リリアーヌ・サン・ピエール(Liliane Saint Pierre)について【ベルギー・フランス】

リリアーヌ・サン・ピエール(Liliane Saint Pierre)
評価投稿数: 0
0

ベルギー・フランドル(Flemish)地方のの女性歌手リリアーヌは、母国ベルギーで数枚のヒットを記録し、その後クロード・フランソワ(Claude François)により、1968年にパリ(Paris)に連れて行かれた。クロード・フランソワは彼女に、新しい外見、新しい名前である「リリアーヌ・サン・ピエール(Liliane Saint Pierre)」、そして新しい活動の拠点を与えたのである。

1960~1970年代フランスの女性歌手

リリアーヌ・サン・ピエール(Liliane Saint Pierre)のバイオグラフィ

リリアーヌ・サン・ピエールは、1948年12月18日、本名リリアーネ・ケニンククス(Liliane Keuninckx)として、ベルギーのフランドル(Flemish)地方の町、ディースト(Diest)に生まれる。

10代の頃、特に今後の音楽活動を考えた訳ではなく単なる遊びとして、小さな歌のコンテストに出場した。

1964年 15歳~16歳のころ

しかし1964年、マネージャーのミロ・デ・コスター(Milo De Coster)が彼女に注目し契約を結び、その年の後半に“We gotta stop”を発売。

これはアメリカのカントリー&ウエスタン曲“Stop and think it over”のフラマン語カバーで、1964年夏にベルギーチャートで5位に到達した。

続いて“Waarom”がその年の秋にトップ20入りを果たし、翌年にもコニー・フランシス(Connie Francis)“ Wishing it was you”のカバー“Verboden wensen”で成功を収めた。

1965年 16歳~17歳のころ

リリアーヌは、1965年、コンテスト『Knokke Cup』にベルギー代表として出場し、イギリスのエイドリアン・ポスター(Adrienne Poster)、オランダのスージー(Suzie)、イタリアのイヴァ・ザニッキ(Iva Zanicchi)らと争った。

このコンテストによりヨーロッパ中でリリアーヌの名前が知られることとなり、その年に初めてのフランス語シングル“Quand vient la nuit”を発売した。

ちなみにB面の“Pourquoi”は彼女自身のヒット曲“Waarom”の翻訳版だ。

1966年 17歳~18歳のころ

これに続いて1966年、ファンお気に入りの“Vivre comme dans les livres”が発売された。ちなみにB面は、ドイツの歌手マリオン(Marion)“ Er ist wieder da”の素晴らしいカバー“Il est revenu”である。

さらに活動の幅を広げ続け(彼女自身の才能ではなかったが)、ドイツ市場を開拓した。

1967年 18歳~19歳のころ

ハンブルク(Hamburg)の劇場「Star-Club」に出演した後、1967年に低俗な“Leider, leider, leider”を発売し、成功できただろう素敵なチャンスを棒にふってしまった。

リリアーヌはこの曲に特に関心を払いさえしなかった。

ちなみにこれはいくらか、スウェーデンの歌手シュー・マルムクヴィスト(Siw Malmkvist)のドイツシュラガーヒット“Ein neues Spiel, ein neues Glück”を思い出させる。

すぐに続いて発売されたドイツ語シングル“Schuld bist du daran”は、大きく改善された。

1968年 19歳~20歳のころ

1968年にコンテスト『Canzonissima』に、シックで明らかに成長したバラード“Wat moet ik doen”で出場し、これが彼女の活動のターニングポイントとなった。

ここで彼女はフランスのスター、クロード・フランソワに注目され、彼のレコード会社「Flècheレコード」との契約のオファーを受けた。

フランソワは彼女の活動とスタイルに対して、非常に明確な考えを持っていた。髪を短くしブリーチさせ、よりフランス語の響きだと考えてリリアーヌ・サン・ピエールという名前にさせ、その後フランスで売り出しをした。

彼女はたくさんのEPやシングルを発売した。

その多くは国際的なヒット曲のカバーだった。これは数年前のイエイエのスタイルであり、この頃にはあまり普通ではなくなっていたのだが、それでも問題ではなかった。

まず初めに1968年に、アメリカの歌手サンディー・ポジー(Sandy Posey)“ Single girl”のカバー“Je suis une fille toute seule”が発売された。

