ギッタ・ワルサー/シモーヌ(Gitta Walther/Simone)について【ドイツ】

ギッタ・ワルサー/シモーヌ(Gitta Walther/Simone)について【ドイツ】
評価投稿数: 0
0

ドイツの歌手ギッタ・ワルサー(Gitta Walther)は、たくさんの名を持つ女性である。

ギッタ・マッケイ(Gitta MacKay)、ジャッキー・ロビンソン(Jackie Robinson)、シモーヌというのは、50年間のレコーディングキャリアの中で彼女が使った名前のうちの、ほんの一例に過ぎない。

ギッタ・ワルサー/シモーヌ(Gitta Walther/Simone)のバイオグラフィ

ギッタ・ワルサーは、1940年6月14日、東ドイツ、ザクセン州(Saxony)のアンベルク(Annaberg)に生まれで、1960年代初期、16歳の時に西ドイツに亡命する。

いとこの肉屋で少しの間働いた後、ミュンヘン(Munich)のラジオ局「Bayrischer Rundfunk」の歌のコンテストに参加し、一位を獲得した。グループ「Werner Müller Orchestra」のウェルナー・ミューラー(Werner Müller)が彼女に注目し、すぐに彼女は彼のために、またグループ「Ambros Seelos Orchestra」のために歌うようになった。

1965年 25歳のころ

1965年、レコード会社「Philips」から2枚のファーストシングルを発売した。

幾らかセンチメンタルな“Alles gab ich dir”と、よりアップビートな“Ich will nicht träumen (Locomotion twist)”であるが、どちらも人気に火をつけるようなことはなかった。

翌年、地元のビートバンド「Thunderbeats」のギグにゲスト出演した。

彼女がリードした“Hundert hübsche Männer”と“Honeyboy (Ich mach mir Sorgen)”は、後にこのバンドのライブLPに収録された。

ギッタ自身のレコーディング活動は、レコード会社「Telefunken」から新しいイメージと新しい名前で続けられた。ギッタはシモーヌとなった。

シモーヌ時代

この名前の変更について聞かれると、

「当時の多くの女性たちと同じように、私はほとんど自分の作品やイメージに口を出すことはなかったの。レコードのコピーをもらって、そこにシモーヌって書いてあったの。会社に聞いたら、私の新しいヘアスタイルがフランス人みたいで、その頃ドイツでは外国人の女の子が大人気だったからだって。」

と彼女は言う。

シモーヌとしての最初のシングルは、おそらく彼女の中でベストの作品であろう。

A面の“Er sieht aus wie ein Mann”はエマ・レデ(Emma Rede)(アイルランドの歌手ジャッキー・リー(Jackie Lee)の別名)オリジナル曲“Just like a man”のカバーであるが、本当に成功したのは、B面の素晴らしいビート曲“Gelegenheit macht Diebe”のほうである。

しかし残念ながら、発売時には市場の関心を引くことはできず失敗に終わる。

1967年 27歳のころ

1967年に発売された次のシングルは、感傷的な“Ich und meine Schwester”で、B面はイタリアの歌手ジリオラ・チンクエッティ(Gigliola Cinquetti)“ La rosa nera”のドイツ語カバー“Das Glück ist treu”である。

「このレコードを、あまり真剣に考えていなかったの。バンドで歌う仕事が主な収入源だったから。曲は全部オッケーだったけど、私の音楽的には、もうこういうきちんとしたシュラガー(ドイツ語ポップス)ではなくなっていたように感じたの。」

と彼女は言う。

シモーヌとしての最後のリリースでは、彼女は元のスタイルへと戻った。

“Wer weiß die Antwort”は、シーラ・ブラック(Cilla Black)“ Where is tomorrow”の素晴らしいカバーで、B面はオリジナル曲“Es müßte regnen”であった。

彼女はこの作品の選択に非常に喜んだ。

「家では、アメリカやローリング・ストーンズ(Rolling Stones)のブラックミュージックを聴いていたから。女性歌手では、ルル(Lulu)やシーラ・ブラックが大好きだったわ。彼女たちは素晴らしかった。」

