ゲルー/ジュヌヴィエーブ・コニェット(Gélou/Geneviève Cognet)について【フランス】

ゲルー/ジュヌヴィエーブ・コニェット(Gélou/Geneviève Cognet)について【フランス】
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「ゲルー(Gélou)」は、フランスで初めてツイスト(踊り)を普及した女性歌手である。

1961年に人気となり、その後2年間でいくつかの成功を収め、キャリアが第二ステージのイエイエガールズとしての活動へと進もうとした時、彼女は音楽活動を休止することを選び、その後、本当の意味で復活することはなかった。

ジュヌヴィエーブ・コニェットという名で復帰した時も、以前のような栄光を掴むことはできなかったのである。

ゲルー/ジュヌヴィエーブ・コニェット(Gélou/Geneviève Cognet)の生い立ち

ゲルー(Gélou)は、1937年8月10日、本名ジュヌヴィエーブ・コニェットとして、フランス北部のリール(Lille)に生まれる。

バカロレア(中等教育レベル認証の国家資格)合格後、ティーンの彼女は地元の演劇学校へ進み、そこで彼女は非常に優秀な生徒であった。

1957年 20歳のころ

卒業後、パリの輝きを求めてリールを去り、そこで気まぐれにタレントコンテストに参加したところ、優勝してしまう。

これが1957年にレコード会社「Barclay」と契約を結ぶことにつながった。最初の2枚のEP“Œil de verre, jambe de bois”と“Java partout”は、明るく多様なスタイルで発売された。彼女はこれらの作品に特に関心はないと言っているし、チャート上でも火が付くようなことはなかった。

がっかりした彼女は、レコード会社を去った。

1961年 24歳のころ

1961年までには、アメリカのロックンロールのフランス語バージョンが人気となり始めており、ジョニー・アリデイ(Johnny Hallyday)といった歌手たちが、一夜にして成功を収めていた。

ヘディカ(Hédika)やニコル・パカン(Nicole Paquin)らも人気となった時、パリのレコード会社は、次にすべきことをすでに見つけていた。各社が、このスタイルに合う他の歌手たちを探す努力をしていた。

レコード会社「BAM」は、プラチナブロンドのゲルーに感銘を受けた。ゲルーこそが、ロックンロールの波に乗るためのチケットとなるに違いないと感じ、時間を無駄にすることなく、すぐに彼女をスタジオへと迎えた。

「ロッキン・ゲルー(Rockin’ Gélou)」と称された彼女は、クロード・ドロン(Claude Delon)によるオーケストラをバックに、ボリス・ヴィアン(Boris Vian)とアンリ・サルバドール(Henri Salvador)作曲の“Donne, donne, donne”のカバーを発売。

彼女はこの作品のプロモーションのためテレビに出演し、2枚目のEP“Salomé”発売後、グループ「Les Chaussettes Noires」やイギリスのスター、ヴィンス・テイラー(Vince Taylor)らと共にツアーを行った。

こういったパフォーマンスで彼女にバックミュージシャングループが参加し、それがグループ「Gélou et son Machiavel Rock」となった。ライブパフォーマンスのおかげでこの曲はヒットとなり、今日まで彼女の最も有名な作品となっている。

1962年 25歳のころ

1962年1月に発売された3枚目のEPは、何かしら新しい出発となった。ライブでレコーディングされたこの作品からは、セクシュアリティがにじみ出ている。

リーダー曲の“Viens twister”は、非常に訛りのある導入から始まる。

「そこの君、今すぐこっちにきてツイストダンスをしよう。(Hey boy, com and danse ze twist now.)」

このEPにはファンお気に入りの“C’est toi qui m’as appris l’amour”と、“Ils croient à leur danse”も収録されている。

演技が大好きなゲルーは、芝居『Deux pieds dans la tombe』と、後には『Pas d’usufruit pour tante Caroline』での役を熱心に演じた。幸運なことに、どちらも彼女の音楽活動の邪魔になるようなことはなかった。

音楽活動では、ほぼ必然的に短命で終わってしまった「Rock and Twist Academy」から賞を受けた後、ゲルーはパリの名声あるオリンピア劇場に登場する。そこで、「Machiavel Rock」と再びチームを組み、ダニー・ローガン(Dany Logan)やダニエル・ジャラール(Danyel Gérard)といったスターたちと同じプログラムの中でパフォーマンスを行う。

このパフォーマンスと同時に、レイ・チャールズ(Ray Charles)“ Unchain my heart”のカバーであるEP“Délivre-moi”が発売。

この頃までには、アメリカのヒット曲の翻訳版がますます人気となっており、このEPはゲルーにとって初めてとなる、国際的ヒットのカバーを4曲収録した作品となった。他には、“The Harry Lime theme”のカバー“Le 3e homme”、グループ「シュレルズ(The Shirelles)」のカバーで二言語使用の“Baby it’s you”が収録されている。

