アンナ・セント・クレア(Anna St Clair)について【フランス】

アンナ・セント・クレア(Anna St Clair)について【フランス】
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アンナ・セント・クレア(Anna St Clair)の熱狂的な人気が、レコードの売り上げにつながることはなかった。

彼女は非常に気が強く、そのためレコード会社と衝突していた。おそらくこれが、この素晴らしいフランスの歌手が、がっかりするほど小さな功績しか残せなかったことの理由だろう。しかし、1960年代後半のフォークポップスファンの間では、彼女は非常に高く評価されている。

アンナ・セント・クレア(Anna St Clair)の生い立ち

1948年に本名ニコル・ルーデント(Nicole Rudent)として生まれる。

学校を卒業後、北はスウェーデンから南はスペインまで、ヨーロッパを旅して周った。初期のヒッピームーブメントに魅了され、歩道にチョークで絵を描いたり、名文句を書いたりして小遣いを稼いだ。そして友人からギターをプレゼントされるとすぐに弾き方を覚え、バーやクラブで演奏しお金を稼ぐようになった。

ロンドンが彼女のヨーロッパ周遊最後の地となった。ほぼ無一文の「flower-power child(ヒッピーが自分たちをこう呼んだ)」は放浪生活のために国外追放された。(当時はイギリスが今で言うEUに加盟する前で、活動の自由は大切な権利ではなかった。)

やはり、この経験は彼女にとってプラスに働いた。彼女が今後の人生で何をすべきかを考えていたとき、フランスへ戻るフェリーで会った男性に、音楽を続けるように強く勧められ、彼のアドバイスに従うことに決めたのだ。

1967年

その後すぐ、パリのバーでレコード会社「Philips-Fontana」のスカウトマンに目を付けられる。彼らは、背が高くすらりとした彼女のスタイルなら、「新しいフランソワーズ・アルディ(Françoise Hardy)、マリー・ラフォレ(Marie Laforêt)、マリアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithfull)」として売り出しやすいと思ったのだ。そして彼女は早速このオファーを受けた。

しかし、彼女は彼らの売り出しプランに不満だった。

レコード会社から黒い翼を身に着けてパフォーマンスするよう求められたとき、彼女は黒は嫌だと拒んだ。しかし会社側は最後にはある程度要求を通すことに成功。

デビューEP『Les corbeaux』のジャケットには、黒髪のボブの女性が描かれている。

彼女とは姉妹であるジャックリン・ジャドー(Jacqueline Jadeault)による作詞と、尊敬するジャン・クロード・ヴァニエ(Jean-Claude Vannier)のオーケストラをバックに、このEPは1967年後半に発売された。リードトラックはラジオで多く流されたが、現在はこのEPの中ではおそらく“L’amour à travers et à tort”のほうが知られているだろう。多くのファンにとっては“Lola”もまたこのEPの魅力である。

1968年

続いて1968年7月に発売された“Ne vois-tu pas que c’est toi que j’aime”と“Les caméleons”が収録されたレコードも、ラジオでヒットとなった。

高く評価された“L’amour par quatre chemins”がその年の11月に発売されると、彼女の人気は確実なものとなった。この曲はソングライターのボリス・ベルグマン(Boris Bergmann)作曲で、後に彼女は彼について「私のことをよく理解してくれて、完璧に私に合う曲を作ってくれた」と語っている。

問題は、彼女のリリースは売れてはいたのだが、チャートヒットとなるには不十分だったということだった。会社が彼女にもそうなって欲しいと期待していたスターたちの影に、彼女はずっと隠れたままだった。

1969年

1969年の春にシングルとして発売された“Sage comme une image”で、彼女は新しいパフォーマンスを見せている。

この曲はトム・ジョーンズ(Tom Jones)“ If I promise”のカバーである。この頃には彼女は、自分の活動についてもっと口を出したいと思うようになっていた。プロデューサーのリー・ハリデイ(Lee Hallyday)に一緒に働こうと持ち掛けるが、断らてしまう。

LPに対しての意見も却下され、彼女は一層落胆した。実際、このLPの素材の大部分は今日まで発売されずにいる。

1970年

1970年のシングル“Sur les chemins des Andes”で、彼女はもうひとりの尊敬するプロデューサー、レイモンド・ドネ(Raymond Donnez)とチームを組んだ。

彼はそれ以前シルヴィ・ヴァルタン(Sylvie Vartan)らと共に仕事をしていた。しかし、この曲の選択には疑問が残る。A面の曲は南アメリカの曲で、元はアメリカのグループ「サイモン・アンド・ガーファンクル(Simon and Garfunkel)」のバージョンでよく知られているものだが、これはすでに4年前にフランスのライバル歌手、マリー・ラフォレにより発売されていた。

B面の“Le bonheur nous attend quelque part”はケニー・ヤング(Kenny Young)作曲の“Friday, you can brush me off your mind”のカバーだが、これについては捜し出す価値がある。

その年についに彼女はリー・ハリデイと共に仕事をすることに成功するが、結果として発売したシングル“À force de danser”は注目を集めることができず売り上げに失敗し、すぐにバーゲン品のカゴの中に収まることになった。

またしてもB面曲、グループ「ボックス・トップス(The Box Tops)」“You keep tightening up on me”のカバーである“La guerre d’amour”にはファンが多い。

悲しいことに、このレコードで彼女の活動は終わりを迎える。

出典:Ready Steady Girls

アンナ・セント・クレア(Anna St Clair)について【フランス】の口コミ

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アンナ・セント・クレア(Anna St Clair)について【フランス】のディスコグラフィ

1967年

①Les Corbeaux ‎(7", EP)
①Les Corbeaux ‎(7″, EP) 

1968年

②Ne Vois-Tu Pas Que C'est Toi Que J'aime / Les Caméléons
②Ne Vois-Tu Pas Que C’est Toi Que J’aime / Les Caméléons 

1969年

③L'Amour Par Quatre Chemins / C'est Que Tu N'es Pas Loin
③L’Amour Par Quatre Chemins / C’est Que Tu N’es Pas Loin 

④Sage Comme Une Image
④Sage Comme Une Image

1970年

⑤"A Force De Danser" Sur Le Thème Huayno De La Roca ‎(7", Single)
⑤”A Force De Danser” Sur Le Thème Huayno De La Roca ‎(7″, Single) 

⑥Sur Les Chemins Des Andes (El Condor Pasa) ‎(7", Single)
⑥Sur Les Chemins Des Andes (El Condor Pasa) ‎(7″, Single) 

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