ジェイコブ・シスターズ(The Jacob Sisters/Die Geschwister Jacob)について【ドイツ】

ジェイコブ・シスターズ(The Jacob Sisters/Die Geschwister Jacob)について【ドイツ】
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ドイツの「ジェイコブ・シスターズ(The Jacob Sisters)」は、50年以上共にパフォーマンスを続けている。これまでに、まっすぐなポップスから風変りなものまで、ドラッグクイーンのようなコメディアンからテレビ局「QVC」のセールスウーマンまで、様々な異なったスタイルを取り入れてきた。

彼女たちは頻繁にテレビのバラエティ番組に出演し、たいていはちょっとした歌を歌った。思い切ったウィッグと衣装を身に付けた4人のブロンド女性は、人目を引いた。

ジェイコブ・シスターズ(The Jacob Sisters/Die Geschwister Jacob)のバイオグラフィ

ジェイコブ家の姉妹、ジョアンナ (Johanna)、ローズマリー(Rosemarie)、イヴァ(Eva)、ハンネローレ(Hannelore)はドイツの東端、ザクセン州(Saxony)のSchmannewitzに生まれる。

子供の頃、父親のレストランでパフォーマンスを行っており、自分たちを「Schmannewitzer Heidlerchen (Schmannewitze’s Wood Larks)」と呼んでいた。

1959年

1959年、家族は西ドイツへと移り、フランクフルト(Frankfur)にほど近い、ノイ=イーゼンブルク(Neu Isenburg)に腰を据えた。

「Geschwister Jacob」と自分たちを名付け、彼女たちはついにドイツのテレビ番組『Zum blauen Bock』にゲスト出演を果たし、続いてレコード会社「CBS」と契約を結んだ。

1964年

1964年、ファーストシングルである、幾らか単調な“Träume der Liebe”が発売された。

ドイツチャートではわずかにトップ40に届かなかったが、オランダチャートではトップ20入りを果たすヒットとなった。

もう1枚のシングル“Ein Cowboy der braucht Liebe”とLPを1枚発売した後、おそらく彼女たちの中で最高のポップス作品と言えるであろう、グループ「シュープリームス(The Supremes)」“Stop! In the name of love”のカバー、“Was hab’ ich dir getan”をレコーディングした。

B面はこれもまたレコード会社「Motown」風のストンパー、“Tut mir Leid, Jonny Boy”である。

1965年

より若い世代の関心を引こうと、このシングルで「ジェイコブ・シスターズ」という名前を採用した。

この目論見はうまく行き、この曲は1965年6月に32位に到達する、彼女たち最大のチャートヒットとなった。

残念ながら、彼女たちはポップスを続けず、「Geschwister Jacob」という名前に戻り、ぱっとしないフォークソング“Am blauen See, im grünen Tal”を発売した。

次のシングルは、庭の妖精についての変わった曲“Gartenzwerg-Marsch”で、これは彼女たちのその後の活動に付いて回ることになる。

チャートに入ることはついになかったのだが、この曲を彼女たちはその後の40年で、少なくとも5回の再リリース、再レコーディングを行っている。

これはジェイコブ・シスターズのテーマ曲となり、コメディアンとしての地位を確立。

1966年

ジェイコブ・シスターズの続く作品は、どれも前作ほどとんでもないものではなかったが、チャートに入ることはできなかった。

エンリコ・マシアス(Enrico Macias)“ Mon coeur d’attache”のカバー“Wenn die Musik erklingt”、1966年のコンテスト『Deutsche Schlager-Festspiele』のエントリー曲であるポップな“So ist ein Boy”(結果は8位であった)、“Wir haben zu Haus kein Swimming Pool”、グループ「レイネッツ(Reynettes)」“Kowloon Hong Kong”のカバー“Happy Hongkong”である。

1967年

1967年、2曲のフランス語オリジナル曲のカバーシングルを発売する。

グループ「パリジェンヌ(Parisiennes)」“Il va falloir mettre au régime”のカバー“In jedem Manne steckt ein Kind”とアリス・ドナ(Alice Dona)“ Les trois couleurs de l’amour”のカバー“Drei Farben der Liebe”である。

この頃、チャート上の成功からは完全に見放されてしまっていたものの、ジェイコブ・シスターズは「German Fräulein Wunders」(戦後にアメリカで作られた「ミス・ドイツ」のようなもの)を獲得して勢いに乗り、サミー・デイヴィス・ジュニア(Sammy Davis Jr)、ルイス・アームストロング(Louis Armstrong)、デューク・エリントン(Duke Ellington)らと共にラスベガス(Las Vegas)の有名なカジノ「Desert Inn」でのパフォーマンスに招待された。

彼女たちは残りの1960年代、アメリカのキャバレーでお馴染みの顔となった。

ドイツでは、「CBS」は彼女たちのシングルとLPの発売を続けた。“Die alte Eisenbahn”に続き、マッシェル(Massiel)の、コンテスト『Eurovision』でのスペイン優勝曲のカバーである“La la la”が発売された。ちなみにこれはハイジ・ブリュール(Heidi Brühl)のバージョンと競合する形で発売された。

1968年

1968年のコンテスト『Deutsche Schlager-Wettbewerb』で、ジェイコブ・シスターズは、シュー・マルムクヴィスト(Siw Malmkvist)、フランス・ギャル(France Gall)、レナーテ・カーン(Renate Kern)らと争うが、彼女たちの忘れられやすい“Mit dem Pfeil und Bogen”は決勝へ進むことはできなかった。