リリアーヌ自身の“Wat moet ik doen”のフランス語カバー“Nous sommes bien peu de chose”と、より素晴らしい“Quand ce jour-là”、レコード会社「Motown」所属のクリス・クラーク(Chris Clark)“ I want to go back there again”のカバー“Rentrer chez moi”もまたこのディスクに収録された。

イタリア市場向けにも1枚だけ、“Ma se questa volta”をレコーディングした。

同じ年の後半に発売した、続くフランス語作品もまた、同様に力のあるものだった。オリジナルの“J’entends une symphonie”がリードトラックで、PPアーノルド(PP Arnold)“ Angel of the morning”のカバー“Au revoir et à demain”、サンディー・ポジーの作品に再び戻って“I take it back”のカバー“Je retire tout”が収録されている。

続くEPに最適な曲を見つけ出そうと、世界中から探し始めた。

1968年、トム・ジョーンズ(Tom Jones)“ (It looks like) I’ll never fall in love”のカバー“Plus jamais”と、B面にはルル(Lulu)“ Me, the peaceful heart”のカバー“Je ne suis pas un bonbon”が収録された作品が発売され、イタリアの歌手ファウスト・レアリ(Fausto Leali)“ Un’ ora fa”のカバー“Si loin des yeux, si loin du cœur”が、1969年最初のフランス語作品として選ばれた。

このEPには、シーラ・ブラック(Cilla Black)“ Surround yourself with sorrow”のカバー“Un ombre sur mon cœur”と、メアリー・ホプキン(Mary Hopkin)とセルジオ・エンドリゴ(Sergio Endrigo)の、その年のコンテスト『San Remo』で2位となった“Lontano dagli occhi”のカバー“Parce que tu me quittes”、ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)“ Do you know the way to San José”のカバー“La route du bonheur”も収録されている。

1969年 20歳~21歳のころ

続くシングルは、ハーマンズ・ハーミッツ(Herman’s Hermits)“ My sentimental friend”のカバーで1969年発売の“Chanson sentimentale pour une fille sentimentale”、1970年の“Quand c’est fini, c’est fini”である。

「Flècheレコード」での活動期間がリリアーヌ・サン・ピエールのベストの時期であり、この成功が、フランスのスター、アントワーヌ(Antoine)のための舞台で、パリの名声ある劇場「Olympia」に出場することにつながった。変わった活動としては、ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)と共にテレビに出演したりもした。

1970年 21歳~22歳のころ

「Flècheレコード」での活動は、彼女の夫の父親で、マネージャーである人物と仲たがいをする1970年まで続いた。

その後リリアーヌ・サン・ピエールはベルギーへ戻った。

グループ「The Brotherhood of Man」“United we stand”のカバー“Nous resterons unis”が、「Flècheレコード」からの最後の作品となった。

ちなみにファンは、B面でグループ「The Grassroots」“Heaven knows”のクールなカバー“Dieu seul sait”のほうを好む。

幸運なことに、フラマン語での作品の発売を続けていたので、母国で忘れ去られてはいなかった。しかし彼女は、プロジェクト「Glory halleluja 2000」の一員として教会で歌うという、驚きの行動を取った。

1974年 25歳~26歳のころ

リリアーヌ・サン・ピエールは1974年、“Als je gaat”で再びポップス界へと戻った。

その後…

1987年には『Eurovision』にベルギー代表として“Soldiers of love”で参加したが、残念な11位という結果だった。

1990年代、ダスティ・スプリングフイールド(Dusty Springfield)“ In private”のカバー“Ik wil alles met je doen”で再びヒットを出し、ボーイズバンド「Get Ready」の1997年のヒット曲“Geef me tijd”にゲスト参加した。

より最近では、ベルギーの数々のポップス番組で審査員を務め、現在は妻に先立たれたベルギーのスター、アン・クリスティー(Ann Christy)と共に暮らしている。

出典:Ready Steady Girls

リリアーヌ・サン・ピエール(Liliane Saint Pierre)の口コミ

感想を追加する


Submit your review
*必須項目です

リリアーヌ・サン・ピエール(Liliane Saint Pierre)のディスコグラフィ

リリアーヌ(Liliane)名義のシングル(EP)

