シャンタル・ケリー(Chantal Kelly)について【フランス】

シャンタル・ケリー(Chantal Kelly)について【フランス】
評価投稿数: 0
0

1960年代、多くのフランス女性歌手たちは、イギリスやアメリカのヒット曲をカバーすることに甘んじていたが、「シャンタル・ケリー(Chantal Kelly)」は、ジャン=ジャック・ドゥブー(Jean-Jacques Debout)やジョー・ダッサン(Joe Dassin)、アンドレ・ポップ(André Popp)といった音楽業界のトップネームたちによる作曲の、キャッチーなオリジナル曲を供給し続けた。

しかし彼女は、ポップス界のプリンセスたちのフランスプレミアリーグに参加することはできなかった。

1980年代初期に、新しい波に乗ったスタイルでシャンタル・バッシ(Chantal Bassi)という名で戻って来た時でさえ、フランスポップス界での正当なポジションを手に入れることはできなかった。

シャンタル・ケリー(Chantal Kelly)の生い立ち

シャンタル・ケリーは、1950年4月8日、南フランスのマルセイユ(Marseilles)に、本名シャンタル・バシグニ(Chantal Bassignani)として生まれる。

幼い頃から音楽に興味があり、ティーンの頃に歌のレッスンを受ける。

1961年

彼女のボーカルコーチは、レイ・チャールズ(Ray Charles)“ Hit the road, Jack”のカバー“Fiche le camp, Jack”を1961年に発売したことから始まり、その後たくさんのレコードを発売した歌手のクリス・キャロル(Cris Carol)の母親であった。

1965年

コーチはシャンタル・ケリーに非常に感銘を受けたので、1965年にレコード会社「Philips」へ彼女のレコーディングを送った。「Philips」は彼女との契約を望み、クリス・キャロルを彼女のチーフソングライターとした。

流行の白いニーハイブーツとミニドレスというスタイルで、彼女はフランスポップス界に、風変りな曲“Caribou”で登場した。

これはファーストEPのリードトラックであるが、多くの人にとってこのEPで注目すべきは“Ne perds pas ton temps”である。この曲の中で若いシャンタル・ケリーは、仕事の呼び出しを断り、代わりに歌って踊るべきだと主張している。

1966年

続いて1966年の夏に、クリス・キャロル作曲の“Notre prof d’anglais”が発売された。

この曲でより大きな成功を手にし、フランス女性ポップス通の中に、永続するファン基盤も手に入れた。

たくさんの学生たちがバックボーカルをしているかのように聞こえる素晴らしいビート曲で、小さなヒットとなった。優しく雰囲気のある“Le château de sable”と、ジョー・ダッサン作曲の“Je n’ai jamais vraiment pleuré”もこのEPに収録されており、これらもまたファンのお気に入りと考えられている。

3枚目のEPも同様にキャッチーだった。これは1966年11月に発売され、高い評価を受けた“Interdit aux moins de 18 ans”がタイトルトラックとなっている。

この曲はまた、主に以前に発売された曲を集めたLP発売のきっかけにもなったが、おそらくがっかりすることに、このアルバムには新曲が入っていなかった。

EPにもLPにも“Des plaines et des bois”が収録されているが、この曲はアンドレ・ポップの共同作曲で、彼はフランス・ギャル(France Gall)、マリー・ラフォレ(Marie Laforêt)、ヴィッキー(Vicky)、ブリジット・バルドー(Brigitte Bardot)といった多くのスターたちのヒットの立役者であった。

1967年

彼はまた“Attention, coeur fragile”や、1967年に発売されたシャンタルのEPの中でおそらくベストである“La fille aux pieds nus”にも携わっている。

ジャン=ジャック・ドゥブー作曲の“Arrête le temps”もまたこのEPに収録されており、長く人気となっている。

この頃までにシャンタル・ケリーは、ジャック・デュトロン(Jacques Dutronc)、ジョニー・アリデイ(Johnny Hallyday)、ミッシェル・デルペッシュ(Michel Delpech)といったスターたちの前座を務めることで、ライブの経験も得ていた。

