ブリジット・ペトリー(Brigitt Petry)について【ドイツ】

ブリジット・ペトリー(Brigitt Petry)について【ドイツ】
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東ドイツの歌手ブリジット・ペトリー(Brigitt Petry)は、1960年代中期に西ドイツへと亡命し、たくさんの素晴らしいシングルをリリースした。

様々な作品で彼女のソウルフルなボーカルスタイルを聴くことができるが、ついに成功を収めることはできなかった。

彼女にはその価値が充分にあったのだが…

ブリジット・ペトリー(Brigitt Petry)の生い立ち

1943年3月14日、ベルリン(Berlin)に生まれ、東西に分かれた市の東側で育った。学校卒業後はハレ(Halle)の音楽学校へ入学した。

1960年代初期、レコード会社「Amiga」と契約を結び、東ドイツで、また業者を通して残りの東側ブロックで、たくさんのレコードを発売した。

“When the saints go marching in”“ … Dann wird Liebe aus der Liebelei”“ Blue beat”“ I saw Linda yesterday”などである。

1965年

1965年、ブリジット・ペトリーは、共産主義の東ドイツから、ユーゴスラビア、オーストリア経由で西ドイツへと逃れた。

その噂を聞きつけ、すぐにレコード会社「Polydor」はレコード契約を申し出る。

その年の後半に、西側での彼女の初めてのシングル“Jeder geht einmal den Weg in das Glück”が発売されたが、がっかりするような出来で、ヒットにはならなかった。

ちなみに現在のファンにはB面の“Sunny-Honey-Boy”がお気に入りとなっている。

1966年

ムーディな曲“Vergessen”が1966年のファーストシングルとして発売されたのだが、会社は誤って彼女の名前の最後にeを付けてしまい、彼女はブリジット・ペトリー(Brigitte Petry)と認識されるようになる。

このリリースが失敗すると、会社は彼女の知名度を上げるため、その年の6月に開催されたコンテスト『Deutsche Schlagerfestspiele』にエントリーさせた。

ブリジット・ペトリーのエントリー曲“So alt wie die Welt”はこのコンテストには珍しくダウンビートであったが、それをものともせず、マリオン(Marion)やメアリー・ルース(Mary Roos)といった彼女より有名なドイツの歌手たちを凌ぎ、4位という名誉ある結果を得た。

ちなみに、ノルウェーの歌手ヴェンケ・ミューレ(Wencke Myhre)が珠玉のシュラガービート“Beiß nicht gleich in jeden Apfel”でこのコンテストを勝ち取っている。

1967年

この成功により、1967年のコンテスト『Eurovision song contest』のための隣国スイスの決勝に出場することとなるが、残念ながら彼女の“Karussell, Karussell”は、スイスの歌手ジェラルディン(Géraldine)の“Quel coeur vas-tu briser”に敗れ、リリースされないままとなってしまった。

ちなみにこのブリジット・ペトリーの落胆は、ライバルがウィーン(Vienna)のコンテストで得点を得ることができず最下位になった時に静まった。

その年の後半に“Sie sind so wie wir”を発売するが買い手たちの関心を引くことはできず、彼女はドイツの歌手で、後にソングライターとしてより有名となるジャック・ホワイト(Jack White)とチームを組み、“I love you (Was kann ich denn dafür)”を1967年に発売。

この曲は「フランク・アンド・ナンシー・シナトラ(Frank and Nancy Sinatra)」の“Somethin’ stupid”のカバー曲で、おそらくヒットして然るべきであったのだが、そうはならなかった。

今度はジャック無しで、また新しいブロンドヘアで、アメリカの歌手サンディー・ポジー(Sandy Posey)“ I take it back”のカバーである素晴らしい“Kannst du verzeih’n”をレコーディングしたが、この曲はその年の後半に、物寂しい“Wenn die Glocken läuten”のB面として発売された。

1968年

1968年、ブリジット・ペトリーは、自身で作曲に関わるようになる。

女性らしい“Hey, hey Boy (Von Liebe war niemals die Rede)”とB面の“Traumland”にはどちらも作曲に彼女の名がある。

この頃までには、ミュージカル『Hello Dolly!』の舞台版や、テレビや映画などに出演し、この業界での地位を獲得してはいたのだが、チャートヒットを出すことができておらず、「Polydor」との契約は打ち切りとなる。

