コゼット(Cosette)について【フランス】

コゼット(Cosette)について【フランス】
評価投稿数: 0
0

フランスの歌手コゼット(Cosette)は、すべてをやってのける。ソングライターから彫刻家まで、小説家から女優まで、そして脚本家から画家まで。彼女の創造性は、様々な形で表現されてきた。残念ながら彼女は、1960年代にたった1枚のEPしか発売しなかったが、女性ポップスファンには人気となっている。

コゼット(Cosette)の生い立ち

コゼット(Cosette)は、1946年5月14日、本名ドミニク・コゼット(Dominique Cozette)として、ルーアン(Rouen)近くのコントルー(Canteleu)に生まれる。

彼女は非常に幼い頃からパフォーマンスを始める。「3歳の頃に、ジョアンヴィル=ル=ポン(Joinville-le-Pont)にある近所の雑貨屋さんのカウンターで歌い始めたの。」と彼女は言う。

コゼットは、5歳の時にギターを買い、作曲を始める。学校の友人と、ラジオ番組『Salut les copains』のスタジオへ足繁く通い、そこで当時のビッグスターたちにたくさん会った。

彼女がエディ・ヴァルタン(Eddie Vartan)と知り合いになったのもそこで、彼は彼女に、歌手のフランキー・ジョーダン(Frankie Jordan)と“Panne d’essence”でデュエットするよう提案した。

彼女は熱意を持って快諾したが、まだ両親の許可が必要な年齢であり、父親はバカロレア(中等教育レベル認証の国家資格)を取得するのが先だと言いそれを許可しなかった。

代わりにその仕事はヴァルタンの妹のシルヴィ(Sylvie)が引き受け、彼女はフランスで最も成功する歌手のひとりとなるための足掛かりとして、これを活用した。

コゼットはこの件について楽観的である。「シルヴィはこの曲をとてもかわいらしく歌った。私には彼女のように歌うことはできなかったと思うわ。私の声はハスキーだから。」と。

1967年 21歳のころ

バカロレア取得後、彼女はスペインのカダケス(Cadaquès)で夏休みを過ごし、そこでアーティストのサルバドール・ダリ(Salvador Dali)に紹介された。

彼は、彼女をポート・リガット(Port Lligat)にある自宅でのパーティに招待し、彼女が自分で書いた曲を歌うということを知ると、それらを姉妹で、ギターとハーモニカと共にパフォーマンスするよう勧めた。

彼女は法律を専攻するが、後に心理学に切り替える。空いた時間には、より創造的な道を追い続けた。

その結果、1967年にジャック・タチ(Jacques Tati)の映画『Play time』に出演する。

その年、レコード会社「Vogue」との契約も結び、そこで彼女にステージネームであるコゼットという名前が与えられた。

しかし、物事は計画通りには進まなかった。音楽ディレクターと彼女とは、価値観が違ったのだ。「彼は絶対的に私を信頼していなかった。私の曲は彼を全く喜ばせることができなかったの。彼には私の曲の良さが全く分からなかった。」と彼女は言う。

コゼットは自身のEPの4曲すべてを作曲した。リードトラックは“Le grand chaperon noir”だが、このEPでは“Les cheveux dans les yeux”と“Idéalisation”の2曲がよりよく知られている。ちなみに2003年、“Idéalisation”はアメリカの映画『The yes men』のサウンドトラックとして使われ、さらに知名度を得ることとなる。

レコーディングは「Vogue」のスタジオで行われ、バックボーカルにはジャック・デュトロン(Jacques Dutronc)のミュージシャンたちが参加した。しかし彼女はリードトラックとして予定されていた曲のアレンジメントが嫌いだったので、EPに収録することを拒んだ。

残念ながら、「Vogue」はこのEPをあまり積極的にプロモーションしなかった。

「売り出しをされなかったの。私がテレビのライブ出演に招待された時も、プロデューサーが楽譜を彼らに渡さなかったから、私はパフォーマンスできなかった。」と彼女は言う。

コゼットの自信は打ちのめされ、ラジオ番組『Salut les copains』のアニメーターである友人、ダニエル・フィリパッチ(Daniel Filipacchi)に、彼の番組に出してくれと頼むことさえできなかった。

「これで私の歌手活動は終わったわ。」彼女は言う。

フィリップ・ノワレ(Philippe Noiret)の映画で彼女のシーンが、最終編集によりカットされてしまったことで、彼女の落胆はより大きくなった。

彼女は安定した職を求め、障害を持つ子供たちの心理学者としての仕事に就き、ジャズミュージシャンと結婚し、パリを離れた。

1970年代 その後…

その後広告業界で働き始めるが、副業として作曲は続けていた。

1970年代後半、彼女はたくさんの曲を共同作曲した。イギリスのペトゥラ・クラーク(Petula Clark)の“Lève-toi Petula”やイタリアのラファエル・カッラ(Raffaella Carra)の“Super français”などである。

彼女はまた友人たちとデモテープのレコーディングも行い、そのうちひとつはレコード会社「Capitol Records」のプロデューサーの目に止まり、彼女はスタジオへ入った。

「でも私の年齢を知ると、彼はすべてをやめてしまったわ。34歳では、遅すぎたの。」

彼女は言う。

1990年代、彼女は小説『Mal de mère』や『Quand je serai jamais grande』を執筆し、小説家として有名になる。

より最近では、芝居『Les trois Jeanne』の脚本を共同制作し、これは2007年以来フランスでツアーが行われている。

2008年、コゼットの曲を好きなミュージシャンと出会い、彼の自宅スタジオで、ファーストアルバム『C’est re-moi』をレコーディングした。これはCDとして入手可能だ。彼女はこのアルバムの12曲を共同作曲した。限定販売でプロモーションも行わなかったのだが、表面下での成功を収めている。「若い頃からの夢が叶ったわ。」と彼女は言う。

現在彼女は60代で、画家、彫刻家として活動している。

出典:Ready Steady Girls

コゼット(Cosette)について【フランス】の口コミ

感想を追加する


Submit your review
*必須項目です

コゼット(Cosette)のディスコグラフィ

コゼット(Cosette)のシングル(EP)

コゼット(Cosette)について【フランス】

『COSETTE』 (1967)

SIDE A
  1. A1 Le Grand Chaperon Noir
  2. Idéalisation 
SIDE B
  1. Les Cheveux Dans Les Yeux
  2. Ballade Pour Un Pourquoi 

関連記事とアーティスト

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

感想を追加する


Submit your review
*必須項目です

関連記事

セリーヌ/セヴェリーヌ(Céline/Séverine)について【フランス】

セリーヌ/セヴェリーヌ(Céline/Séverine)について【フランス】

ジョセリン(Jocelyne)について【フランス】

ジョセリン(Jocelyne)について【フランス】

Clothilde クロチルド

クロチルド(Clothilde)について【フランス】

クリスティン・ピルツァー(Christine Pilzer)について【フランス】

クリスティン・ピルツァー(Christine Pilzer)について【フランス】

1967 Clothilde - Clothilde

1967 Clothilde - French swinging Mademoi...

クリスティー・ラウム(Christie Laume)について【フランス】

クリスティー・ラウム(Christie Laume)について【フランス】