アリアン(Ariane)について【ベルギー】

アリアン(Ariane)について【ベルギー】
評価投稿数: 0
0

何枚か一流の作品があるにも関わらず、ベルギーの歌手「アリアン(Ariane)」は、フランス語圏の女性ポップスの歴史では、その存在を広く見過ごされてきている。

しかし彼女は、初めに4人の友人たちとのグループ「Ariane et les 10/20(アリアーヌ・エ・レ・ディ/ヴァン)」として、また後にはソロとして成功も収めている。

アリアンは、本名:アリアン・ブイスト(Ariane Buyst)として、1944年にベルギーのブリュッセル(Brussels)に生まれる。

彼女の父親はブラスバンド音楽の出版者で、市内で楽器の店を経営していた。

アリアンはギターと共に育ち、大学では音楽と音楽理論を学んだ。

1963年

1963年、グループ「Les Croque」の一員として登場したが、自らのバンドを結成するためこのグループから抜け、「Cue Ariane et ses Copains(直訳:アリアンと友人たち)」を、名前の通り4人の男友達と結成した。

彼女はボーカルとギターを務めた。

彼女らは初めアリアンの父親の店で活動を始めたが、すぐに地元のクラブのオーナー、ジーン・ポール・ウィットマンズ(Jean-Paul Wittemans)の関心を引く。

ウィットマンズは特にアリアンに感銘を受け(このふたりは後に結婚する)、ブリュッセルのグランプラス(Grand Place)にある彼のクラブ「Cousins」でパフォーマンスするよう取り計らわれ、その夜は大成功となった。

1964年

1964年初めに、ウィットマンズはこのグループのデモレコーディングのためスタジオへと駆け込んだ。

このデモが、レコード会社「Palette」のジャン・クルーガー(Jean Kluger)の耳に入り、このグループとの契約を申し出た。

彼はグループの名前を変えるよう言い、後にブリュッセルのレコード店でよく知られるようになる「Ariane et les 10/20(アリアーヌ・エ・レ・ディ/ヴァン)」というグループ名になった。

レイブンズ(Ravens)の“ I just wanna hear you say ‘I love you’”が改変され“Comme les fous”となり、彼らのファーストシングルとして発売された。

次のリリースに向け、事は順調に運んだ。クルーガーは、フランスへの旅の途中でミッチェル・トア(Michèle Torr)のヒット曲“Dans mes bras oublie ta peine”を聞き、アリアンたちにベルギー版を歌わせることを決めた。

ちなみにこの曲はアメリカのジニー・アーネル(Ginny Arnell)により発売された、少しだけ知られた曲“Let me make you smile again”のカバーである。

このシングルは1964年6月に発売され、B面には同様にすばらしい“Je ne sais pourquoi”が収録された。ちなみにこれはリップ・コーズ(Rip Chords)の珠玉のサーファーソング“Hey little cobra”のカバーである。

この4曲すべてがその年にEPとして発売された。

1965年

『Reste à ta place』が続いてその秋に、45レコードとしても4曲入りのEPとしても発売された。

このリリースでは、パム・ソーヤー(Pam Sawyer)作曲の“Light bulb”のカバーである“Play-boy”と、グループ「ポール・リヴィア・アンド・ザ・レイダーズ(Paul Revere and the Raiders)」“Louie, go home”のカバーである“Louie, reviens chez toi”にも注目すべきである。

続いて1965年春に、素晴らしい曲“Les petits mots d’amour”が、その年の後半に“Questions”が発売された。

アダモ(Adamo)やクリフ・リチャード(Cliff Richard)、レイ・チャールズ(Ray Charles)らのサポートを受けながら、彼らは広範囲に渡ってツアーを行った。

