ザ・シュレルズ(The Shirelles)について【ガールズ・グループ物語】

ザ・シュレルズ(The Shirelles)について【ガールズ・グループ物語】

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ザ・シュレルズ(The Shirelles)のバイオグラフィー

米国ニュージャージー州パサイク出身の親友4人組(のちの「ザ・シュレルズ」)が、一緒に歌い始めたのは中学生の頃で、高校に入る頃には、地元のダンスやタレントショーに定期的に参加していた。

この章の登場人物
  • メアリー・ジェーン・グリーンバーグ = シュレルズメンバーの同級生
  • フローレンス・グリーンバーグ =メアリーの母で業界人・ティアラレコード社長

そういったショーの中で演奏していた楽曲を、クラスメイトのメアリー・ジェーン・グリーンバーグ(Mary Jane Greenberg)が聞き、「音楽業界にいる」母親のオーディションを受けるように彼女たちを説得した。

業界にいたメアリーの母親のフローレンス・グリーンバーグ(Florence Greenberg)は最終的に彼女たちの歌を聞き(彼女のリビングルームでオーディションを行なった)、自身の小さな「Tiara」レーベルと契約を結ばせた。

単に5年契約を結んだだけでなく、フローレンスをグループのマネージャーに置く契約でもあった。

彼女たちが作曲した“I Met Him On A Sunday”は、同世代の高校生たちだけでなく、フローレンス・グリーンバーグの心も掴んだのだ。

フローレンスは彼女たちをスタジオへ連れて行き、この曲をレコーディングさせ、「ティアラ(Tiara)レコード」から発売。始めは地域限定で発売されたが、その後ラジオで何度か放送され、需要が高まったため、レコード会社「デッカ(Decca)」がフローレンス・グリーンバーグに近づき、全国リリースのため販売権のマスターテープを買い取ったのだ。

1958年

シュレルズ(The Shirelles)

シュレルズ・メンバー
  • ビバリー・リー(Beverly Lee)
  • ドリス・コリー(Doris Coley)
  • アディ・ミッキ・ハリス(Addie “Micki” Harris)
  • シャーリー・オーウェンス(Shirley Owens)

1958年の春、「シュレルズ(The Shirelles)」のデビューレコードは、2ヶ月半もの間チャートに留まり、50位に到達した。

彼女たち自身は、このことをあまり深刻に受け止めていなかった。

自分たちの曲をラジオで聞いたり、地元の有名人でいることは楽しかったが、彼女たちはただ、たまたま一緒に歌うことになった友人同士であり、その他のことはただの思いがけない出来事だったのだ。

彼女たちは事実、友人同士で

ビバリー・リー(Beverly Lee)、ドリス・コリー(Doris Coley)、アディ・ミッキ・ハリス(Addie “Micki” Harris)、シャーリー・オーウェンス(Shirley Owens)

この4人は、親友だった。

一緒に学校に通い、一緒に歌い、一緒に働き、一緒に食べ、一緒にショーに行き、そして一緒に「家族」となった。

事実として、彼女たちはほぼ一緒に生まれた。

驚くことに、ビバリー、ドリス、シャーリーはお互い7週間以内に生まれていたのだ(ミッキはおよそ一年上だ)。

当時はドリス・コリーが主にリードシンガーを務めていたが、聖職者である父親の影響で、彼女は強くゴスペル音楽に傾向していた。

「Decca」で初めて成功を収めた後、さらに数枚のレコードを発売したが、何事も起こらなかった。

ザ・シュレルズ(The Shirelles)の転機

他の多くの人々がそうだったように、彼女たちもここで終わりかと思われたが、フローレンス・グリーンバーグにはまだ別のアイデアがあった。

この章の登場人物
  • フローレンス・グリーンバーグ = シュレルズのマネージャー、セプターレコード社長
  • ルーサー・ディクソン = 元「The Four Buddies」メンバー、シュレルズの作曲家・プロデューサー

「Decca」との契約から自由になったフローレンス・グリーンバーグは、「セプター(Scepter)レコード 」という新しいレーベルを立ち上げ、ニューヨークの音楽シーンが賑わうまさにど真ん中の、ブロードウェイ1650番に小さなオフィスを構えたのだ。

ここで彼女は、ルーサー・ディクソン(Luther Dixon)に出会った。

ディクソンは、グループ「The Four Buddies」(レコード会社「RCA」所属)の元メンバーだったが、作曲とその後出版業に専念するため、グループを去った。

彼は、パット・ブーン(Pat Boone)、グループ「フォア・エーセス(The Four Aces)」、ペリー・コモ(Perry Como)、ナット・キング・コール(Nat“King”Cole)らのための穏やかな曲を書いており、初めはフローレンス・グリーンバーグの要求を断った。

彼の曲は「名の知れた」パフォーマーへ提供されるのであって、無名のパフォーマーへ提供する気はなかった。

しかしグリーンバーグは粘り、グループと会い金銭的な調整をした後、彼はこの話に乗った。

ザ・シュレルズたちとの仕事を受けることで、ディクソンは儲かる可能性のある権利を得ていた。曲を書くだけでなく、レコードのプロデュースも行うこと。

さらに、曲の多くは彼の出版社「Ludix publishing company」を通して発売されること、そしてもし「シュレルズ」のためにヒットを作り出すことができたら、「Scepter Records」の一部を所有することができる、というものだ。

取引は成立したので、あとはうまくやってみせるだけだった。

ルーサー・ディクソンと「シュレルズ」との最初の仕事は、キングレコードのグループ「ファイブ・ロイヤルズ(The Five Royales)」オリジナルの、“Dedicated To The One I Love”だった。

シュレルズ」のバージョンは明らかに「ザ・チャンテルズ」のサウンドを倣ったもので、ニューヨークエリアではうまく行ったが、セプターレコードには全国的にブレイクさせる力はなく、83位に留まってしまった。

しかしそれでも、小さな「セプターレコード」にとっては将来有望なデビューだったが、次の作品がチャート入りを逃すと、ルーサー・ディクソンは方向性を変えることを決めた。

ディクソンはR&Bを愛していたが、ラジオのトップ40で成功するには、サウンドを甘くする必要があると感じていた。

他の人々が、単にボーカルのトーンや歌詞の内容を薄めることだけを試していた中で、ディクソンは固いビートとR&Bのボーカルの質はそのままに、より広い顧客層に受け入れられるように、ストリングスを多く使用した。

出典:Girl Groups The Story of a Sound

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