しかし、このエントリー曲のリリースは、ジャケットで彼女たちが映画『Barbarella』のようなシルバーの衣装を身に着けていること、そしてB面に国際的ヒット“Can’t take my eyes off you”の素晴らしいカバーである“Das glücklichste Mädchen der Welt”を収録していること、という2つの点において注目すべきである。

このシングルは現在コレクター市場で非常にレアであり、3桁の額で取引されている。

ジェイコブ・シスターズは昔の名前「Schmannewitzer Heidelerchen」を最後にもう一度使い、ドルテェ(Dorthe)“ Wärst du doch in Düsseldorf geblieben”(コンテスト『Schlager-Wettbewerb』で2位となりビッグヒットとなった)のパロディカバー“Wärst du Dussel doch im Dorf geblieben”を発売。

1968年後半、彼女たちは、風変りなコメディアングループ「Insterburg & Co」と共に映画『Quartett im Bett』に出演するという、驚きの行動を見せた。

この映画はシュラガー(ドイツ語ポップス)業界のパロディ作品で、その年に名誉ある賞「Ernst-Lubitsch-Preis」を獲得した。サウンドトラックLPから、“Gilbert”がシングルとして発売された。

1969年

1969年に、より馴染みのあるスタイルへと戻り、現代風ビートサウンドのフォークソングLP『Aus der Jugenzeit a Go Go』を発売した。

テレビのスペシャル番組『Sing sing sing』にも出演した。これは「ジェイコブ・シスターズ」という名前で初めて発売されたLPで、この後彼女たちはこの名前を使用する。

次のシングルは、スコットランドのエディンバラ(Edinburgh)の、こちらもまた姉妹によるグループである「カーリンズ(Karlins)」“Walkin’ away”のカバー“So schnell geht die Liebe vorbei”であった。

この頃までには彼女たちは、思い切ったウィッグと衣装により、ますますキャンプなイメージが増していた。

そして舞台上の演出に、4匹のホワイトプードルまで持ち出した。

1969年のコンテスト『Deutsche Schlager-Wettbewerb』で、目新しい曲“Auf dem Wege nach Aschaffenburg”の奇抜なパフォーマンスで、彼女たちはもう一度運を試した。

メアリー・ルース(Mary Roos)と同率の10位となり、この曲は彼女たちが「CBS」から発売する最後のシングルとなった。

1960年代が終わり、ガールズグループは時代遅れだと考えられるようになった。

1970年代、その後…

ジェイコブ・シスターズは、1970年に名声のあるレコード会社「German Vogue」から、リュブカ・ディミトロフスカ(Ljubka Dimitrovska)“ Cibu-ciba”のカバー“Halli hallo”を発売したが、その年に契約は終了した。

その後、彼女たちはキャバレーでパフォーマンスを行い、単発的にシングルを発売した。そのうちのいくつかはレコード会社名の記載がないので、自主制作だと思われる。

ほとんどは、目新しい曲か、国際的ヒットのドイツ語カバー曲である。

グループ「バカラ(Baccara)」“Yes sir, I can boogie”を強いザクセン訛りで歌ったカバー曲などである。

法的な理由から、彼女たちはしばらくの間トリオとして活動した。

彼女たちはドイツのテレビ向けにリアリティシリーズを制作したり、自分たちのブランドの犬用マニキュア(読み間違いではないのでご安心を)を販売したりもした。

2008年、一番下の妹、ハンネローレがこの世を去った。

残った3人で活動を続け、定期的にテレビに出演している。

出典:Ready Steady Girls

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ジェイコブ・シスターズ(The Jacob Sisters/Die Geschwister Jacob)について【ドイツ】のディスコグラフィ

ジェイコブ・シスターズ(The Jacob Sisters/Die Geschwister Jacob)のシングル(EP)

ジェイコブ・シスターズ(The Jacob Sisters/Die Geschwister Jacob)のシングル(EP)
  1. Träume Der Liebe / So Einen Boy 1964
  2. Ein Cowboy Der Braucht Liebe / Liebe Muss Kein Märchen Sein  1965
  3. Gartenzwergmarsch / Ahoi Ohe ‎(7″, Single)   1965
  4. Vier Verliebte Mädchen / Am Blauen See Im Grünen Tal ‎(7″)   1965
  5. So Ist Ein Boy / Stop, Stop Stop My Darling  1966
  6. Wenn Die Musik Erklingt / Junge Liebe Rostet Nicht ‎(7″, Single)  1966
  7. Happy Hongkong / Sonne Und Regen 1967
  8. In Jedem Manne Steckt Ein Kind / Die Drei Farben Der Liebe 1967
  9. Wir Hab’n Zu Haus’ Kein Swimming-Pool / Weil Wir So Musikalisch Sind ‎(7″, Single)  1967
  10. Mit Dem Pfeil Und Bogen / Das Glücklichste Mädchen Der Welt ‎(7″, Single) 1968
  11. La – La – La / Ein Happy-End In Dixieland ‎(7″, Single) 1968
  12. Geschwister Jacob & Insterburg & Co – Klatsch, Klatsch Schenkelchen, Opa Wünscht Sich Enkelchen! / Gilbert ‎(7″)  1969

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