エディナ・ポップ/マリア・マーキー(Edina Pop/Maria Marky)について【ハンガリー】

エディナ・ポップ/マリア・マーキー(Edina Pop/Maria Marky)について【ハンガリー】
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ハンガリー生まれの「エディナ・ポップ(Edina Pop)」は、ドイツポップス界にチャレンジした女性歌手である。

1966年、初め頃までは「マリア・マーキー(Maria Marky)」として売り出し、その後1960年代終わりにエディナ・ポップとして再スタートを切るが、彼女の成功は限られたものだった。しかし、1970年代に初めて、ディスコグループ「ジンギスカン(Dschinghis Khan)」に参加し、ようやく、チャートトップのスターの地位を手に入れた苦労人。

エディナ・ポップ/マリア・マーキー(Edina Pop/Maria Marky)の生い立ち

エディナ・ポップは、本名マリカ・ケーシュマールキ(Marika Késmárky)として、ハンガリーのブダペスト(Budapest)に生まれる。

レコード会社による、契約年齢に対する独創的なアプローチのおかげで、彼女の誕生日には諸説あるが、一般的には1941年の2月4日というのが最も有力である。

幼い頃から音楽に対する興味を示し、6歳でピアノのレッスンを、そして後に歌のレッスンも受ける。

1964年 23歳のころ

1964年にプロとして歌い始め、バンド「ディキシーランド・エクスプレス(Dixieland Express)」と共にハンガリーの首都の様々な場所に登場した。

全国ツアーを行ったことにより彼女はベルギーへ招待され、そこでプロデューサー兼作曲家のハイノ・ガーツェ(Heino Gaze)に見初められる。

彼はドイツ「EMI」の子会社のレコード会社「Electrola」とのオーディションをお膳立てし、彼女はすぐに、「マリア・マーキー(Maria Marky)」という、本名を縮めた名前で契約を結んだ。

1966年 25歳のころ

非常にキャッチーな“Leere Hände (und nun sind wir am Ende)”が彼女にとって初めての45レコードとなった。1966年の発売時、幾らか注目を集めたものの、チャートに入ることはできなかった。

その年、さらに2枚のシングル“Wer kann mich schon verstehn”と、がっかりするようなワルツ風の“Frühling in Luxemburg”を発売。

しかしどちらも売れ行きが悪く、契約更新はされなかった。ちなみにどちらのシングルも、ファンの間ではB面曲の“Was wird nun”と“Träume sind nicht immer himmelblau”がより人気である。

1969年 28歳のころ  エディナ・ポップ(Edina Pop)に改名

その後彼女は注目されることはなかったが、1969年にハンガリーのコンテストに本名で出場し、“Nem leszek a bohócod”で勝利を収めたことで、再び世に姿をあらわす。

彼女の勝利は、ドイツのレコード会社「Philips」の関心を買った。彼らは、アレクサンドラ(Alexandra)によって自分たちが作り出した、東ヨーロッパの波に乗れるような歌手を探していたのだ。

新しいステージネーム、「エディナ・ポップ(Edina Pop)」で、彼女は5年間のレコード契約を結んだ。

エディナのデビューシングルとして、ロシアテーマの“Petruschka”が選ばれたことは、おそらく必然だっただろう。しかし、1969年の発売当時、このシングルの売れ行きは良くなかった。

驚くほど素早く、「Philips」はロシア風の曲をエディナの作品に取り入れるのを止める。

続く彼女のシングル“Stop Amico”は、ヘンリー・メイヤー(Henry Mayer)とフランク・ウェイリック(Frank Weyrich)による作曲である。このふたりは成功を収めたソングライターであるが、率直に言えば、もう少し有名であるべきだった。

3枚目の局所的な“Mein Apollo ist kein Raumschiff”もまた同様に2流の作品で、レコード会社は、自分たちがポップス界の失敗作と契約してしまったのではないかと心配した。

1969年最後となるエディナの45レコードの曲を探すことになった時、思い切った作品が選ばれた。

スペインの歌手サロメ(Salomé)が、その年のコンテスト『Eurovision song contest』でイギリスのルル(Lulu)や他の2人の歌手と同率首位となったエントリー曲“Vivo cantando”を、きちんと翻訳した“Zwischen Wolga und Don”がエディナに与えられたのだ。

しかし、エディナのカバーバージョンの売れ行きは鈍かった。

1970年 29歳のころ

彼女の知名度を上げようと、1970年の『Eurovision song contest』エントリーのためのドイツ決勝に出場させようという試みも、完全に失敗に終わる。

病気のため彼女は出場することができず、メアリー・ルース(Mary Roos)が直前に代役となった。メアリーは見事に“Bei jedem Kuss”で、カーチャ・エプシュタイン(Katja Ebstein)に続く2位となった。

落ち込んだエディナは、彼女の思わしくないキャリアを復活させるため、やはり全ヨーロッパのコンテストに目を向けた。イギリスの歌手メリー・ホプキン(Mary Hopkin)の、1970年の『Eurovision』のエントリー曲である“Knock, knock, who’s there”をカバーするという選択は、見事であった。

