カティー・ライン(Katty Line)について【フランス】

カティー・ライン(Katty Line)について【フランス】
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プロデューサーのケン・リーン(Ken Lean)と出会ったことが、幾分不本意ながら、「カティー・ライン(Katty Line)」をフランスのイエイエシーンへと押し上げた。

彼女はフランスの女性ポップスファンの間で、たくさんの素晴らしい作品を発売してきたことで評価されている。

特に、女性グループ「シュープリームス(The Supremes)」“Back in my arms again”のカバー“N’hésite pas quand l’amour t’appelle”だ。しかし、アドリアーノ・チェレンターノ(Adriano Celentano)のおかげで、1960年代終わりには国境を越えてイタリアで、より大きな成功を手に入れた。その後、悲惨な交通事故によって彼女の活動期間は短くなってしまった。

1960~1970年代フランスの女性歌手

カティー・ライン(Katty Line)のバイオグラフィ

カティー・ラインは、1947年3月13日、本名キャサリン・ボロバン(Catherine Boloban)として、パリ(Paris)南東の郊外、シュシー=アン=ブリ(Sucy-en-Brie)に生まれる。4人姉妹のひとりとして、子供の頃にピアノとダンスのレッスンを受けた。

彼女の音楽活動は、正しい場所に正しい時間にいること、つまり単に音楽業界で働く友達と、飲みに出掛けるだけでよかった。

ある夜、彼女の人生が変わった。友達の仕事仲間に、ケン・リーンがいたのだ。

彼はスイス生まれのプロデューサーで、エヴィ(Evy)やユーグ・オーフレ(Hugues Aufray)といった歌手たちと働いており、フィル・スペクター(Phil Spector)と比較される人物であった。

キャサリンとリーンは、すぐにお互い惹かれあった。レコード会社「Barclay」の芸術監督としてリーンは、若くブロンドのキャサリンの仕事を探した。彼の口説き文句は、レコード発売のオファーだったが、彼女には全く響かなかった。

1965年 17歳~18歳のころ

しかし最終的に、リーンは彼女を説得してスタジオへ呼び、彼女は1965年に発売された“Petite fille”で、ポップグループ「Les Dauphins」のバックボーカルを務めた。

スタジオ初心者ではなくなったので、リーンはすぐに、そろそろ彼女になるだろうキャサリンのために仕事を作り始めた。

彼女のイメージとサウンドを完全に支配するため、カティー・ラインというステージネームを与えた。これは彼自身の仕事上の名前と似た響きを持たせるためだ。

ちなみに彼の本名はルネ・ボルシェ(René Porchet)という。

彼はレコード会社「Motown」のファンで、最新曲は「シュープリームス」“Baby love”のカバーにするつもりだったのだが、アニー・フィリップ(Annie Philippe)に先を越されてしまったので、カティーのために代わりに、グループ「Detroit trio」の“Back in my arms again”を選んだ。

そして出来たのが、素晴らしい“N’hésite pas quand l’amour t’appelle”で、1965年秋にカティーのデビューEPのリードトラックとなった。

このEPには同様に素晴らしい、モルト・シューマン(Mort Shuman)作曲の“Si je sors avec toi le samedi soir”も収録されており、フランスガールズポップファンの間で非常に高い評価を得ている。

続いて、ドイツの歌手マリオン(Marion)のヒット“Er ist wieder da”のフランス語詞を書かせ、“Puisque tu dors, j’ose te dire”として発売。

このEPには、アメリカのティーンのスター、バーナデッド・ピーターズ(Bernadette Peters)“ And the trouble with me is you”を“Non tu n’as rien compris”とリタイトルしたものと、他に2曲のオリジナル曲、ノエル・デシャンプス(Noël Deschamps)作曲の“Je cherche un petit homme”と、ジェラール・ヒュージェ(Gérard Hugé)とクロード・ライイー(Claude Righi)作曲の“Je n’attends plus que toi”が収録されている。

