ヴラジュカ・プラハジョヴァー(Vlaďka Prachařová )について【チェコロソバキア】

ヴラジュカ・プラハジョヴァー(Vlaďka Prachařová )について【チェコロソバキア】
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「ヴラジュカ・プラハジョヴァー(Vlaďka Prachařová )」の特徴のある声は、1980年代の初めには、既に、チェコのポップ界から消えていた。

スプラフォンライン(Supraphonline)のデジタル配信で視聴できる彼女のヒット曲のうちの一つ“行かない、私は外に行かない(Nejdu, nejdu ven)”が、彼女を思い出させる。気になるコントラルトの声を持つこの歌手は、去年70歳になった。

ヴラジュカ・プラハジョヴァーの人気は、1960年代後半から1970年代最後まで続き、その後、人前から消えた。そして後に、パントン社(Panton)、スプラフォン社(Supraphon)そしてオプス社(Opus)から、彼女のアルバムが発売される。

幾つかの曲はヒットし(“Hele Kid”“キリスト教でない人たちの祭日(Svátek nekřtěnejch)”“足の長い女の子(Nohatá holka)”“ジャングルの本(Kniha džunglí)”“行かない、私は外に行かない(Nejdu, nejdu ven)“ダンス(Taneček)”)、冒頭で述べたようにそれはデジタル配信で視聴することが出来る。

ヴラジュカ・プラハジョヴァー(Vlaďka Prachařová )の生い立ち

ヴラジュカ・プラハジョヴァーは、1944年3月23日にチェコ共和国のブルノ(Brno)で生まれ、彼女の歌はこの時から始まっていた。

高校の学生であった頃から、歌手を目指し歌唱大会に出たり、ブルノの音楽グループに参加したりしていた。その後は、今も有名なジャズリスト、ペトル・コジーネク(Petr Kořínek)のグループに参加した。彼は、彼女にとって大変重要な人物で、長い間、彼と活動を共にした。

「ヴラジュカ・プラハジョヴァーは、1960年代後半、ブルノの合唱団『エコーカルテット(Echo kvartet)』で歌い始めた。」とペトル・コジーネクは、彼女を思い出しながら語る。

「その後、ヴラジュカ・プラハジョヴァーは『新しいタレントを探し出せ(Hledáme mladé talenty)』というブルノの喫茶店『Máj』で開かれた歌唱大会に参加しました。

そこで、ブルノのアマチュアグループで一番とも言われていた合唱団『コンボ・ヤナ・クヴァルディ(Kombo Jana Kvardy)』が、彼女を見つけ、彼らのオーケストラに誘ったんです。

私(ペトル・コジーネク)は当時、そのオーケストラでピアノを弾いていた。私はまだ高校の学生だった。私の記憶が正しければ、彼女も、高校の学生だったはずだ。控えめで、恥ずかしがりな女の子だった。

それでヴラジュカ・プラハジョヴァーは舞台での緊張と戦っていました。でもそれは、当然の事。グループの人たちが親しみのある人たちだったので、彼女は救われたんです。

何にしても、彼女には、はっきりした目標があり、それは、歌う事でした。

ブルノの喫茶店『Melodie』、 『Máj』、『 Belveder』それに『Slovan』などで開かれた大会に、彼女は出場し続け、更に、ブルノで当時とても有名だった歌の教師ベルナード・コチャージュ(Bernard Kočař)のもとでヴラジュカ・プラハジョヴァーは音楽を勉強しました。

ベルナード・コチャージュのもとへは、全国から数えられないほどの生徒が希望して、勉強していましたよ。」

コジーネクこそが、ヴラジュカ・プラハジョヴァーの歌手としての人生の始まりを、一緒に濃く生きた人である。

生涯のパートナー、そうでなければ、一番親しい仕事仲間だった。

「成功というのはいつも、その距離にある目標-ミュージシャンという“畑”の中での成功へ、近づくことでした。私(コジーネク)に関して言えば、私の目標が違う方向に向いたとしても、やっぱりそれは、同じ“ポップ”の範囲内であって、少しも動いていないのです…。