と彼女は言う。

1969年 29歳のころ

1969年にレコード会社「CBS」から、60年代最後のソロレコードを本名のギッタ・ワルサーという名前で発売した時には、彼女はすでにグループ「Cornely Singers」に参加していた。

しかし、この安っぽい“Jeder Weg führt zurück zu dir”は、初めから失敗する運命にあったし、B面の生き生きとした“Du”は、すでにデンマークのポップスドール、ドルテェ(Dorthe)がドイツで発売していた。

1969年後半、「Cornely Singers」は「Love Generation」となり、ヒッピースタイルのボーカルグループとして成功し、定期的にテレビに登場した。

このグループと共に働く一方、ギッタはバックアップ歌手として人気となり、ドナ・サマー(Donna Summer)、アマンダ・リア(Amanda Lear)、ロベルタ・ケリー(Roberta Kelly)らの、たくさんのミュンヘン製のディスコトラックを歌った。

1970年代… その後

彼女は、グループ「Silver Convention」の1975年のヒット“Fly, robin, fly”のオリジナルを歌っているひとりだが、「Love Generation」との公約の関係で、公式には名前を載せることができなかった。

彼女はまた、ペニー・マクリーン(Penny McLean)の1975年のドイツチャートトップ曲“Lady Bump”のトレードマークである叫び声を提供しており、ジャッキー・ロビンソンという名前でアメリカで自身のディスコ曲をヒットさせてもいる。

1970年代後半から80年代にかけて、彼女はドイツのガールズグループ「Hornettes」に参加し成功を収めた。

彼女はアンベルクへ戻り、バンド「Blackfingers」と共にパフォーマンスを続けた。彼女はまたドイツ語のフォークソングアルバムの発売もしている。

悲しいことに、ギッタは2014年10月10日、この世を去った。

出典:Ready Steady Girls

ギッタ・ワルサー/シモーヌ(Gitta Walther/Simone)について【ドイツ】の口コミ

感想を追加する


Submit your review
*必須項目です

ギッタ・ワルサー/シモーヌ(Gitta Walther/Simone)のディスコグラフィ

ギッタ・ワルサー(Gitta Walther)にのシングル(EP)

ギッタ・ワルサー(Gitta Walther)にのシングル(EP)
  1. Ich Will Nicht Träumen ‎(7″, Single, Mono)  1964
  2. Alles Gab Ich Dir / Küss Mich Bei Mondenschein ‎(7″, Single, Mono) 1964
  3. Jeder Weg Führt Zu Dir / Du ‎(7″, Single) 1969

シモーネ(Simone)時代のシングル(EP)

シモーネ(Simone)時代のシングル(EP)
  1. Das Glück Ist Treu / Ich Und Meine Schwester  1967
  2. Er Sieht Aus Wie Ein Mann / Gelegenheit Macht Diebe ‎(7″, Single)  1967
  3. Es Müßte Regnen / Wer Weiß Die Antwort ‎(7″, Single)  1968

関連記事とアーティスト

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

感想を追加する


Submit your review
*必須項目です

関連記事

ハイジ・フランケ(Heidi Franke)

ハイジ・フランケ(Heidi Franke)について【ドイツ】

ブリジット・ペトリー(Brigitt Petry)について【ドイツ】

ブリジット・ペトリー(Brigitt Petry)について【ドイツ】

ハイジ・ブリュール(Heidi Brühl)について【ドイツ】

ハイジ・ブリュール(Heidi Brühl)について【ドイツ】

1958 Alice Babs - Lollipop(初期ヒット曲集)

1958 Alice Babs - Lollipop(初期ヒット曲集)

Alexandra

アレクサンドラ(Alexandra)について【ドイツ】

クレイジー・ガールズ(Die Crazy Girls)について【ドイツ】

クレイジー・ガールズ(Die Crazy Girls)について【ドイツ】