カルメン・ヴィッラーニ(Carmen Villani)について【イタリア】

Carmen Villani
評価投稿数: 0
0

イタリアの歌手「カルメン・ヴィッラーニ(Carmen Villani)」は、時代の流れに合わせてサウンドを変えながら、1960年代を通しいくつかの素晴らしい作品をレコーディングした。また女優へと完全に転身する前の1970年代には、エキストラに近い役もいくつかあったが、たくさんの映画にも出演した。

カルメン・ヴィッラーニ(Carmen Villani)の生い立ち

カルメン・ヴィッラーニは、1944年5月21日、イタリア北部のエミリア=ロマーニャ州のラヴァリノで生まれた。

15歳の時に、たくさんのコンテストに参加するようになり、彼女の歌手活動が始まった。

その中で最も注目すべきは、1959年の『Castrocaro』を“Quando una ragazza”で勝ち取ったことで、その結果彼女はレコード会社「Bluebell」から契約の申し出を受ける。

1960年

カルメン・ヴィッラーニは、フレッド・ブスカリオーネ(Fred Buscaglione)のオーケストラでパフォーマンスを始め、1960年にファーストソロレコード“Sul banco di scuola”を発売。

これはヒットとはならず、また続いてその年の後半に発売された“Espada”も、イタリアチャートのトップ40に惜しくも入ることはできなかった。

1962年

1962年、カルメン・ヴィッラーニは映画に初出演する。

批判的に評価された『Un uomo da bruciare』である。「Bluebell」はこの映画のサウンドトラックを発売し、彼女をプロモーションする機会を大いに利用した。

その甲斐あって、同じ年に彼女は“Come and get it”のカバー“Brucia”で初めてのヒットを記録する。B面にはブレンダ・リー(Brenda Lee)“ You can depend on me”のカバー“Potrai fidarti di me”が収録されている。

1963年

この成功を確立するため、彼女は1963年のコンテスト『Cantagiro contest』に参加し、バート・バカラック(Burt Bacharach)作曲で、もともとティミ・ユーロ(Timi Yuro)がレコーディングした“The love of a boy”のカバーである“Io sono così”を披露した。

ちなみに、アンナ・マルケッティ(Anna Marchetti)も翌年この曲のカバーを発売している。これにより、アメリカで大きなヒットとなったディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)“ Anyone who had a heart”の翻訳版を発売する申し出を受けるが、彼女の会社はそれを断わり、代わりにイギリスのペトゥラ・クラーク(Petula Clark)がこの曲のイタリア語版でヒットを記録した。

1964年

キャリアの中で、彼女は時代の流れに合わせて変化していくことに優れており、1964年には新しいビートサウンドを取り入れた。

素晴らしい“Congratulazioni a te”が新しいスタイルでの初のレコードとなったが、これはトップ50にも入ることはできなかった。つづく“Imparerò a nuotare”が発売されるが、これもまた売れ行きはよくなかった。

1965年

1965年は力強いバラード“Amerai solo me”の発売で幕を開けた。

しかし、より人気となったのはB面に収録された、アメリカ人歌手ベティ・エヴェレット(Betty Everett)“ Getting mighty crowded”のカバー“Come fai”であった。

新しいサウンドに合うように、見た目にも改造が必要だという判断がなされた。

親しみやすいブルネットの女の子はダイエットを行い、髪もブロンドへ変えた。しかし、彼女のファッションは的を外してしまい、ロンドンのカーナビー・ストリート(Carnaby Street)のかわいい女の子というよりは、会社の秘書のようになってしまった。

新しい見た目の彼女は、コンテスト『San Remo song festival』でヴェールを脱ぐはずだったのだが、またしてもついていない結果となった。

当時は2人の歌手が各エントリー曲を披露するスタイルで、カルメンとポール・アンカ(Paul Anka)の2人は“La verità”を披露することになっていた。しかしこのカナダのスターのレコード会社がコンテストから引き上げたため、カルメンも出場することができなくなってしまったのだ。

泣きっ面に蜂で、アンカのバージョンはトップ5となるヒットを記録した。

しかし、カルメンのバージョンも一般的には彼女の作品の中でベストのひとつと考えられている。B面にはグループ「シュープリームス(The Supremes)」“Baby love”の素晴らしいカバーが収録されている。

それから彼女はビートグループ「アベンジャーズ(Avengers)」に参加し、テレビ番組『Agent speciale』のテーマをレコーディングした。そしてコンテスト『Naples festival』に“Io ca te voglio bene”で参加し、また映画『Per una valigia piena di donne』(世界的に知られているタイトルとしては『The kinky darlings』)にも出演した。

1966年

珠玉のビート“Passo il tempo”はテレビ番組『Questo e quello』のオープニングに使われたが、驚くことに1966年のリリースではB面に収録された。