後に、私はブルノの国立コンサーバトリーで学び、その時、自分たちでカルテットを組みました。ブルノ放送にいくつかの映像を提供したりもしたが、その中にヴラジュカが出たのもありました。

それがきっかけで、ヴラジュカ・プラハジョヴァーは注目され始め、ブルノのプログループである‐エリク・クニルスフ(Erik Knirsch)やグスタヴ・ブロム(Gustava Broma)のオーケストラが所属した、オーケストラ スタジオ ブルノ(Orchestrem Studio Brno)に声を掛けられました。

その結果、テレビ番組『ブルノの車輪(Brněnské kolo)』に出て、ヴラジュカ・プラハジョヴァーは、国内のトップ歌手と並んで歌い、全国大会への出場を果たしました。

そして、見事3位に入賞。

当時、ヴラジュカ・プラハジョヴァーの運命はうまく回っていた。エヴァ・ピラロヴァー(Eva Pilarová)との契約、前に書いたオーケストラとの仕事、海外での仕事、フェスティバル、CD出版、テレビの仕事など…」

コジーネクは、当時活躍してた歌手たちの質を、間違いなく認めている。その中でも、注目を浴びた一人がヴラジュカ・プラハジョヴァーであった。

歌にイントネーションを付け、ジャズの感覚もあり、芸術的な味も感じさせ、マンネリに陥る事もなく、直ぐに新しいレパートリーを覚え、言うまでもなく、美しいコントラルトの声も彼女は持っていた。

ヴラジュカ・プラハジョヴァーは、1971年から1973年の間、エヴァ・ピラロヴァーのコンサートに出演した。

海外のライブも沢山あった。後に、ヤロミール・マイェル(Jaromír Mayer)やミラン・ドロブネ(Milan Drobne)のコンサートにも出演、その後、フランチシェク・ヤナチェク(František Janeček)のグループ『前進(Kroky)』でも歌った。

ヨゼフ・ヴォブルバ(Josef Vobruba)のオーケストラ『TOČR』、グスタフ・ブロム(Gustav Brom)やカレル・ヴラフ(Karel Vlach)のオーケストラとも、彼女は歌った。そして、有名な作曲家ヴィーケジュスラフ・ハードル(Vítězslav Hádl)、ボフスラフ・オンドラーチェク(Bohuslav Ondráček)、インドジーフ・ブラヴェツ(Jindřich Brabec)、イジナ・フィケイゾヴァー(Jiřina Fikejzová)、ズデニェク・リキージ(Zdeněk Rytíř)、エドワード・クレチマル(Eduard Krečmar)そして、ズデニェク・ボロヴェツ(Zdeněk Borovec)らが、彼女に歌を提供した。

1971年、1973年、1974年と、『ブラチスラヴァの竪琴(Bratislavské lyra)』というフェスティバルに出て、カレル・ジフ(Karel Zich)と“最初の微笑み、最初の涙(První smích, první pláč)”という曲をデゥエットした。 ラジオ放送、テレビ番組、そしてデスクにと、彼女は100以上の曲を収録し、それらの曲は、今日まで人々に親しみ続けられている。

1970年代の終わりに起こった、苦しい状況の中でも、ヴラジュカ・プラハジョヴァーは、まだ1983年に人気テレビ番組『もしかしたら魔法使いも来るかもしれない(Možná přijde i kouzelník)』に出演、アマンダ・リアー(Amanda Lear)を軽く感じさせる曲“秘密(Tajemná)”を歌った。

でも彼女は今、人前から隠れてしまった。当時歌を歌っていた彼女は、子供を2人育てていた彼女は、それ以来、メディアに姿を現していない。

情報によると、ヴラジュカ・プラハジョヴァーは、歌手活動をしながらも、ブルノの薬学部で7か8期勉強し、更に獣医学部でも短い期間ではあったが学んでいたという。

しかし、彼女がポップミュージックに重みを置いたのが原因で、最後まで卒業することが出来なかった。ショービジネスの世界に飛び込み、それは後になって分かったことだが、そのせいで彼女は壊されたのだ。