リリアーヌ(Liliane)名義のシングル(EP)
  1. Waarom / Want jij   1964
  2. We Gotta Stop! ‎(7″, Single) 1964
  3. Verboden Wensen ‎(7″, Single)  1965
  4. Kom Met Ons Mee ‎(7″, Single) 1965
  5. Vivre comme dans les livres ‎(7″, Single)   1966
  6. Das Spiel Ist Vorbei / Was Kommt Dann 1967
  7. Leider, Leider, Leider / Du Bist So Wie Ein Fremder ‎(7″, Single) 1967
  8. Eenzame Boy ‎(7″)  1967
  9. Jammer, Jammer, Jammer ‎(7″) P  1967
  10. Schuld Bist Du Daran / Du Hast Dich Verändert ‎(7″, Single)  1967
  11. Alle Schuld Ligt Bij Jou ‎(7″, Single)   1968
  12. Wat Moet Ik Doen / Neen Ik Heb Geen Spijt ‎(7″, Single)  1968
  13. Meisjeshart Is Toch Niet van Steen ‎(7″)   1969
  14. Das Ist Nun Mal Meine Persönlichkeit   1971
  15. Santa Domingo ‎(7″, Single)   1975
  16. Er Staat Een Foto In ‘N Lijst ‎(7″) 発売日不明
  17. Bij Het Strand / Wat Sommige Meisjes Doen ‎(7″)   発売日不明
  18. Quand Vient La Nuit / Pourquoi ‎(7″)  発売日不明
  19. Oh Oh Marc Dex ‎(7″)   発売日不明
  20. Kom Met Ons Mee ‎(7″, Single, Mono)  発売日不明
  21. Blauwe Ogen Liegen Niet ‎(7″) 発売日不明

リリアーヌ・サン・ピエール(Liliane Saint Pierre)名義のシングル(EP)

リリアーヌ・サン・ピエール(Liliane Saint Pierre)名義のシングル(EP)
  1. Middernacht / Mixed-Up Shook-Up Girl ‎(7″)   1965
  2. Chanson Sentimentale Pour Une Fille Sentimentale / Les Sept Derniers Jours    1968
  3. J’entends Une Symphonie ‎(7″)  1968
  4. Au Revoir Et à Demain / Je Retire Tout ‎(7″, Single)  1968
  5. Ma Se Questa Volta ‎(7″, Single)  1968
  6. J’Entends Une Symphonie / Le Brouillard Est Tombé Sur La Ville / Au Revoir Et A Demain / Je Retire Tout ‎(7″, EP)  1968
  7. Plus Jamais / Je Ne Suis Pas Un Bonbon ‎(7″, EP)  1968
  8. Je Suis Une Fille Toute Seule ‎(7″, EP)   1968
  9. Quand ce jour-là ‎(7″, Single, Mono)  1968
  10. J’Entends Une Symphonie ‎(7″)  1968
  11. Si Loin Des Yeux Si Loin Du Cœur ‎(7″, EP) D  1969
  12. Only You 1970
  13. Nous Resterons Unis / Dieu Seul Sait ‎(7″, Single, Mono)   1970
  14. Nous Resterons Unis / Dieu Seul Sait ‎(7″, Single)  1970
  15. Quand C’est Fini C’est Fini / Je N’aimerai Plus Jamais ‎(7″, Single)  1970
  16. Liliane St. Pierre – Martine Morgan – Levenstuin (Laat De Kleinen Tot Mij Komen) ‎(7″, Single)   1972
  17. Si Tu Pars / La Nuit Est Sombre  1973
  18. Is Het Onmogelijk ? ‎(7″, Single)  1974
  19. Heb Je Nooit Vaarwel Gezegd ‎(7″, Single)   1974
  20. Als Je Gaat ‎(7″, Single)  1974
  21. Santa Domingo ‎(7″, Single)  1975
  22. Je Suis Une Fille Toute Seule / Quand Ce Jour Là ‎(7″, Single)  1976
  23. Melodie ‎(7″, Single)  1978

関連記事とアーティスト

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

感想を追加する


Submit your review
*必須項目です

関連記事

アンナ・セント・クレア(Anna St Clair)について【フランス】

アンナ・セント・クレア(Anna St Clair)について【フランス】

アニー・フィリップ(Annie Philippe)について【フランス】

アニー・フィリップ(Annie Philippe)について【フランス】

Clothilde クロチルド

クロチルド(Clothilde)について【フランス】

ゲルー/ジュヌヴィエーブ・コニェット(Gélou/Geneviève Cognet)について【フランス】

ゲルー/ジュヌヴィエーブ・コニェット(Gélou/Geneviève Cogne...

クレオ(Cléo)について【フランス】

クレオ(Cléo)について【フランス】

シャンタル・ケリー(Chantal Kelly)について【フランス】

シャンタル・ケリー(Chantal Kelly)について【フランス】