6月、ゲルーはイタリアへツアーのために向かい、帰国にあたり、ナイトクラブのオーナー、ジャック・マーシュ(Jacques Maheux)と結婚した。

1962年11月にフランスで公開された映画『C’est pas moi, c’est l’autre』での役が、彼女の人気を強固なものにした。この映画の中で、彼女は“Notre amour renaitra”とシャルル・アズナヴール(Charles Aznavour)作曲“Demain”の2曲を歌っている。どちらの曲も、映画の公開と同時に発売されたEPに収録されている。

この作品は芸術的に最高潮であったが、ゲルーにとっての最後の喝采のようなものでもあった。

1963年 26歳のころ

1963年までには、フランス人の好みはツイストからイエイエへと変わっていた。

シルヴィ・ヴァルタン(Sylvie Vartan)の成功が、ゲルーがイエイエへと転身する見本を示したはずなのだが、彼女は代わりに活動休止を選んだ。

1965年 28歳のころ

丸2年後の1965年、ゲルーはスタジオへと戻った。

レコード会社「Vogue」と契約し、自身の作品を発売する準備はできていた。古いステージネーム=ゲルーを使うことができず、別の名前を使わなければいけなかったので、彼女は本名のジュヌヴィエーブ・コニェット(Geneviève Cognet)を選んだ。

新しい個性を強調するかのように、彼女はブロンドの短髪からブルネット(黒褐色)のボブへと変えた。

ステージネームを巡る法的な理由から、彼女の新しいEP“Oublie ton chagrin”では、以前の活動について一切言及されなかった。この作品はまた以前のものとは非常に異なったスタイルで、「BAM」時代の作品よりもバラエティに富んでいた。この作品の中では、タイトルトラックと“Tu peux rire de moi”に注目すべきである。

1966年 29歳のころ

1966年に発売された2枚目のEP“Michaël attends-moi”もまた、自身作曲の4曲で構成された。しかし、これは全く関心を集めることができなかった。

次にするべきことの計画もないまま、彼女はレコード会社を去った。

1967年 30歳のころ

無活動の期間の後、彼女のエージェントは1967年のコンテスト『Paul Fort song contest』へ参加するよう提案した。これはシンガーソングライターのためのコンテストであった。

そこでジュヌヴィエーブは“Mer du nord”で勝利を掴み、商品のひとつとして、レコード会社「Epic」から1枚のレコードを発売する権利を獲得。他にも3曲(その中では“M’aimeras-tu encore au printemps”がベストだと考えられている)が収録されEPとなり、これは彼女への興味を再燃させた。

1968年 31歳のころ

しかし1968年、ジュヌヴィエーブ・コニェットが他の歌手たちの作品を作曲するため、レコード活動を辞めると発表した時、業界はほとんど驚かなかった。

彼女はすでに、1964年にミック・ミシェル(Mick Micheyl)のために“Tu m’as volé”を、1965年にキャロライン・ラミ(Caroline Rami)のために“Faites-moi donc faire du cinéma”を作曲しており、そして1967年に“ La route qui mène au retour”を提供したリズ・サリアン(Liz Sarian)のような、新しい提供先のためにも作曲を行っていた。

この動きにより、彼女のキャリアは不名誉な最後となった。

彼女が歌手から女優へと転身することを期待していたファンたちは、彼女が完全に聴衆の前から姿を消してしまったことにがっがりしてしまったのである。

出典:Ready Steady Girls

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ゲルー/ジュヌヴィエーブ・コニェット(Gélou/Geneviève Cognet)のディスコグラフィ

ゲルー(Gélou)時代のシングル(EP)

ゲルー(Gélou)時代のシングル(EP)
  1. Java Partout ‎(7″, EP)   1957
  2. Œil De Verre, Jambe De Bois ‎(7″, EP)  1957
  3. Gan Eden ‎(7″, Single)  1961
  4. Donne, Donne, Donne… ‎(7″, EP, Mono) 1961
  5. N°2 ‎(7″, EP)  1961
  6. N°5 ‎(7″, EP)  1962
  7. 4 super twists pour la danse – n° 3 ‎(7″, EP, Mono)   1962
  8. Délivre-Moi ‎(7″, EP, Mono)  1962

ジュヌヴィエーブ・コニェット(Geneviève Cognet)時代のシングル(EP)

ジュヌヴィエーブ・コニェット(Geneviève Cognet)時代のシングル(EP)
  1. Mère Du Nord ‎(7″, EP) 1964
  2. Oublie Ton Chagrin ‎(7″, EP)  1964
  3. Michaël, Attends-moi / Pour Une Fois Seulement / Au-revoir, Ma Plage / Oublie Son Nom ‎(7″, EP)  1965

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