しかしこの頃、グループに様々な顔ぶれが加わったことで、以前のような友情や親密さがなくなり、アリアンは会社からのソロ活動の勧めを受けることにした。

1966年

レン・バリー(Len Barry)によりイギリスでヒットとなった曲のカバーである“1. 2. 3.”が、1966年春に彼女のファーストシングルとして発売された。

知名度を上げるため会社は、その年のコンテスト『Knokke Cup song festival』へベルギー代表として彼女を送り込み、そこで彼女はイギリスのトゥルーリー・スミス(Truly Smith)、ドイツのカーチャ・エプシュタイン(Katja Ebstein)やマリオン(Marion)、そしてオランダのヤネケ・ペパー(Janneke Peper)らと競った。

続く45レコードとして“C’est pour toi”がその年の後半に発売された。

これはアメリカのガールズグループ「ザ・ロネッツ(The Ronettes)」の“You baby”のカバーである。

1967年

その後ウィットマンズは、彼女のための楽曲を作曲させるため、フランスのスター、パスカル・ダネル(Pascal Danel)を仲間に引き入れた。

その結果として、1967年1月に“Nicolas”がA面曲として発売された。しかしファンにはB面の“Les gémeaux”のほうが好まれている。

さらにもう1枚だけ“Toi”を発売し、彼女はソロ活動に区切りをつける。

1967年の終わりに発売されたストラディバリウス(Stadivarius)の“Walking on the Bach’s world”を歌い続けてはいたが。

彼女は祖父の足跡に従い店をオープンしたと考えられているが、それはミュージックショップというよりは、ハイクラスのアンティークを扱う店で、ブリュッセルの有名なアベニュールイーズ(Avenue Louise)にオープンさせた。

出典:Ready Steady Girls

アリアン(Ariane)について【ベルギー】についての口コミ

感想を追加する


Submit your review
*必須項目です

アリアン(Ariane)について【ベルギー】のディスコグラフィ

Ariane Et Les 10-20(アリアーヌ・エ・レ・ディ/ヴァン)時代

1964年

①Je Ne Sais Pourquoi +3 ‎(7", EP)
①Je Ne Sais Pourquoi +3 ‎(7″, EP) 

②Reste A Ta Place ‎(7", EP)
②Reste A Ta Place ‎(7″, EP)

 ③Dans Mes Bras Oublie Ta Peine / Je Ne Sais Pourquoi ‎(7", Single)
③Dans Mes Bras Oublie Ta Peine / Je Ne Sais Pourquoi ‎(7″, Single)

④Comme Des Fous / Viens Tout Près De Moi ‎(7", Single)
④Comme Des Fous / Viens Tout Près De Moi ‎(7″, Single)

1965年

⑤Reste A Ta Place
⑤Reste A Ta Place 

⑥Les Petits Mots D'Amour / Il Ne M'Arrive Jamais Rien ‎(7", Single)
⑥Les Petits Mots D’Amour / Il Ne M’Arrive Jamais Rien ‎(7″, Single) 

 ⑦Les Petits Mots D'Amour ‎(7", EP)
⑦Les Petits Mots D’Amour ‎(7″, EP) 

⑧Questions? / Deja L'Été ‎(7", Single)
⑧Questions? / Deja L’Été ‎(7″, Single)

アリアン(Ariane)のソロ時代

1966年

⑨1. 2. 3. / Ice Cream ‎(7", Single)
⑨1. 2. 3. / Ice Cream ‎(7″, Single) 

⑩C'est Pour Toi / Tu Voudrais Que J'Oublie ‎(7", Single)
⑩C’est Pour Toi / Tu Voudrais Que J’Oublie ‎(7″, Single)

1967年

⑪Toi / Jim et Jo ‎(7", Single)
⑪Toi / Jim et Jo ‎(7″, Single) 

⑫Nicolas / Les Gemeaux ‎(7", Single)
⑫Nicolas / Les Gemeaux ‎(7″, Single)

関連記事とアーティスト

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

感想を追加する


Submit your review
*必須項目です

関連記事

リリアーヌ・サン・ピエール(Liliane Saint Pierre)

リリアーヌ・サン・ピエール(Liliane Saint Pierre)について【...