カティー・ラインは、この時期の自身の作品にいくらか否定的である。

彼女は、自分の作品にもっと口を出したかったのだと言っている。また、自分の声の響きにも不満があり、歌のレッスンに時間を費やした。

1966年 18歳~19歳のころ

カティー・ラインは、レコード会社「Disc AZ」へ移り、1966年6月にグラハム・ボニー(Graham Bonney)“ Super girl”のカバー“Les garçons”を発売。

この作品の中で他に注目すべきは、オリジナル曲の“Ma jeune vie”だ。

その年最後のリリースとなったのは、アンドレ・サルヴェ(André Salvet)とクロード・カーレ(Claude Carrère)作曲の“Les mots croisés”で、このEPは、悲し気なバラード“Dis-lui bien que je pense à lui”と、ナンシー・シナトラ(Nancy Sinatra)“ How does that grab you, darlin’”のカバー“Ne fais pas la tête”のおかげもあり、一貫して高水準の作品である。

フランスやスペインでのテレビ出演でプロモーション活動を行い、雑誌『Salut les copain』や『Mademoiselle âge tendre』に取り上げられたことで、カティーの知名度は上がった。

1967年 19歳~20歳のころ

1967年5月に発売された次の作品は、ファンの中で意見が分かれている。

カティー・ラインが方向性を変えたことをよかったと思う人々もいれば、「黄金時代の終わり」だと嘆く人々もいる。このEPの4曲すべてはオリジナルで、ラリー・グレコ(Larry Gréco)とジル・ティボー(Gilles Thibaut)作曲の“Mon cœur n’a pas dormi”が最も人気の曲となった。

しかしタイトルトラックの“C’est en quoi”は、おそらく最も見過ごされている曲だ。

1968年 20歳~21歳のころ

1968年にカティー・ラインとケン・リーンは結婚し、レコーディング活動からは離れ、ジョニー・アリデイ(Johnny Hallyday)の事務所で秘書として働いた。

この頃には、リーンは自身のレコード会社「LGL」を立ち上げていた。

未だにカティーの活動のかじ取りをしていたので、彼女を自身の会社へと連れて行った。PR部門は、カティーの再売り出しためにベストを尽くし、彼女のためにユーゴスラビアのバックグラウンドを作り出し、アリデイ自身がスタジオへ戻るように彼女に勧めた。

その結果発売された、グループ「マンフレッド・マン(Manfred Mann)」のマイク・ダボ(Mike d’Abo)作曲の“Igor, Natacha”は人気となった。

しかし多くのファンにとっては、“Un petit peu d’amour”こそがこのEPの中で珠玉である。ちなみにこの曲は、グループ「ロス・ブラボーズ(Los Bravos)」“Bring a little lovin’”のカバーだが、グループ「イージービーツ(The Easybeats)」によるカバーのほうが有名である。

1969年 21歳~22歳のころ

1969年にカンヌ(Cannes)のフェスティバル『Midem festival』を訪れている時に、カティー・ラインはイタリアの歌手アドリアーノ・チェレンターノに出会った。

フランスでの活動が思わしくなかったことから、彼女は彼のレコード会社「Clan」へ来るよう説得された。その後フランスで、ふさわしいタイトルのバラード“Sans un adieu (il ne faut pas pleurer)”(お別れを言わずに)を、カティー・ラインではなくシンプルにカティーという名前で発売した後、ケン・リーンを連れてミラノ(Milan)へ移った。

イタリアでの再売り出しのため、1969年のコンテスト『Festivalbar』に出場し、“La rivale”をパフォーマンスし、これはイタリアでの彼女のファースト45レコードとなった。ちなみにまたしても、B面の、グループ「ドアーズ(The Doors)」“Touch me”のカバー“Tu vinci sempre”のほうが人気となっている。

