ハイディ・バチャート(Heidi Bachert)について【ドイツ】

ハイディ・バチャート(Heidi Bachert)について【ドイツ】
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ドイツの歌手「ハイディ・バチャート(Heidi Bachert)」のポップスのアドレス帳は、男の子たちでぎっしりであった。

唯一のチャートヒット、ミリー(Millie)“ My boy lollipop”のカバーで有名であるが、後の“Super Boy”が最も愛されている。

ハイディ・バチャート(Heidi Bachert)のバイオグラフィ

ハイディ・バチャートは、1944年3月4日、ハンブルク(Hamburg)に生まれる。学校卒業後、日中はレコードショップで働きながら、夜は地元のクラブのアマチュア・ナイト(素人演芸会)で歌っていた。

1964年 20歳のころ

1964年、レコード会社「Polydor」から契約のオファーを受ける。

前年にマヌエラ(Manuela)が“Schuld war nur der Bossa Nova”で最高売り上げのヒットを記録しており、レコード会社はこの成功に乗じて、似たような性質の新しい歌手を探していたのだ。

そして、“Beim Bossa Nova küßt man nicht”がハイディのデビュー曲となった。これは1964年5月に4週間チャートに留まったが、惜しくもトップ40入りは逃した。

B面の、ブレンダ・リー(Brenda Lee)“ My whole world is falling down”のカバーである“Jackie ist ein Sonny-Boy”は、初めて彼女が男の子をテーマにした作品となった。

それから、確実にヒットとなる曲を探し始めた。

ジャマイカ生まれでロンドンを拠点にする歌手、ミリーが“My Boy Lollipop”で広く成功を収めていたので、この曲をドイツ市場向けにカバーすることが決まる。

ちなみにこれは元々、アメリカのバービー・ゲイ(Barbie Gaye)の1956年のスモールヒットである。

1964年夏、ハイディ・バチャートのバージョンは、ミリー自身がドイツ語で再レコーディングしたバージョンとの競合として発売されたが、勝利を掴んだのは地元育ちの歌手ハイディであり、その年の7月にドイツチャート32位を記録した。

ハイディは次の作品で似たようなことができそうにないという、おそらく非常に正しい推測の下、続くリリースからはブルー・ビートスタイルはやめようという判断が下った。

しかし、男の子をテーマにするのは変わらなかった。

1965年 21歳のころ

ひとりよりはふたりの男子のほうがいいだろうと、“Joey my Boy”が1965年最初のシングルとして発売された。

B面は子守歌“Fuchs, du hast die Ganz gestohlen”のカバーで、キャッチーでビートなシュラガー(ドイツ語ポップス)調の“Boy, du hast mein Herz gestohlen”である。

しかしふたりの男子を使うという作戦をもってしても、売り上げは伸びなかった。

その年の後半に発売された“Das liegt alles nur an dir”もまた失敗に終わると、「Polydor」はポップス界の有力者、ギュンター・ルース(Günter Loose)を呼び寄せた。

1966年 22歳のころ

ギュンター・ルースは、マリオン(Marion)、マヌエラ、スザンヌ・ドーセット(Suzanne Doucet)らの数えきれないヒットの立役者であり、彼が1966年のハイディのファーストリリースのため、「Polydor」の新しい作曲家、ワーナー・ラスト(Werner Last)とチームを組んだ。

ちなみにワーナーは、レナーテ・カーン(Renate Kern)を発掘した人物である。

そして成熟した“Der Anfang ist immer schwer”が完成。

B面はグループ「アイケッツ(The Ikettes)」“I’m so thankful”のカバー“Das ist ein Fehler von mir”で、これはファンたちを喜ばせる素晴らしい選択であった。

しかし、ハイディ・バチャートの作品で最も人気となるのは、「Polydor」から発売した最後の作品であった。

当然のように、これはまた男の子をテーマにした作品へと戻る。

1966年夏、イギリスの歌手グラハム・ボニー(Graham Bonney)が“Super Girl”でドイツでトップ10入りするヒットを記録していたので、ハイディもこの曲をレコーディングすることが決まった。

残念ながら、ハイディ・バチャートの“Super-Boy”は失敗に終わり、すぐ後にレコード会社を去った。

1967年 23歳のころ

彼女はレコード会社「Metronome」と契約し、1967年に“Fische wollen schwimmen”を発売。

これはブリットガール、トニー・デイリー(Toni Daly)のB面曲“You can’t get no water”のカバーで、B面には“Ich möchte mit dir tanzen”が収録された。

これもまた失敗に終わり、彼女はこの業界から去っていった。

出典:Ready Steady Girls

ハイディ・バチャート(Heidi Bachert)について【ドイツ】の口コミ

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ハイディ・バチャート(Heidi Bachert)のディスコグラフィ

ハイディ・バチャート(Heidi Bachert)のシングル(EP)

ハイディ・バチャート(Heidi Bachert)のシングル(EP)
  1. My Boy Lollipop  1964
  2. Beim Bossa-Nova Küßt Man Nicht / Jackie Ist Ein Sonny-Boy ‎(7″, Single)  1964
  3. Joey My Boy / Boy, Du Hast Mein Herz Gestohlen ‎(7″, Single) 1965
  4. Das Liegt Alles Nur An Dir / Treu Wie Du ‎(7″, Single) 1965
  5. Der Anfang Ist Immer Schwer  1966
  6. Super Boy (Super Girl) ‎(7″, Single)  1966
  7. Fische Wollen Schwimmen / Ich Möchte Mit Dir Tanzen ‎(7″, Single)  1967

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