われたことにより、彼女に信頼性が生まれた。“Che week-end”もまた番組で使われ、歌手のフェデリコ(Federico)が彼女の“Canzone d’amore”でヒットを出した。

フィアメッタの歌手としての第二のキャリアが始まったように思われた。その当時、自身を「ローラースケートを履いた歌手」として売り出すことに決めたことが、恩恵をもたらしたかどうかは疑わしいが。

フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini)の映画『La città delle donne』に出演し、テーマ曲“È più sabato che mai”を提供したラジオ番組『Week-end』の司会を務めた後、フィアメッタは子供向けの曲のレコーディングのため、時々スタジオへ戻るようになった。

フィアメッタは、1996年のコンテスト『Rome song festival』に出場し、“Tra veglia e sonno”で驚きの優勝を手にすると、彼女のキャリアは元の軌道に戻った。

翌年、ステファノ・ロッソ(Stefano Rosso)と共に2曲のデュエット曲、“Miracolo italiano”と“I fiori del male”をレコーディングした。

2001年、『Quindici minuti con Fiammetta』シリーズの司会のためラジオ局へと戻り、音楽界のスターたちへのインタビューを行った。

現在も彼女はライブパフォーマンスを続けている。

出典:Ready Steady Girls

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フィアメッタ(Fiammetta)のディスコグラフィ

フィアメッタ(Fiammetta)のシングル(EP)

フィアメッタ(Fiammetta)のシングル(EP)
  1. Quando La Campana Suonerà / Little Man ‎(7″)  1966
  2. Fiammetta / Claus – Ricordare O Dimenticare / Colori ‎(7″, Promo) 1967
  3. Ricordare O Dimenticare / Quando La Campana Suonera’ / Grida Alla Vita / Little Man ‎(7″, EP) 1967
  4. Ricordare O Dimenticare ‎(7″, Single)  1967
  5. Prega Per Me  1968
  6. Un Bambino Biondo ‎(7″)  1968
  7. Ma Che Domenica! ‎(7″) 1969
  8. Tranquillità ‎(7″)  1970
  9. La Mia Canzone Irresistibile ‎(7″)  1977
  10. Sulla Strada / Azzurre Stelle ‎(7″)  1980
  11. Fantasia / Amare ‎(7″, Single)  1981
  12. E’ Più Sabato Che Mai ‎(7″)  1982
  13. Stefano Rosso & Fiammetta – Miracolo Italiano ‎(CD, Single, Promo)  1997
  14. Presto ‎(7″)  発売日不明

 

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