めげることなくレコード会社「EMI Columbia」と契約を結ぶと、彼女の中で最高の作品のひとつと言える“…Da beisst ein Goldfisch an”を発売した。

今回はシンプルにブリジット(Brigitt)と表記された。A面には、グループ「エインズレイ・ダンバー・リタリエイション(The Aynsley Dunbar Retaliation)」“Watch ‘n’ chain”のカバー曲が収録されたが、特にファンを夢中にさせたのは、B面の“Lass die Hände von Bill Bailey”であった。これはニュージーランド生まれのゲイル・ガーネット(Gale Garnett)“ You’ve been talkin’ ‘bout me baby”のカバーである。

1969年

アレクサンドラ(Alexandra)の成功を横目に見ながら、再び苗字を付けたブリジット・ペトリーは、ロシアのフォークからインスパイアされ自身で作曲した“Babuschka”を1969年に発売したが、これも失敗に終わる。

その年の後半にアイルランド北部の歌手クローダ・ロジャース(Clodagh Rodgers)は“Come back and shake me”でトップ40入りを記録するが、ドイツ語版では失敗してしまう。そこでブリジットが“Komm her und lieb mich”として発売し、市場のその隙間を埋めた。

1970年代

1970年にレコード会社「CBS」へ移り、彼女自身が作曲を手伝った、ファンキーな“Lovebutton”を発売したが、悲しいことにこれが彼女の最後のリリースとなった。

1971年4月28日、彼女の車がコンクリートの柱に激突し、彼女はこの世を去った。

当時根拠のない噂として、彼女の死は東ドイツの秘密警察シュタージ(Stasi)による報復ではないかとも言われた。

出典:Ready Steady Girls

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ブリジット・ペトリー(Brigitt Petry)について【ドイツ】のディスコグラフィ

ブリジット・ペトリー(Brigitt Petry)のシングル(EP)

1962年

①I Saw Linda Yesterday ‎(7″, Mono)    

②When The Saints Go Marshing In ‎(7″, Single, Mono)           

1963年

③What You… Gone To Do ‎(7″, EP, Mono) 

1965年
④Jeder Geht Einmal Den Weg In Das Glück      

④Jeder Geht Einmal Den Weg In Das Glück        

⑤Blue Beat / Das Haus Im Westen / Shake It Easy, Baby / Down Town ‎(7", Mono) 

⑤Blue Beat / Das Haus Im Westen / Shake It Easy, Baby / Down Town ‎(7″, Mono) 

1966年
⑥So Alt Wie Die Welt    

⑥So Alt Wie Die Welt    

⑦Vergessen     

⑦Vergessen  

⑧Lonely Moon / Sie Sind So Wie Wir ‎(7", Single)     

⑧Lonely Moon / Sie Sind So Wie Wir ‎(7″, Single)     

1967年
⑨Wenn Die Glocken Läuten / Kannst Du Verzeih'n?  

⑨Wenn Die Glocken Läuten / Kannst Du Verzeih’n?

⑩Jack White - Brigitt Petry - I Love You (Was Kann Ich Denn Dafür) ‎(7", Single, Mono)          

⑩Jack White – Brigitt Petry – I Love You (Was Kann Ich Denn Dafür) ‎(7″, Single, Mono) 

1968年
⑪Hey, Hey Boy / Traumland

⑪Hey, Hey Boy / Traumland

⑫...Da Beisst Ein Goldfisch An / Lass Die Hände Von Bill Bailey ‎(7", Single) 

⑫…Da Beisst Ein Goldfisch An / Lass Die Hände Von Bill Bailey ‎(7″, Single) 

1969年
⑬Babuschka / Ich Hab' Meine Flügel Verloren Heute Nacht ‎(7", Single) 

⑬Babuschka / Ich Hab’ Meine Flügel Verloren Heute Nacht ‎(7″, Single) 

1970年
⑭Love Button    

⑭Love Button  

⑮Komm Her Und Lieb Mich / Es Tut Mir Weh ‎(7", Single)    

⑮Komm Her Und Lieb Mich / Es Tut Mir Weh ‎(7″, Single) 

 

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