アニー・フィリップ(Annie Philippe)について【フランス】

アニー・フィリップ(Annie Philippe)について【フランス】
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天使のように美しいルックスのブロンドの歌手「アニー・フィリップ(Annie Philippe)」は、1960年代中期に多くのヒットを出すが、フランスのトップスターたちに加わることはついにできなかった。

しかし彼女のメランコリックなメロディは、人々の記憶に残っており、現在ではクールなロンドンスタイル・ビートとして彼女の作品は再評価されている。

1946年12月17日、アニー・フィリップは、パリのメニルモンタン(Ménilmontant)に生まれる。

学校卒業後、シャンゼリゼ通り路地のクラブ「Twenty One」のDJとなり、ここで彼女はポール・モーリア(Paul Mauriat)と出会う。

彼は、当時“L’amour est bleu”でオーケストラリーダーとして世界的に成功を収めていた、シャルル・アズナヴール(Charles Aznavour)の編曲家であった。

ちなみにこの曲は元々、ギリシャ生まれのドイツのスター、ヴィッキー(Vicky)によりパフォーマンスされた曲である。

モーリアは若いアニー・フィリップに強く感銘を受け、彼の助けにより彼女はレコード会社「Rivièra」と契約を結び、そこから彼女は1965年に4曲入りのファーストEPを発売した。

このEPには、イギリスの歌手ルル(Lulu)“ He don’t want your love anymore”のカバーである“Vous pouvez me dire”、エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)“Love me tender”のカバーである“Une rose”が収録されている。

これは失敗に終わるが、2度目のチャンスを得ることができ、アメリカのグループ「ザ・スプリームス(The Supremes)」“Baby love”のカバーを同タイトルで発売。

同じくこのEPに収録されている“J’ai raté mon bac”も彼女らの影響を受けた素晴らしい曲で、このディスクが大ヒット。

アニー・フィリップは歌のレッスンを受けていたのだが、依然子供のようなボーカルスタイルのままだったが、これは当時のイエイエスター、フランス・ギャル(France Gall)に影響される時代背景がある。

しかし、彼女の次の曲“J’ai tant de peine”は簡単にギャルの曲を越えてしまう。

彼女は、4枚目のEPであるダウンビートの『Ticket de quai』で名を売った。これは1966年3月にチャート入りし、彼女最大のヒットとなる。

このEPには、明確なブリットガールサウンドの“On m’a toujours dit”と、非常にキャッチーな“Tu ne comprends rien aux filles”も収録されている。

レコード会社「Philips」へ移り、彼女はさらに1966年の夏に悲しげな曲“Mes amis, mes copains”を発売し、これは小さなヒットとなる。“Pour qui, pour quoi”もまたこのリリースのハイライトと言えるだろう。

しかし1966年後半に発売された、これも非常にブリティッシュサウンドの“C’est la mode”では、元の状態に戻ってしまう。

1967年の始まりは好調だった。『Le mannequin』が2月にトップ10入りし、3か月間トップ20に留まった。このEPにはまた、アメリカのグループ「ママス・アンド・パパス(The Mamas and the Papas)」“Go where you wanna go”のカバー曲“Tu peux partir où tu voudras”と、素晴らしいオリジナル曲“Pas de taxi”が収録されている。

この成功により、アルバム『C’est la mode』が発売された。

アニー・フィリップは次のEPのタイトルトラック“Lettre pour Annie”を自身で作詞した。

このEPには、ファンお気に入りの“Pour la gloire”も収録されている。

映画『La blonde de Pékin』のタイトルトラックをレコーディングした後、1967年秋に“Les enfants de Finlande”を発売し、これが彼女の最後のチャートヒットとなる。

次の“Une petite croix”が1968年春に発売され失敗すると、彼女はフランスのスーパースター、クロード・フランソワ(Claude François)と、彼のレコード会社「Flèche」でチームを組み、1969年に“Le même amour”と“Je découvre tout”を発売した。ちなみにこのレコード会社はベルギーのスター、リリアーヌ・サン・ピエール(Liliane Saint Pierre)らも所属していた。

ジャック・デュトロン(Jacques Dutronc)らとツアーを行った後ついに、彼女は音楽活動を休止することを決める。

1970年代はプロ活動に関しては静かな時期を過ごし、後にドリー・パートン(Dolly Parton)のカバー曲“Appelle Jack”で活動を再開した。雑誌『Lui』でヌードとなり、眉を顰められたりもした。

2000年代初め、彼女は再び活動を始めフランク・アラモ(Frank Alamo)と共にツアーを行った。このペアはデュエットもレコーディングしている。

出典:Ready Steady Girls

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アニー・フィリップ(Annie Philippe)【フランス】のディスコグラフィ

コンピレーションCD

①L'Intégrale Sixties ‎
①L’Intégrale Sixties ‎

②Portrait 1964 / 1967 ‎
②Portrait 1964 / 1967 ‎

③Sensationnel! Yé-Yé Bonbons 1965-1968
③Sensationnel! Yé-Yé Bonbons 1965-1968  

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