確かにA面の“Anche se mi vuoi”はアイビー・リーグ(Ivy League)“ Tossing and turning”の信頼できるカバー曲で、彼女唯一のトップ30に入るヒットとはなったのだが、この決定により何かチャンスを逃したようだ。

映画『Adulterio all’italiana』のサウンドトラックからの素晴らしい“Bada Caterina”が続いて発売され、その年の後半に彼女はコンテスト『Rose festival』へ参加し、作曲者であるウンベルト・ナポリタノ(Umberto Napolitano)と共に“Chitarre contro la guerra”を披露した。

ちなみにこのタイトルに関して幾らか混乱がある。ジャケットではタイトルは“Mille chitarre contro la guerra”となっているが、レコード自体の表記では最初の単語が外されている。

シングル“Non c’è bisogno di camminare”と、ほとんどが最近のA面曲とB面曲で構成されたアルバムが「Bluebell」から発売され、その後彼女はレコード会社「Fonit Cetra」へと移り、ビートサウンドへの彼女の一時的な関心は終わりを迎えた。

1967年

新しいレコード会社は彼女のために素晴らしい計画を立てた。

まず1967年のコンテスト『San Remo song festival』へ参加させた。彼女と、擁立されたスター、ピノ・ドナッジオ(Pino Donaggio)は2人とも、ドナッジオが共同作曲したシックな“Io per amore”を披露。

この曲は決勝へと進んだが、最終的には11位となった。ちなみにその年はイーヴァ・ザニッキ(Iva Zanicchi)とクラウディオ・ビルラ(Claudio Villa)が優勝した。

カルメンとドナッジオはどちらもこのエントリー曲を発売したが、ドナッジオのバージョンがより大きなヒットとなった。

その夏、コンテスト『Disco per l’estate contest』で彼女は“Ho perduto te”を披露した。

1968年

1968年に発売された“Mi va di cantare”もまた、驚くべき選択だった。

最終的には、ライバルの2つのバージョンとの売り上げ争いに負けてしまった。ひとつはルイ・アームストロング(Louis Armstrong)、もうひとつはララ・セントポール(Lara Saint Paul)のバージョンで、どちらもその年のコンテスト『San Remo festival』でパフォーマンスされたものだった。

現在は、このシングルではおそらく、フランスのシンガーソングライター、エリック・シャーデン(Eric Charden)作曲のB面曲“Questa sinfonia”のほうがよく知られているだろう。

彼女は再び映画『Il profeta』のテーマを発売し、この曲は発売以来、ラウンジミュージックのファンたちに支持されている。ちなみにB面の“Non prenderla sul serio”はテレビ番組『Su e giù TV programme』のテーマである。

その夏、愉快な“Per dimenticare”でコンテスト『Disco per l’estate contest』へ参加し、一方“È la vita di una donna”と、電話のサウンドエフェクトが重い“Trenta 0233”を、その年最後の作品として「Cetra」から発売した。

その後彼女の昔のレコード会社「Bluebell」は、1966年の彼女のアルバムを曲目リストを修正して再発売し、彼女の新しくなった人気を利用した。

1969年

1969年は、コンテスト『San Remo festival』へ再び参加することから始まった。

今回は幾らか安っぽい“Piccola piccola”をパフォーマンスするため、冒険的な巨大なかつらを身に着けた。

ちなみにアレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia)がもう一人の歌手だった。またしても彼女は11位となり、この曲はイタリアで彼女最後のトップ30入りをし、日本では大きな成功を収めた。

続いて、その年にリリースされた“Viva la vita in campagna”(コンテスト『Disco per l’estate contest』でパフォーマンスされた)、“Quelli belli come noi”、“Se”はどれも市場の関心を引くことはできなかった。

しかしこの頃までに彼女は、レコーディング活動に並行してテレビのショーガールとしての活動も始めていた。これは、1970年代の彼女の活動の方向性をほのめかしている。

1970年代 その後…

1970年には、“Hippy”で再びコンテスト『San Remo』のステージへ戻り、今度は12位という結果だった。

ちなみにファウスト・レアリ(Fausto Leali)がもうひとりの歌手だった。続いて“L’amore è come un bimbo”を発売し、その後レコード会社を「RCA」へと移った。

新しいレコード会社は、彼女とより有名なドメニコ・モドゥーニョ(Domenico Modugno)とを、1971年の『San Remo festival』で“Come stai”をパフォーマンスすることで競わせた。この曲で彼女史上最高の6位となるが、彼女のバージョンはチャート上でモドゥーニョのバージョンに敗れてしまった。

1973年以降、映画監督である夫のマウロ・イヴァルディ(Mauro Ivaldi)のおかげで、彼女は女優へ転身し、たくさんのエロティック作品で主演を務めた。

『La supplente』、『L’amica di mia madre』や『Ecco lingua d’argento』などである。

そして1970年代後半、『Playboy』や他の男性向けの片手で読める雑誌の見開きページに登場した。

1980年代に音楽業界に戻ろうと試みるも、成功はしなかった。1990年代にはミュージカル舞台『Roma birbona』に主演し、2004年にはグループ「Ridillo」のアルバム『Weekend al Funkafè』にゲスト出演した。