1967年2枚目のEPのハイライトは、キャッチーなリードトラック“C’est toujours la même chanson”であるが、これもまたフランス市場の関心を多く引くことはできず、「Philips」は彼女への興味を失い、シャンタルは会社を去った。

彼女には苦しむべき正当な理由があったのかもしれない。彼女の作品は、はるかに売り上げた他の多くの作品よりも優れていたのに、ほとんどはこの時代からはじかれてしまったのだ。

1968年

シャンタル・ケリーが、新しいレコード契約を結ぶのには、それほど長い時間はかからなかった。

小さなレコード会社「Mouloudji」と1968年に契約を結び、2枚のシングル“Fragola”と“La chanson du coucou”を発売。

どちらも以前の作品とは全く似ていなかった。これらはよりシンプルで、フォークスタイルで、ロス・インカス(Los Incas)によりバックボーカルが提供されている。

この後、シャンタル・ケリーは音楽シーンから姿を消し、コルシカ島(Corsica)でファッションブティックを開く。

しかし1980年、レコード会社「CBS」との契約を勝ち取り、シャンタル・バッシという名でアルバムを1枚、シングル“A peine inhumaine”を1枚発売するが、成功はできなかった。

出典:Ready Steady Girls

シャンタル・ケリー(Chantal Kelly)の口コミ

感想を追加する


Submit your review
*必須項目です

シャンタル・ケリー(Chantal Kelly)のディスコグラフィ

シャンタル・ケリー(Chantal Kelly)のシングル(EP)

シャンタル・ケリー(Chantal Kelly)のシングル(EP)
  1. Caribou 1965
  2. Caribou ‎(7″, Single, Juk) 1965
  3. Les Poupées D’Aujourd’Hui  1966
  4. Eté 1966 ‎(7″, Single, Mono, Juk)  1966
  5. Notre Prof’ D’Anglais ‎(7″, Single, Juk)  1966
  6. Interdit Aux Moins De 18 Ans ‎(7″, Single, Juk)  1966
  7. Interdit Aux Moins De 18 Ans ‎(7″, EP) 1966
  8. Notre Prof’ D’Anglais ‎(7″, EP) 1966
  9. Notre Prof’ D’Anglais / Ne Perds Pas Ton Temps / Le Château De Sable / Je Sais Bien ‎(7″, EP)  1967
  10. C’est Toujours La Meme Chanson / J’Écoute Cet Air-La ‎(7″, Single, Juk)  1967
  11. C’est Toujours La Meme Chanson ‎(7″, EP) 1967
  12. La Fille Aux Pieds Nus ‎(7″, EP)  1967
  13. La Chanson Du Coucou / Bioulou – Bioulou ‎(7″, Single)  1968
  14. Fragola / La Vieux Pin ‎(7″, Single) 1968

シャンタル・ケリー(Chantal Kelly)のアルバム(LP)

『 Interdit Aux Moins De 18 Ans』(1967)

関連記事とアーティスト

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

感想を追加する


Submit your review
*必須項目です

関連記事

ジョセリン(Jocelyne)について【フランス】

ジョセリン(Jocelyne)について【フランス】

ゲルー/ジュヌヴィエーブ・コニェット(Gélou/Geneviève Cognet)について【フランス】

ゲルー/ジュヌヴィエーブ・コニェット(Gélou/Geneviève Cogne...

エルサ・リロイ(Elsa Leroy)について【フランス】

エルサ・リロイ(Elsa Leroy)について【フランス】

1967 Clothilde - Clothilde

1967 Clothilde - French swinging Mademoi...

クリスティー・ラウム(Christie Laume)について【フランス】

クリスティー・ラウム(Christie Laume)について【フランス】

アン・カーン(Anne Kern)について【フランス】

アン・カーン(Anne Kern)について【フランス】