ドミニク(Dominique)について【ドイツ】

ドミニク(Dominique)について【ドイツ】
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ドイツの歌手ドミニク(Dominique)は、業界が時代に付いていくために不運な試みをされたという、変わった脚注をシュラガー(ドイツ語ポップス)の歴史に残している。

しかし、彼女の抗議の歌はある種の信頼性を欠いており、たくさんのシングルと1枚のLPを発売した後、現れたのと同じように素早く、音楽業界から姿を消した。

ドミニク(Dominique)の生い立ち

ドミニクこと本名ドミニク・エルクレップ(Dominique Elchlepp)は、ドイツ南部のミュンヘン(Munich)出身である。

彼女が音楽業界に足を踏み入れたのは、業界が早急に自分たちをアップデートをしなければいけないと気が付いた頃であった。

1960年代中頃までには、ドイツの音楽市場は、増え続ける格好のいい外国人アーティストたちの影響で、特に若い世代に対して基盤と売り上げを失いつつあった。

イギリスとアメリカからビートブームがこの国に到来した時に、業界はすでに大きな痛手を負っていた。そして今度はイギリスとアメリカで、より確実で誠実な新しい世代のシンガーソングライターたちが登場。一方ドイツ音楽は、保守的で時代遅れで的外れだと評されていた。

原因のひとつは、ドイツ音楽業界のほとんどが中年世代の作曲家やプロデューサーの小さなグループに支配されていたことで、彼らはしばしばメディアに「シュラガー連合」と称され、新参者に取って代わられないよう注意深くしていた。

1965年

1965年、プロデューサーのゲルハルド・メンデルスゾーン(Gerhard Mendelsohn)は、ボブ・ディラン(Bob Dylan)やジョーン・バエズ(Joan Baez)といった歌手たちに対抗するような、ドイツ人歌手を育てるべきだという考えに至った。

彼は10年前に、ピーター・クラウス(Peter Kraus)とテッド・ヘロルド(Ted Herold)という「ドイツのエルビスに対する答え(German-answers-to-Elvis)」である2人を、首尾よく世に送り出した人物である。

ドミニクに目を向けると、彼女は20歳になる音楽学校の生徒で、ある役に選ばれた。自身も認めるところだが、彼女は政治にほとんど関心がなく、それがいくらか彼女の地位をひそかに傷つけたと言える。しかし彼女の持つ、勢いがあり、ほぼ麻痺したような歌声は、与えられた「怒った若い女性」役にぴったりだった。

ドノバン(Donovan)の反戦曲“Universal soldier”のドイツ語翻訳版“Der ewige Soldat”が、彼女のファーストシングルとして発売された。レコード会社「Polydor」の報道室はドミニクの音楽を、「社会批判的な意味を持ち、誰もが考えなければいけない問題に取り組んでいる」、そしていかに「Polydorは初めて難しいドイツ抗議の歌を彼女に歌わせたことに対して勇気がある」かということを野心的に述べた。

当時、最も保守的なシュラガーである、ロイ・ブラック(Roy Black)やフレディ・クイン(Freddy Quinn)たちのホームであった「Polydor」から出てくる言葉としては奇妙で、彼らが新しく見つけた「勇気」とはおそらく、経済を燃料にしているものだろう。

しかし買い手たちは、作られた反体制歌手である彼女にはあまり納得せず、オリジナル曲のほうを好んだが、それでもこの曲は彼女の中で最も有名な曲となっている。

1966年

1966年にドミニクの次の45レコードである、オリジナル曲“Ist das die Welt, die wir ‘mal erben sollen”が発売された。ドイツでの世代間の対立に関する歌だが、これもまた失敗に終わる。

軍備拡大競争に対する抗議の歌“Starfighter-Ballade (…und was wird morgen sein?)”が、彼女の3枚目のリリースとなった。B面は“Der Brief von drüben”で、戦後にドイツが東西に分かれたことを、初めて扱った曲のひとつである。

その年、彼女はまたLP『Krieg im Frieden』も発売した。

このLPには彼女の3枚のシングルと、ボブ・ディランの“Blowin’ in the wind”、ジョーン・バエズの“Farewell Angelina”、グループ「ピーター・ポール・アンド・マリー(Peter, Paul & Mary)」の“Cruel war”、ピート・シーガー(Pete Seeger)の“Where have all the flowers gone?” といった、陽気だが意外性のない曲のドイツ語カバー、そしてたくさんのオリジナル曲が収録されている。

新曲の中では、アップテンポのビートナンバー“Das Schlüsselkind”がおそらく彼女の中でのベスト曲のひとつだろう。

しかし、左翼雑誌『Der Stern』との共同プロモーションや平和集会でのライブパフォーマンスにも関わらず、このレコードは全くうまく行かなかった。

反体制歌手が信頼を得るのは、思っているよりも難しいことだと、彼女のプロデューサーは理解すべきであった。ドミニクのボーカルには何の問題もなかった。ただ歌詞に、当惑させるような決まり文句が含まれており、不自然な印象を与えてしまったのだ。

革命を起こす者としてドミニクを確立するという、すべての計画は捨て去られた。

1967年

1967年、アルバム後の初めてのシングルとして、失恋バラード“Ich hab’ in der Liebe kein Glück”が「Polydor」から発売された。おそらくより力強い曲である“Und wieder steht der Sonntag vor der Tür”はB面に収まってしまう。

1968年

その翌年、最後のシングルとなる“Tausend Straßen”をレコーディングした。

この曲は、それより以前にヴィッキー・カー(Vikki Carr)とリトル・エヴァ(Little Eva)が両名ともレコーディングした、“One more mountain”のドイツ語バージョンである。B面は、物思いに沈んだようなバラード“Du lachst mich aus”で、ドミニクの優しい側面を示しており、彼女の中でのベスト作品のひとつとなっている。

残念ながら、この2枚のシングルはどちらも熱心にプロモーションがなされず、すぐ後にドミニクはレコード会社を去り、2度とレコーディングをすることはなかった。

最近、コレクターの間で彼女の作品は、ドイツ音楽業界が時代の流行に近づこうとしたが甘かった、という、数少ない時期を象徴する作品として人気が復活した。

出典:Ready Steady Girls

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ドミニク(Dominique)のディスコグラフィ

ドミニク(Dominique)のシングル(EP)

ドミニク(Dominique)のシングル(EP)
  1. Der Ewige Soldat / Aber Ich Wart Auf Dich ‎(7″, Single, Mono)   1965
  2. Ist Das Die Welt, Die Wir ‘Mal Erben Sollen? ‎(7″, Single, Mono)   1966
  3. …Und Was Wird Morgen Sein? / Der Brief Von Drüben ‎(7″, Single)   1966
  4. Ich Hab’ In Der Liebe Kein Glück / Und Wieder Steht Der Sonntag Vor Der Tür ‎(7″, Single)   1967
  5. Tausend Straßen / Du Lachst Mich Aus ‎(7″, Single)  1968
  6. Der Ewige Soldat / Die Antwort Weiß Ganz Allein Der Wind ‎(7″) 発売日不明

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