1970年 22歳~23歳のころ

続いて翌年の初めに、“Vent’ anni”が発売された。

カティーは元々イタリア語をしゃべれなかったので、歌詞の発音を学ばなければいけなかった。しかし、短いスカートを履いたかわいい彼女は、イタリアですぐに人気となった。

テレビ番組『Stasera con Adriano Celentano』や、いくつかの短い映画に出演したり、チェレンターノの「Clan」の一員としてスタジアムツアーを行うことで、イタリアの人々の関心を集めた。

ついに、彼女はフランスで得られなかった成功を手に入れたのだ。

しかし、1970年のコンテスト『Cantagiro』のエントリー曲“In direzione del sole”のパフォーマンスで、騒動を巻き起こすことになる。

太陽に向かって腕を上げたとき、彼女の胸の一部が見えてしまったのだ。バチカンでさえ、大騒ぎとなった。

1971年 23歳~24歳のころ

1971年にシングル“La rivoluzione delle donne”が発売された。

しかし、彼女の活動は突然終わりを迎えた。その年の終わり、カティーとリーンは、山道で向かってくる大型トラックとの交通事故に巻き込まれてしまったのだ。リーンは即死し、カティー・ラインは重症を負い、顔もひどく傷つけられた。

一週間にも及ぶ昏睡状態から目覚めた後、18か月間病院のベッドで過ごした。広範囲に渡る美容外科手術により、外見は元に戻った。

1980年代、その後…

再び彼女がレコーディングスタジオに戻る自信を取り戻したのは、1980年代初期になってからだった。

ディスコスタイルのシングルで、イタリアでのよき指導者への歌、“Adriano”を発売し、6か月間のイタリアツアー、そしてたくさんのテレビ出演を行った。

しかし、ケン・リーンが傍にいないので、カティー・ラインは心を注ぐことができなかった。そしてすぐに、音楽業界から引退した。

出典:Ready Steady Girls

カティー・ライン(Katty Line)の口コミ

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カティー・ライン(Katty Line)のディスコグラフィ

カティー・ライン(Katty Line)のシングル(EP)

カティー・ライン(Katty Line)のシングル(EP)
  1. Tout Change En Grandissant / Avec Toi Je Veux Danser ‎(7″, Single, Jukebox) 1965
  2. N’Hésite Pas Quand L’Amour T’Appelle ‎(7″, EP)  1965
  3. N’hesite Pas Quand L’amour T’appelle / Si Je Sors Avec Toi Le Samedi Soir ‎(7″, Single)  1965
  4. Puisque Tu Dors, J’ose Te Dire ‎(7″, EP)  1966
  5. Ne Fais Pas La Tête ‎(7″, Single, Jukebox, Promo) 1966
  6. Les Mots Croisés ‎(7″, EP)   1966
  7. Puisque Tu Dors, J’ose Te Dire ‎(7″, Single, Promo)  1966
  8. Les Garçons ‎(7″, EP)  1966
  9. Les Garçons ‎(7″, Single, Jukebox)   1966
  10. C’est En Quoi ? / L’Amour Ne Tombe Pas Du Ciel / Mon Cœur N’a Pas Dormi / Pendant L’Été ‎(7″, EP)  1967
  11. Sans Un Adieu / Quand S’en Vont Les Framboises ‎(7″, Single) 1968
  12. Katty Line / Adriano Celentano – La Rivale / Storia D’Amore ‎(7″, Jukebox)   1969
  13. Vent’Anni / Finito ‎(7″, Single)  1969
  14. Katty Line / I Ragazzi Della Via Gluck – Finito / I Tuoi Occhi Camminano In Me ‎(7″, Jukebox)  1969
  15. Katty Line / Adriano Celentano – Vent’Anni / L’Uomo Nasce Nudo ‎(7″, Jukebox)  1969
  16. La Rivale ‎(7″)   1969
  17. Igor, Natacha / Un Petit Peu D’amour / Chacun Sa Bataille / Cent Millions D’étoiles ‎(7″, EP)  1969
  18. In Direzione Del Sole ‎(7″)  1970
  19. La Rivoluzione Delle Donne ‎(7″, Single)  1971
  20. Adriano / Viens ‎(7″)  1980

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