メリーのオリジナル曲はすでにドイツチャートで12位を記録するヒットとなっており、エディナのカバー“Komm, komm zu mir”もまたその後を追った。

この曲はその年の6月に35位となり、ついにエディナはドイツチャートに入ることに成功したのだ。続いて、陽気な“Tomatenrote Lippen”が発売され、これもまたトップ40入りを果たした。

この成功により、「Philips」は幾らか慌ててLP『Halt die Liebe fest』を発売した。1970年の別のシングルからタイトルされたこのアルバムには、彼女の以前のA面曲B面曲がたくさん収録されている。

このLPに収録されている数少ない新曲のひとつで、最も永続的人気となる曲のひとつが“Die Party steigt am nächsten Samstag”である。これはグループ「ペパーミント・レインボウ(The Peppermint Rainbow)」“Will you be staying after Sunday”のカバー曲である。

1971年 30歳のころ

1971年、エディナは俳優のガンザー・ストール(Günther Stoll)と結婚した。この結婚生活は6年間続くが、1977年に彼は突然この世を去った。

1972年 31歳のころ

続くシングルはどれも成功しなかったので、エディナは1972年の『Eurovision』エントリーのためのドイツ大会に参加した。

しかし、彼女の“Meine Liebe will ich dir geben”はがっかりするような7位という結果に終わり、メアリー・ルースの“Nur die Liebe läßt uns leben”が勝利を収めた。

1970年代中期は、エディナの歌手活動にとって静かな期間だった。夫の死後は、特に何も仕事をしなかった。タイミングよく、「ミスター・ユーロビジョン」ことラルフ・ジーゲル(Ralph Siegel)から誘いがかかった。

1972年 38歳のころ

ラルフ・ジーゲルは、1979年のコンテストのドイツ代表となるためにグループを結成していたところで、エディナはこのグループに参加するというチャンスに飛びついた。

そのグループが「ジンギスカン」で、彼らはグループの名前の由来となった、『Eurovision』のエントリー曲で名声を掴んだ。

その曲は、モンゴルのリーダー「ジンギスカン」に対する賛辞の曲で、彼らはこれを決勝の地、よりによってエルサレム(Jerusalem)でパフォーマンスした。

この曲は問題があるような気配もあったが、コンテストでは4位となり、ドイツチャートではトップとなった。

彼らは、物珍しいだけだと捨て去られたが、それでも続く“Moskau, Hadschi Halef Omar, Loreley”と“Wir sitzen alle im selben Boot”ではトップ10入りする成功を収めた。

グループ解散後、エディナはソロへと戻り、現在もパフォーマンスを続けている。

出典:Ready Steady Girls

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エディナ・ポップ/マリア・マーキー(Edina Pop/Maria Marky)のディスコグラフィ

マリア・マーキー(Maria Marky)のシングル(EP)

マリア・マーキー(Maria Marky)のシングル(EP)
  1. Frühling In Luxemburg / Träume Sind Nicht Immer Himmelblau ‎(7″, Single)  1966
  2. Leere Hände / Wann, Wann, Wann ‎(7″, Single)  1966
  3. Wer Kann Mich Schon Verstehn / Was Wird Nun ‎(7″, Single)  1966

エディナ・ポップ(Edina Pop)のシングル(EP)

エディナ・ポップ(Edina Pop)のシングル(EP)
  1. Stop Amico / Holiday In Germany ‎(7″, Mono) 1969
  2. Zwischen Wolga Und Don (Alors Je Chante) ‎(7″, Single, Mono)  1969
  3. Mein Apollo Ist Kein Raumschiff ‎(7″, Mono)  1969
  4. Petruschka / Eine Feier Mit Tokajer ‎(7″, Single, Mono)  1969
  5. Tomatenrote Lippen / Alles Geht Vorüber ‎(7″, Single)  1970
  6. Komm, Komm Zu Mir / Alle Tränen, Die Ich Weine ‎(7″, Single)  1970
  7. Halt Die Liebe Fest / Dreimal Täglich Sieben Küsse ‎(7″)  1970
  8. Fue Un Vecino (Egy Fiu A Hazbol) / Soy Libre Y Feliz (I’m So Happy And Free) ‎(7″)  1970
  9. Was Soll Ich Tun? (Als Het Om De Liefde Gaat) / Schreib Es In Den Wind! ‎(7″, Single)  1971
  10. Carneval Brasil / Alarmstufe 1 ‎(7″, Single)  1971
  11. Meine Liebe Will Ich Dir Geben ‎(7″, Single)  1972
  12. Dingo Dingo / La Mamma ‎(7″, Single)  1972
  13. Leben Für Die Liebe ‎(7″, Single)  1972
  14. Mein Talisman ‎(7″, Single)  1973
  15. Und Was Kommt Dann / Jeder Neue Tag ‎(7″)  1974

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