「終わりは、こうして始まった。」とペトル・コジーネクは語り始めた。

「キューバからの帰りの飛行機が、プラハのルジニュスケー空港で墜落した時、飛行機にはエヴァ・ピラロヴァーのグループの多くの人が乗っていた。そして、たった一人の生存者を残して、全員亡くなった。それ以来、ヴラジュカ・プラハジョヴァーの健康に問題が起き、それが原因で、70年代の終わりに、歌手活動から離れたのだ。とても残念なことだ。」

同じような思いを、エヴァ・ピラロヴァーも、彼女を思い出しながら語った。

「代理企業プラゴコンサート(Pragokoncert)が、『Intertalent』という企画を提案し、新しい歌手の才能を持った子を探していた。

企業から、その集められた子たちの中から、自分のプログラムに入れる子を選んで欲しいとの要請があった。たった一人、私のアーチストとしての目に留まった子がいた。

それが、ヴラジュカ・プラハジョヴァーだった。

彼女は、偶然にもブルノの子で、私はなぜか、この子を育てる義務のようなものを感じた。

とても美しく歌う子で、それに加えて、細い体で綺麗な足をしていて、魅力的な子だった。私のグループ活動で、彼女と一緒に舞台に立ち、活動は当時のチェコスロヴァキアだけでなく、ソ連と繋がっていたキューバにも出掛けた。

出典:kultura21.cz

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ヴラジュカ・プラハジョヴァー(Vlaďka Prachařová )のディスコグラフィ

ヴラジュカ・プラハジョヴァー(Vlaďka Prachařová )のシングル(EP)

  1. Nejdu, Nejdu Ven / Jako Louka V Létě    1971
  2. Vlaďka Prachařová / Milan Černohouz – Dávej Co Máš / Kdo Mír Všem Lidem Dal ‎(7″)  1971
  3. Hele Kid / Hrací Strojek ‎(7″, Mono)  1971
  4. Poslouchej / Ekvipáž ‎(7″, Mono)  1971
  5. Vlaďka Prachařová / Elen Lukášová – Pod Oblohou / Hej Ty Pocestný ‎(7″) 1971
  6. Hlídám Si Poklady / Tambor (El Tambor) ‎(7″, Mono)  1972
  7. Zich* – Vlaďka Prachařová – První Smích-První Pláč • Dám Ti Darem Déšť   1973
  8. Kniha Džunglí / Lidem Píseň, Řekám Proud ‎(7″, Mono)  1973
  9. Co Je Štěstí / Láska Není Jed ‎(7″, Mono)   1973
  10. Anděl Strážný / Nohatá Holka ‎(7″)  1973
  11. Bělostné Vozy Mé Lásky • Sladké Dítko ‎(7″)  1974

ヴラジュカ・プラハジョヴァー(Vlaďka Prachařová )のアルバム(LP)

『Nejdu, Nejdu Ven』2013

  1. Hele Kid (Beat The Clock)
  2. Hrací Strojek
  3. Pod Oblohou
  4. Dávej Co Máš
  5. Nejdu, Nejdu Ven (Chirpy Chirpy Cheep Cheep)
  6. Jako Louka V Létě
  7. Ekvipáž (Na Na Hey Hey Kiss Him Goodbye)
  8. Poslouchej
  9. Hlídám Si Poklady
  10. Nohatá Holka
  11. Jede Tramvaj Babička
  12. Kniha Džunglí (The Lion Sleeps Tonight)
  13. První Smích – První Pláč
  14. Dám Ti Darem Déšť
  15. Co Je štěstí
  16. Láska Není Jed (So What’s New)
  17. Bělostné Vozy Mé Lásky
  18. Nikdy Nebudeš Sám
  19. Chci Mít Dům, Kde Bydlí čápi
  20. Poprvé, Podruhé, Potřetí
  21. Lenochu Vstávej
  22. Sedm Bílých Koní
  23. Taneček (Dancin’ On A Saturday Night)Written-By – Barry Blue, Lynsey De Paul
  24. Podej Ruku Právě Včas (Podaj Reke V Taki Czas)

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