出典:Ready Steady Girls

カルメン・ヴィッラーニ(Carmen Villani)について【イタリア】の口コミ

感想を追加する


Submit your review
*必須項目です

カルメン・ヴィッラーニ(Carmen Villani)のディスコグラフィ

カルメン・ヴィッラーニ(Carmen Villani)のアルバム(LP)

Carmen(1966)

『Carmen(1966)』

Carmen Villani(1973)

『Carmen Villani(1973)』

カルメン・ヴィッラーニ(Carmen Villani)のシングル(EP)

1959年

Sul Banco Di Scuola ‎(7″) 

Espada ‎(7″) 

1960年

Tramonto In Canada ‎(7″)

1962年

Un Domani Per Noi ‎(7″) 

Brucia ‎(7″) 

1963年

Lo So ‎(7″)

Io Sono Così ‎(7″) 

1964年

Congratulazioni A Te ‎(7″, Gat) 

Imparerò A Nuotare ‎(7″) 

1965年

Amerai Solo Me ‎(7″) 

La Verità ‎(7″) 

Avengers ‎(7″) 

Io Ca Te Voglio Bene ‎(7″, Promo) 

1966年

Guitarras Contra La Guerra / Bada Caterina

Bada Caterina / Brillo E Bollo  

Anche Se Mi Vuoi ‎(7″) 

Carmen Villani / Claudio Lippi – Chitarre Contro La Guerra / Maria Maria ‎(7″, Promo) 

Mille Chitarre Contro La Guerra ‎(7″) 

1967年

Chitarre Contro La Guerra ‎(7″, EP) 

Io Per Amore ‎(7″)

Io Ho Perduto Te / Grin Grin ‎(7″)

Claudio Villa / Carmen Villani – Non Pensare A Me / Io Per Amore ‎(7″, Jukebox) 

Non C’È Bisogno Di Camminare ‎(7″)

1968年

Il Profeta

Mi Va Di Cantare ‎(7″) 

E’ La Vita Di Una Donna ‎(7″)

Marisa Sannia / Carmen Villani – Non È Questo L’Addio / Per Dimenticare ‎(7″, Jukebox) 

Per Dimenticare ‎(7″) 

Sergio Endrigo, Carmen Villani, Marisa Sannia, Gianni Pettenati – XVIII Festival Di Sanremo ‎(7″, EP) 

Trenta 0233 ‎(7″)

1969年

Carmen Villani / Claudio Villa – Piccola Piccola / Meglio Una Sera (Piangere Da Solo) 

Sergio Endrigo / Carmen Villani – Sanremo ’69

Viva La Vita In Campagna 

Quelli Belli Come Noi ‎(7″) 

Aida Nola, Sergio Endrigo, Carmen Villani, Jean Valentino – XIX Festival De S. Remo ‎(7″, EP) 

Dang Dang E Dang ‎(7″) 

Carmen Villani / Maximilian  – Viva La Vita In Campagna / Da Maria ‎(7″, Jukebox) 

Claudio Villa / Carmen Villani – Meglio Una Sera Piangere Da Solo / Piccola Piccola ‎(7″, Jukebox) 

Piccola Piccola ‎(7″) 

1970年

L’Amore È Come Un Bimbo

Hippy ‎(7″)

Claudio Villa / Carmen Villani – Serenata / Hippy ‎(7″, Jukebox)

1971年

Bambino Mio ‎(7″)

Come Stai / Scusa Se… Lui… ‎(7″) 

1973年

Un Calcio Al Cuore ‎(7″) 

1984年

L’Anima ‎(7″) 

関連記事とアーティスト

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

感想を追加する


Submit your review
*必須項目です

関連記事

ドナテッラ・モレッティ(Donatella Moretti)について【イタリア】

ドナテッラ・モレッティ(Donatella Moretti)について【イタリア】

イザベラ・イアネッティ(Isabella Iannetti)について【イタリア】

イザベラ・イアネッティ(Isabella Iannetti)について【イタリア】

フィアメッタ(Fiammetta)について【イタリア】

フィアメッタ(Fiammetta)について【イタリア】

イヴァ・ザニッキ(Iva Zanicchi)について【イタリア】

イーヴァ・ザニッキ(Iva Zanicchi)について【イタリア】

ブルネッタ/マラ・パシーニ(Brunetta/ Mara Pacini)について【スペイン】

ブルネッタ/マラ・パシーニ(Brunetta/ Mara Pacini)について...

アンナ・マリア・イッツォ(Anna Maria Izzo)について【イタリア】

アンナ・マリア・イッツォ(Anna Maria Izzo)について【イタリア】