ジョセリン(Jocelyne)について【フランス】

ジョセリン(Jocelyne)について【フランス】
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大胆なボーカルを持つ10代の女性歌手「ジョセリン(Jocelyne)」は、フランス版ブレンダ・リー(Brenda Lee)だった。本来のイエイエガールスタイルで、国際的なヒット曲のカバーと数枚のオリジナル曲で成功を収めた。

1960~1970年代フランスの女性歌手

ジョセリン(Jocelyne)のバイオグラフィ

ジョセリンは、1951年8月14日、本名ジョセリン・ジャンゴ(Jocelyne Journo)としてチュニジアに生まれる。

彼女がまだ幼い頃に家族はフランスへと戻り、パリの郊外シャン=シュル=マルヌ(Champs-sur-Marne)に腰を据えた。

フランスのロックスター、ディック・リバーズ(Dick Rivers)の作詞家であるマイア・シミール(Mya Simille)がジョセリンの才能に目を付け、わずか12歳の時にレコード会社「Polydor」から契約のオファーを受けた。彼女のボーカルは当然、アメリカのスター、ブレンダ・リーの引き合いに出された。

1964年 12歳~13歳のころ

1964年2月にファーストEPを発売した。

リードトラックは、アメリカの歌手ダーレン・ラヴ(Darlene Love)“ Fine, fine boy”のカバー“Il a tout pour lui”だ。このレコードは、テレビとライブパフォーマンスでプロモーションされた。

しかし、ジョセリンの名前を知らしめたのは2枚目のEPだった。

面白いことに、1964年7月に発売されたこの作品は、ブレンダ・リーの曲のブレンダ・リーらしいカバー曲で、フランス市場を魅了した。

「リトル・ミス・ダイナマイト(Little Miss Dynamite)」(=ブレンダ・リーの愛称)“ Lonely, lonely, lonely me”のカバー曲“Le dimanche et le jeudi”は、パリの名声あるオリンピア劇場でのジョセリンのファーストコンサートで、観客たちを躍らせた。

そこで彼女はトリニ・ロペス(Trini Lopez)のサポートを務めた。ジャッキー・デシャノン(Jackie de Shannon)作曲の“Heart in hand”のカバー“J’ai changé de pays”もまた人気となった。

3枚目のEPとして、ポール・アンカ(Paul Anka)の“Bad boy”を“Les garçons”とリタイトルした作品に挑戦した。このEPの中ではまた、スティービー・ワンダー(Stevie Wonder)“La la la la la”のカバー曲にも注目すべきである。再びオリンピア劇場でのコンサートで、このEPをプロモーションした。今回はダリダ(Dalida)のサポートだった。

1965年 13歳~14歳のころ

“Les garçons”が人気となったので、アメリカのテレビ局「NBC」の人気番組『Hullabaloo』に招待された。

1965年1月に放送されたこの番組でジョセリンは、イギリスのグループ「ゾンビーズ(The Zombies)」らと共に出演。

この出演がフランスでたくさん宣伝されたので、レコード会社は素早くこの成功を利用することにした。

彼女はツアーへ送り出され、シャリー・エリス(Shirley Ellis)“ Nitty gritty”の素敵なカバー曲が、少し遅れてEPとして発売された。

すぐ続いてアルバムが発売される。

シンプルに『Jocelyne』とタイトルされたこのアルバムには、彼女の以前の作品のほとんどと、数曲の新曲が収録されている。ダーリーン・ポール(Darlene Paul)オリジナル“All cried out”のカバー“Elle ma l’a volé”や、モルト・シューマン(Mort Shuman)作曲の“A la fin tu gagneras”などだ。

彼女の人気は上がっていったので、続く作品のためにロンドンへと向かった。そこで再びブレンダ・リーの曲、今回は“Thanks a lot”のカバー“Chaque fois que je rêve”をレコーディングし、この曲の彼女のボーカルは、イギリスのスター、ルル(Lulu)の引き合いに出された。

1965年最後のリリース“Regarde-moi”では、音楽的な転換を見せている。

今までのような熱狂的なダンスナンバーではなく、ミドルテンポのバラードのオリジナル曲だ。また、デビュー作の時ような短いソックスと学生かばんのスタイルもやめた。

この曲の詞は、まだ14歳のジョセリンを大人の女性と見なしていて、疑う余地なく、これは彼女のベスト作品のひとつだ。

このEPには、イタリアのスター、リタ・パヴォーネ(Rita Pavone)のチャートトップ曲“Lui”のカバー“Moi je veux croire à l’amour”と、他にオリジナルの2曲も収録されている。

1966年 14歳~15歳のころ

ジョセリンは翌年1966年の春、レコード会社「Barclay」へ移った。

新しいレコード会社からは、EP“Chantons plus fort”を発売。

この作品で他に注目すべきは、ベティ・エヴェレット(Betty Everett)“ I can’t hear you no more”のエネルギッシュなカバー“J’ai oublié”と、グループ「シュレルズ(The Shirelles)」“Will you love me tomorrow”のカバー“Reviendra-t-il encore”である。

おそらく驚くことに、その後1年以内にカナダのケベック州(Quebec)、モントリオール(Montreal)へと移り、そこでレコード会社「Vedette」から2枚のシングルを発売した。

1971年 19歳~20歳のころ

1971年にフランスへ戻り、クロード・フランソワ(Claude François)のヒット“Comme d’habitude”のカバー“My way”で復帰を試みた。

1972年 20歳のころ

“My way”は、イギリスのサマンサ・ジョーンズ(Samantha Jones)のバージョンがヨーロッパ本土の他の国ですでに成功を収めており、フランク・シナトラ(Frank Sinatra)などの管理下にあった。

しかし悲しいことにジョセリンは、1972年6月25日、“My way”の発売日当日に、バイク事故によりこの世を去った。

出典:Ready Steady Girls

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ジョセリン(Jocelyne)のディスコグラフィ

ジョセリン(Jocelyne)のシングル(EP)

ジョセリン(Jocelyne)のシングル(EP)
  1. Il A Tout Pour Lui ‎(7″, EP, Mono)  1964
  2. Les Garçons ‎(7″, EP)  1964
  3. Le Dimanche Et Le Jeudi / Il Sera A Moi ‎(7″, Single, Mono) 1964
  4. Les Garçons ‎(7″, Single) 1964
  5. Oui J’ai Peur “Is It True” / Ou Serons Nous Demain ‎(7″, Single) 1964
  6. Le Dimanche Et Le Jeudi ‎(7″, EP)  1964
  7. Nitty Gritty ‎(7″, Single)  1965
  8. Chaque Fois Que Je Rêve ‎(7″, Single)  1965
  9. Nitty Gritty ‎(7″, EP)  1965
  10. Chaque Fois Que Je Rêve ‎(7″, EP)  1965
  11. Regarde-Moi ‎(7″, EP)  1966
  12. Chantons Plus Fort ‎(7″, EP) 1966
  13. Un Coup D’épée Dans L’eau ‎(7″, Single) 1970
  14. Qui La Nuit / My Way ‎(7″, Single)  1972
  15. Nitty Gritty /Les Garcons ‎(7″, Single) 発売日不明

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